息子へ。被災地からの手紙(2013年6月11日)

iRyota25

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2013年6月11日 静岡県伊豆の国市韮山

違和感のあるニュースだった。震災から2年と3か月目の夜、NHKが流したニュース。それは、女川町生涯教育センターの話から始まった。

宮城県女川町の生涯教育センターの最上階、機械室まで逃げ上がった末に、なんとか生き延びた人たちの話。津波が到来した当日、そこには22人の人がいて、中には高齢者や小さなこどもたちもいたけれど、なんとか生還した。町を襲った津波の水位は、建物の屋根を上回るほどだったが、生涯教育センターの最上階、一時は水面下になった場所にいた22人は生き延びた――。

話を聞きながら、いまはもう解体されたあの建物のことだと分かった。でも、この報道の主題は女川の人たちのことではなかったんだ。

屋根を上回るほどの水位だったのに避難者が生き残れたのは、建物の気密性が高かったからだろう。今後、津波シェルターを造る際の参考になる、という流れのお話だった。

安心しろ!死ぬときはみんな一緒だ

生涯教育センターのことは、女川で何人もから聞いたことがある。

「町の真ん中あたり、役場の向かいに屋根が五角形の建物があるでしょ。あそこの天井裏に、20人くらいの人たちが逃げていたんだよ。下からどんどん水が上がって来て、中にいた人たちは天井まで追いつめられて、もう逃げる場所もなくて、みんなで手をつないだんだって。リーダーみたいな人が『安心しろ、死ぬ時はみんな一緒だ』って言って、足下から水が上がってくる恐怖に耐えていたっていうんだよ。」

そんな話だ。

「安心しろ、死ぬ時はみんな一緒だ」としゃべり合い、知らない人同士が、きつく手を握り締めて、恐怖に耐えているよりほかなかったという話なんだ。

「足下からどんどん水が上がってくる中で、ぜったいに死なないぞって叫んでいたんだって。」というストーリーも聞いた。これもやはり、絶望の中、覚悟の上で生きることを信じたという物語だ。

ふざけるな!生涯教育センターの奇跡を曲げて語るな

11日の報道いわく。
たとえ水没しても、気密性が高い空間であれば、助かる可能性がある。

受けてキャスター、
「今後の津波への対応を考える参考になりますね。」

そんな甘いお話なんかじゃない。生涯学習センターの奇跡が語るのは絶望だ。
絶望の先に起きた奇跡。
奇跡が絶望を物語るお話。
奇跡的に生きのびてくれたことはありがたいが、
物語っているのは、逃げ場がないところまで追いつめられたという厳しい現実だ。大きな地震がきたら、すぐに逃げなければならない。
逃げるべき場所は、津波や土砂崩れ、大火災など、大地震に続けて発生する災害の危険性が低い場所。たとえ津波や火の手が迫ってきたとしても、「連続的な避難が可能な場所」でなければダメだ。

今回の巨大津波を逃げ延びた人の中には「二次避難」することで助かった人がたくさんいたらしい。最初に逃げた避難場所に津波が迫って来たので、もっと安全な高台に逃れた、というパターンだ。

ちょっと想像してみて。

10メートルの津波被害が想定されるところで、あなたは大地震の後、12メートルのビルに避難した。そこは「津波避難ビル」というプレートが掲げられたビルだった。これで安心だ、と思いながらふと窓の外を見ると、ビルよりもはるかに高い津波が目の前に迫ってくる。その時あなたは、何を思う??

「ウソつき!避難場所より高い津波が来たじゃないか!」と、さいごに大声で叫んで死んで行って、それでいいわけないだろう!

震災から半年ほどたった頃、女川の知り合いに「津波から逃れるには、どれくらいの高台に逃げればいいのか」と聞いてみた時のことを思い出すよ。

「何メートルまで逃げたら大丈夫という基準なんか信じられるのか。今回のことではっきりしただろう。自分を守るのは自分だってことだ。想定される津波の高さがどんだけだからとか考えるヒマがあったら、できる限り高い所へ、できる限り海から遠くに逃げろ。大きな地震がきた時には、そうするだけだ」

それ以来、何度も会うようになった彼に初めて会ったとき、睨みつけるような表情で話してくれたことが忘れられない。

生きるため、逃げ続けることができる場所へ!

どんな超巨大地震が発生しても、巨大津波からも、あらゆる天災人災の大災害からも、お前は逃げなければならない。俺だってそうさ。

「なにがなんでも生き延びるんだ」という気持ちは、生き残るために一番大切だろう。でも、気持ちだけあっても、物理的に、たとえばさっきの津波避難ビルの話のように、想定外が発生した時に次の手が打てない場所に逃げてしまっては苦しい。

津波避難ビルも津波タワーもシェルターも、限界を超えた時、破局が突然やってくるという点では同じだ。

それでも諦めない気持ち。これも大切だが、最初の避難場所の選択の方がはるかに重要度が高い。生きのびる可能性が大きく左右される。

別にシェルターなんかを否定するわけじゃないよ。逃げ込むだけで災害から安全に避難できるシェルターがあったら夢みたいだ。
しかし、現実の津波には水以外にもさまざまな凶器が混ざっている。家や船や車、テトラポッドや巨大堤防の破片、長さ50メートルの養殖網や大きなものでは数キロにも及ぶ定置網、オイルタンクや流れ出して着火してしまった油が押し寄せた時、それに耐えるほどのシェルターは、いったいどんなものになるのだろう。

戦車のように強くて頑丈で、高い気密性・水密性を誇り、避難中の食料と水、場合によっては空気も搭載し、1000度の熱に耐えられる宇宙船のような耐熱性があって(気仙沼など大火災が起きた場所では融点930度ほどのアルミが融けていた)、もしも沖合に流された時に戻ってくるための推進装置も完備して…。

こんなSFのようなシェルターなんて作れっこないから、実現されるとしてもスペックをぎゅっと絞り込んだものにならざるをえない。
それは、津波から逃れる術のまったくない場所で、次善の策のさらに次の次。最後の最後に選択するものでしかないだろう。そもそも、どんなリスクがあるのか正確にピックアップすることすらできないのに、逃げ込んだ人(あるいはシェルターを購入する人)に、「安全です」なんて言えないだろう?被災から3年目を迎え、想像力が絶望的なほど欠如しているのを感じる。誤解を恐れず言うと、五角形の屋根裏で何が起きたのか想像することができるなら、絵空事でしかないシェルターのニュースの「まくら」になんか使えないはずだ。

想像力の欠如は危険だ。
自分の場所で、何かが起きたときのことを考えて、生きのびる方法をひねり出す想像力が、絶対に求められている。

自分はそう思う。

 【ぽたるページ】復興支援ベース
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