福島県いわき市小久→いわき市四倉→宮城県亘理町
昨日今日明日と、東北の農業にどっぷり。
いわき市では放射能に負けない米作りの皆さんの熱い話と、現地レクチャー。
そんな中、今朝、四倉地区の若手(といっても父さんと同年代なんだけど)白土武さんが、こんなことを話してくれた。
緑一色の田んぼ、伸びてきた穂がお辞儀し始めた中、
「こんなことがあったから、なおのこと農業が好きになったんだ」
鳥肌が止まらなかった。
彼らは、あの直後から様々な工夫を凝らして、田んぼのセシウムを除去できないかと行動してきた。田んぼの土そのものからセシウムが取り出せないのなら、イネに吸収される量、そして最終的に食物になるお米に放射性物質ができるだけ移行しないようにする方法はないかと、工夫に工夫を重ねてきた。
そして、厳密な検査機器を使っても検出限界以下、つまり国の基準とはまったく別次元の米作りを実現し、さらにノウハウを蓄積してる。
最近会えなかった吉田さんなんて、放射能を下げる効果がありそうだと見込んだ「たい肥」の生産の中心人物だ。お前はあまり好きじゃないキノコ類。とくにキクラゲを栽培するための菌床を、産業廃棄物ではなく、たい肥として再生産することで「循環型の農業」の実現を目指している。土の中の養分が増えれば、イネなどの植物体が「間違えて」セシウムを吸収することなく、本来の栄養素をたくさん取り込んで美味しい食べ物ができるはず、という考えで行動を続けている。
とても貴重な栄養素を含んだものなのに、これまではゴミとして廃棄していた。わざわざ産廃としてのお金を払って。それを、美味しくて安全な農作物を作るための土づくりの基礎として活用しようとしているんだ。
そんな農業って、いいとか悪いとか経済的とかってレベルの話ではなく、
正しい農業だと思わないか。まさに現代の「篤農家」だと俺は思う。
あんなことがあったからこそ、農業が好きになったという、白土さんの言葉を支える農業が、たしかに進み始めているんだ。
そんな話を聞くだけでもすごいことだったんだが、たい肥になる菌床が育てたキクラゲを、父さんたちは刺身で食べさせてももらった。
キノコだぜ。
キノコの刺身を食べるなんて、いくらキノコ好きの父さんでも初めてだった。
それがもうなんというか、とにかく美味いんだ。父さんがキクラゲ好きだってことを差っ引いても、それでも美味い。これはいけると確信した。
キクラゲが売れれば、たい肥の原料となる菌床もたくさん出てくる。それを田んぼや畑の肥料としてリサイクルする。それは食味だけではなく、放射性物質を取り込まないという、安全性を担保する農業でもあった。
すごいこと。
もしかしたら江戸期から続くのではと思った歴史的なたたずまいの吉田さんのお宅で、キクラゲの刺身をいただいていたら、太い梁がめぐらされた母屋に、涼しい風が吹き抜けていった。
風が止むと、呼応したかのように、セシウムが・・という話が持ち上がる。
でも、母屋を涼しく吹き抜けていく風がまたやってくる。
吉田さんと白土さんの農業の未来に向けての話が彩りを増す。「TPP時代であるからこそ」という言葉も聞かれる。
この時代。これからの時代の「希望」というものの形を、吉田さんの古民家の一室で、改めて思い知らされた。ガツーンと。
そんな余韻が心の中でぐるぐる回り続ける状態で、午後には宮城県亘理町のロシナンテス、父さんと同じ高校の有志(軽く読まないでほしい。真に志を有する人々なのだ!)を訪ねたら、
玄関先で、ロシナンテスにとっての農業の先生であるおじいさんが、これから植えるネギと大根の育て方について熱く語っていた。玄関先の奥に陣取っていたのは、ロシナンテスの東北事業部を率いる大嶋さん。
「明日も、地元の人たちと一緒の農業体験があるんです。参加しませんか?」
というわけで、明日も農業だ。
文明を形作ってきた農業。
自然と人間の接点としての農業。
人が生きていく上で欠かせない、生きがいとしての農業。
明日も農業三昧だ。
ここにある現実と、あそこにある未来。
ふたつをつないでいくことを、現地の人たち、そして、
大嶋さんたちロシナンテスの人たちと一緒に体と心に刻んでくるよ。
いやそれは、お前たちの未来を、父さんたちの世代が先回りして経験してくるようで、
本当のところ、ちょっと申し訳なかったりもする。
マイナスからの未来。
負けないことではじめて手にする未来。
それは福島でも宮城でも岩手でも。
明日はそんな農の世界にずっぽしとはまってこようと思っている。
息子よ。思いはお前とともに。
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