2013年6月21日 福島県いわき市・小久地区
久之浜の商店街の前の道を山の方に向かてクルマで5分も行くと、小久という集落に着く。行政区は大久といって、久之浜ではないけれど、久之浜の町の「在」(田舎)にあたる集落。きっと昔から海辺の久之浜との間で、人や物をはじめいろいろ交流が続けられてきた場所なんだと思う。
小久の集落で、放射能に負けずに米作りを続けている佐藤三栄さんに、今年の米作りについて話を聞きに行ってきた。佐藤さんは、去年の暮れに浜風商店街で門松を立てていたおじさん。お前も会ったことがある人だ。
訪ねていくと、田んぼの周囲を歩きながらとか、農業機械を説明してくれながらとか、ビニールハウスの中で種まきをしながらとか、いろいろなシチュエーションで話をしてくれる。きっと、ただ言葉で話すだけでは農業のことがイメージできないだろうと気を遣ってくれているのだと思う。おかげで、トウモロコシの種の撒き方とか、田んぼに落ちた稲わらを集めるロータリーレーキとか、集めたわらを円筒形にまとめるロールベーラ―とか、お米の籾を外して玄米と仕分けをするもみすり機とか、農家じゃなければ目にすることのないいろいろな物や場面を見せてもらってきた。
みどりのトンネルの向こうで
そして今回、佐藤さんが案内してくれたのは、自宅の裏山の桧林だった。
みどり鮮やかな、木々のトンネルのような坂道を上っていくと、祠があって、その先に桧と杉の林が広がっていた。針葉樹の林ならではのシーンと音が静まった空気。佐藤さんは木の皮を指さしたり、上の方を見上げたりしながら、取材に同行した下重さんと話している。
カメラを構える父さんの耳に、こんな話が聞こえてくる。
「冬場の仕事が少ない時にね、枝打ちをして手入れしてきたんだ。こどもが家を建てる時には、この林の桧や杉を使えばいい。そんな準備もしていたんだけどな。」
山、そして木は、平地以上に放射線量が高いと言われる。細かい塵に付着したセシウムが、木の葉や樹皮の表面に付着しやすいからだろう。付着したセシウムなどは雨とともに少しずつ流れていく。そして、少しずつ植物体の中に吸収されていく。
原発事故の直後に切り出して製材していれば間に合ったかもしれない。でも、もう無理だろうなと佐藤さんは言う。いつもどおり、朗らかな表情で。声のトーンを変えることもなく。
林の中を見渡しながら、
「この榊はね、わざわざ山奥まで取りに行かなくてもいいように、ここに植えたものなんだ。」
「ほら、そこにタラの木があるだろう。美味かったんだよ。原発事故の春以来3シーズン食べてないけどね。」
木を切ることは、物語を断つということ
そして話は『除染』のことになる。
木の表面や木の近くは線量が高い。居住空間の空間線量を下げるには、周囲の木を切るのが効果的だ。でも、切ればいいだろうという単純な話ではない。里山に生育している木々や草花には、みんな意味がある。先祖が子孫のためにとか、自分がこどものためにといった物語がある。
単なるヒノキ、単なるサカキなど、佐藤さんの山には存在しないんだ。
いまきっと九州のおばあちゃんの話、思い出しただろう。おばあちゃんちの実家の裏山にも、おばあちゃんのおじいちゃんが孫たちのためにと、果物の木を植えてくれていた、という話を何度も聞かせてくれたもんな。
福島の佐藤さんの山で、一本一本の木に「誰かのためを思う歴史」があることを、あらためて知った。先祖の思いが込められた木を、除染のために切らなければと考えることが、どんなことなのか。俺たちはしっかり思いを巡らせなければならない。
佐藤さんは、淡々と、朗らかな表情のまま、たくさん話してくれる。
でもそれは、ここで父さんたちに愚痴を言ったり、訴えたりしてもどうにもならないと思っているからだろう。ありのままのものを見せて、ありのままを語っていくことの強さを知っているからだろう。
感情的という言葉の対極にあるような佐藤さんだが、ときに眼差しに強い何かが宿る瞬間がある。
たとえば、佐藤さんちを初めて訪ねた秋にも咲いていた二度咲きの桜。「この桜はね」と行くたびに話題になっていた二度咲きの桜。
「この桜も切らなければならないだろうか。」
そんな瞬間、どうやって佐藤さんの顔を見ればいいのかわからなくなる。
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