息子へ。被災地からの手紙(2013年6月4日)

iRyota25

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2013年6月2日 岩手県大船渡市越喜来

あれからもうすぐ2年と3か月だ。
津波の悲惨さを伝えるような写真記事はどうしたものだろう。

「もうそろそろ。」

撮ってきた写真をモニタに並べながら、そう思った。でも違うぞと思い直した。

ひとつの出来事をすぐに思い出した。最初に被災した土地に入ったときのことだ。

建物が建物ではない残骸になっている場所で写真を撮っていたら、その家の主の友人という人物に呼び止められた。

「なんで勝手に写真なんか撮っているんだ?」

瞳の中に炎が見えた。この人にとって大切なものを踏みにじるようなことをしてしまったのだということがすぐに理解できた。父さんは素直に謝った。

その時、ふたつのことを思った。

ひとつは、その人に対して、そして彼の友人である家の主に対してすまなかったという気持ち。

もうひとつは、それでもこの場に来た以上、自分は伝えなければならないということ。

地震も津波も、そのあとに人間が引き起こしてきたさまざまなことも、ひとごとではない。物見遊山で記念撮影なんていうことだったら、瞳に炎を燃やす人からぶん殴られても仕方がないと思う。でも、そうじゃないだろう? と自問した。

被災した町では、戒めにつながる言葉をこれまでたくさんいただいてきた。

「越えてはいけない一線」を守ることが、ひととしての付き合いの基本だ。

「取材とか写真とかはお断りだ。でもしゃべるだけならいいよ」というところから始まったいくつかの付き合い。

「同情じゃダメなんだよ。同苦なんだ」という話もあった。

いただいた言葉をこころに置いて、ひとごとではない「自分ごと」として、話したり、付き合ったり、写真を撮っていこうと思うんだ。

でも、どうして、いまそんな話を? とお前は疑問に思うだろうな。
それは、そんな話をしなければならないくらい、
実をいうと、シャッターを押すことを心が拒むような被写体に出会ったからなんだ。

越喜来の中心部にあった(建物はいまもある)三陸町中央公民館(三陸公民館)。震災直後の写真と比べると、2年以上が経過した現在では、町なかの様子は大きく変わったようだ。町を埋めていた津波被災物は、ほとんど片付けられ、広いさら地にはクローバーの群生が風に揺れている。

でも、建物の中はまったく違った。
壁は剥がれ、天井は落ち、むき出しになった場所に、ありえないものが残されていた。床は片付けられているんだよ。でも、天井板がなくなったところとか、エレベーターのタワーの中とか、そういう、ふだん目にすることができない場所がむき出しになっていて、そこにいろいろなものが引っかかっていたんだ。

本、衣服、おもちゃ、スキーのストック、ゴミ箱…。

言葉にならないくらい衝撃だったのは、エレベーターのタワー内にぶら下がっていた毛糸の玉。その毛糸が、とてもいい色だったり、誰かが手で巻き取った様子がリアルに見て取れたり、この細目の毛糸で何を編もうとしていたのだろうと想像してみたり。残された物に思いを被せていくにつれて苦しくなった。なまなましかった。

それでも、やはり伝えていかなければならない。
見たこと。知ったことは受け入れなければならない。

「自分ごと」から逃げることはできないからね。

この日、三陸の空はとても青かったんだよ。

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