息子へ。被災地からの手紙(2013年8月27日) iRyota25 2013.08.28 3 2,337 0 福島県いわき市小久→いわき市四倉→宮城県亘理町 昨日今日明日と、東北の農業にどっぷり。 いわき市では放射能に負けない米作りの皆さんの熱い話と、現地レクチャー。 そんな中、今朝、四倉地区の若手(といっても父さんと同年代なんだけど)白土武さんが、こんなことを話して
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月25日) iRyota25 2013.08.25 3 2,184 2 いわき市の永崎の自主ビーチクリーン作戦! ずっと会いたかった本柳真一さんに、彼の「現場」である四倉・久之浜で会った後、 小名浜へ向かう途中の永崎海岸に、海水浴を楽しむ人たちの姿があった。 そこで見つけた若者たちに、父さんは本柳さんの言葉に共通する思いを感じた
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月26日) iRyota25 2013.08.27 3 1,969 0 安全な米作りの会、父さん的には「放射能に負けない米作り」というタイトルで伝えてきたいわき市北部での稲作。 出張の前に電話して、「もうブンゲツはもとより、シュッスイも終わってしまったから、山場をいくつも越えた時になってしまっていてごめんなさい」と伝えると、 「
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月20日) Rinoue125R 2013.08.20 3 2,228 0 書いた場所を正確に記すとなると静岡県伊豆の国なのだが、東京都新宿区四谷であり新宿区新宿であり品川区であり杉並区であり練馬区であり板橋区であり、神奈川県川崎市宮前区であり高津区であり・・・ 地名とそれほど強く結びつくことのない、軽い戯れ言。そう戯れ言。 だけど
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月11日)―その2 iRyota25 2013.08.20 3 2,783 0 宮城県石巻市黄金浜、灼熱のこどぱにー・ちびひろ 今日の第2弾は自慢話に聞こえるかも。でも、とっても嬉しかったから報告する。 雄勝花物語の花壇から女川経由で石巻に向かった。国道398号「ブルーライン」は、御前浜(おんまえはま)を過ぎたあたりから片側交互通行が何か所
息子へ。東北からの手紙(2013年8月29日) iRyota25 2013.09.18 2 2,133 0 夏休みも最終盤! 石巻市門脇(かどのわき)の「がんばろう!石巻」の看板で また会ってしまった。 「がんばろう!石巻」の看板を設置した黒澤さんに。看板が設置されたあの場所で。 石巻の知り合いの中には、「せめて電話くらいしてから来なさい」とニコニコ笑顔でたしなめて
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月1日) iRyota25 2013.08.08 3 3,381 0 宮城県石巻市「川開き祭り」2日目 川開き本番の朝、未明まで雨が残った。激しく降った時間もあった。 天気が心配で目が覚めて、街に出てみると、七夕飾りが落ちている場所もあった。 空を見上げる。雲がゆっくり流れている。切れ間から薄日も差してきた。 そして、花火のフィ
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月31日) iRyota25 2013.08.08 3 2,724 0 夜行バスがとれなくて、新幹線&ミヤコーバスで石巻入り。 うなるような轟音を立ててジェット機が駅上空をバンクしながらフライパスしたのは、 バスが駅に到着したのとほぼ同時だった。 「ブルーインパルスだ!」 嫌いじゃないが、とくにファンというわけでもない。でも、空を
息子へ。東北からの手紙(2013年12月1日)防災のキモ? iRyota25 2013.12.04 1 2,171 0 静岡県で防災訓練。東北の人たちの話を思い出した。 訓練ならではのダラケはあるが、けっこう実践的 12月1日、市の防災訓練があった。9月1日の防災訓練は避難訓練が中心だったが、今回は自主的な防災について体験したり考えたりすることを主眼においての訓練だった。 まずは町
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月13日) iRyota25 2013.08.19 3 1,484 1 岩手県大船渡市→宮城県気仙沼市→宮城県仙台市 東北で過ごした夏休みの帰り道、大船渡から仙台に向かうバスの車中でのこと。 気仙沼バイパスの鹿折地区にあるバス停にバスが停車した。外の景色を見たり、スマホをやったりで、あまり注意していなかったのだが、そのバス停から乗
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月10日) iRyota25 2013.08.16 3 1,580 0 宮城県南三陸町「長須賀ビーチ」 かつてこの砂浜は瓦礫だらけだった。 砂を掘れば掘っただけ、海と陸にあったありとあらゆるものが出てきた。 でも、さらに以前、津波より前、この砂浜は東北でも有数の美しいビーチだった。 いま、このビーチは奇跡的によみがえった。 それも
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月27日) iRyota25 2013.07.29 3 2,842 0 宮城県石巻市へ0泊3日の弾丸ツアー 石巻で最大のお祭り「川開き」。 7月31日から8月1日にわたって供養祭、灯篭流し、花火大会、孫兵衛船競漕などで盛り上がる。「ぜったい来なきゃダメだよ!」とたくさんの人たちに誘われたんだけど、宿も交通機関もいっぱいで、どうにも当日
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月24日) iRyota25 2013.08.25 2 3,798 0 浜松からフクシマへ 夜明け前の山の上に鉄塔が孤独に立っていた。 夜行バスが目的地に近づくにつれて、常磐自動車道を走るバスの右手遠くには、うっすらと朝焼け。 そして左手には、闇につながる蒼く深い空から、ひとつ、またひとつと、孤独な鉄塔が窓の向こうに現れる。 高圧
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月18日) iRyota25 2013.07.23 3 2,648 0 宮城県石巻市→女川町→石巻市→南三陸町→気仙沼市 昨夜遅くから石巻は雨。それもかなり激しい降り。朝起きて気象情報をチェックしたら宮城県東部には大雨警報が出されていた。 まいった。今日は女川から海沿いの道を通って雄勝、南三陸、気仙沼と走って陸前高田まで入る予定。大
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月22日) iRyota25 2013.07.01 4 2,584 0 2013年6月22日 福島県いわき市久之浜~富岡町 伊豆への短期ツアーに出かけるこども達を乗せたバスを見送った後、久ノ浜の駅前広場で佐藤大さんと長く話した。 大さんは第一原発の5・6号機がある双葉町の出身で、彼自身も原発で働いていて、巨大地震の瞬間は敷地内の事務棟にい
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月23日) iRyota25 2013.08.25 2 1,590 0 第43回全国中学校バスケットボール大会(静岡県浜松市) バスケの試合を生で見るのは初めてだったけど、女川中学女子バスケの第一試合を見ただけで、バスケの魅力に引き込まれた。 試合開始直後は劣勢だった。ボールが手に着いていない感じだった。相手の攻撃パターンは決まり
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月11日) iRyota25 2013.08.16 2 2,032 0 南三陸から灼熱猛暑の石巻へ ほぼ1週間前にも石巻にいたんだから断言できる。 川開きまで、まるで梅雨寒のように、もう初秋になったかのように、寒かった石巻に、 夏が来た。 南三陸から北上川沿いを走り、大川小学校に立ち寄った頃には、クルマの中にいても汗が噴き出すよう
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月23日) iRyota25 2013.07.02 3 2,816 0 2013年6月23日 福島県いわき市久之浜→静岡県伊豆の国市 震災で負った被害が、そのまま2年以上放置されていた富岡町から、楢葉町、いわき市の久之浜、薄磯海岸、豊浜とまわって帰った翌日の朝――。 父さんは、久之浜からやってきた小学生たちが乗るバスに手を振って、お見送りし
【復興支援ツアー2015】 3世代で行く東北旅行レポート byバイキンマン baikinman 2015.12.16 5 9,582 0 出発前 今回は「次世代へつなぐ防災減災の学び」という目的で旅を計画しました。 事前に子どもたちには震災の絵本を読み聞かせて、災害について一緒に学ぶことにしました。 はしれ、上へ! つなみてんでんこ 2011年3月11日。 東日本大震災のあの日襲ってきた大津波をみんなでい
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月21日) iRyota25 2013.06.24 3 2,375 0 2013年6月21日 福島県いわき市・小久地区 久之浜の商店街の前の道を山の方に向かてクルマで5分も行くと、小久という集落に着く。行政区は大久といって、久之浜ではないけれど、久之浜の町の「在」(田舎)にあたる集落。きっと昔から海辺の久之浜との間で、人や物をはじめいろ
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月19日) iRyota25 2013.07.25 2 2,708 0 岩手県陸前高田市 小学校の校舎が簡易宿泊施設になった二又復興交流センター 陸前高田の町はいま、夏草に覆われた広い平坦地になっている。建物は数えるほどしか残っていない。かなしいほど見晴らしが良くなった町を工事車両など町の再建を進める車両が走り回る。高田の町の平
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月11日) iRyota25 2013.06.19 3 2,005 0 2013年6月11日 静岡県伊豆の国市韮山 違和感のあるニュースだった。震災から2年と3か月目の夜、NHKが流したニュース。それは、女川町生涯教育センターの話から始まった。 宮城県女川町の生涯教育センターの最上階、機械室まで逃げ上がった末に、なんとか生き延びた人たちの話
【明治三陸津波120年】120年前はほんの昨日 iRyota25 2016.06.17 1 10,797 0 明治29年6月15日午後7時32分、岩手県釜石市東方約200kmを震源とするマグニチュード8.5クラスの巨大地震が発生。この地震によって発生した津波は、海抜38.2mという当時の観測史上最大の遡上高を記録し、岩手県、宮城県、青森県の沿岸部を中心に甚大な被害をもたらした。 ——と
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月6日) iRyota25 2013.06.14 3 2,010 0 2013年6月6日 静岡県三島市 テラセ、テラセ サンリクテラセ。。 福島で〈暗闇の思想〉を知り、帰って来てからもくらくらするような状態が続いていた6月6日、Facebookの画面から飛び込んできたのがこの言葉だった。 文章の主の名は新沼暁之さん。直接会ったことはない、ともだ
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月4日) iRyota25 2013.06.13 3 1,863 0 2013年6月2日 岩手県大船渡市越喜来 あれからもうすぐ2年と3か月だ。 津波の悲惨さを伝えるような写真記事はどうしたものだろう。 「もうそろそろ。」 撮ってきた写真をモニタに並べながら、そう思った。でも違うぞと思い直した。 ひとつの出来事をすぐに思い出した。最初に被