息子へ。被災地からの手紙(2013年8月11日)

iRyota25

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南三陸から灼熱猛暑の石巻へ

ほぼ1週間前にも石巻にいたんだから断言できる。

川開きまで、まるで梅雨寒のように、もう初秋になったかのように、寒かった石巻に、

夏が来た。

南三陸から北上川沿いを走り、大川小学校に立ち寄った頃には、クルマの中にいても汗が噴き出すようになった。(貸してもらったクルマのエアコンが調子悪かったんだ。真夏にはよくあることだ)

窓全開で国道398号の坂道を上り、トンネルを抜けて雄勝町に入ったら、坂を下った三叉路に「雄勝花物語」の花壇がある。

去年の3月、造られたばかりの花壇に出会い、知人の知人の千葉大の人たちがそこで活動しているのを知り、さらに石巻の街なかのふれあい商店街に花を提供したのも千葉大の人たちだったという偶然に驚き、雄勝に行くたびにこの花壇に立ち寄ってきた。今年に入ってからは、花壇のまわりに柵がつくられている場面にも遭遇した。最初はびっくりしたけれど、鹿除けの柵だと聞いて安心した。

そんな、父さんにとって関わりのある花壇(勝手に思い込んでいるだけだが)に、今日は作業している人がいた。

クルマを停めて、オープンされた入り口から柵の中に入る。

色とりどりの花。
真夏の日差しに照らされて、すっと背を伸ばすように咲いていた。

花壇の中には、雄勝石(硯として有名なだけじゃなくて、東京駅の屋根を葺くスレートとしても使われている銀の光沢のある黒くて薄い石)に花の名前やボランティアのチーム名が書かれていた。その中に、東京の高校の名前があったので、作業している人に「千葉大の人たちだけじゃなかったんですね」と尋ねると、にこっと笑って、庭の奥の方で作業していた男性を手招きしてくれた。

男性は花壇のある土地の持ち主だった。

花を見ながら立ったまま、たくさん話しをした。

・花壇を始めたわけ
 亡くなったご家族への追悼の意味で始めたものだということ。

・ボランティアの広がり
 全国からたくさんの方がボランティアで手助けしてくれたこと。

・柵をつくった理由
 鹿が芽や球根を食べてしまうからやむを得ず。でもいつもドアはオープン。

・花壇の将来
 現在は「雄勝花物語第2章ローズファクトリーガーデンプロジェクト」を
 進めているが、もっと拡大してブルーベリーやブドウなども育てていきたい。

・それはなぜ?
 雄勝は町のほとんどが津波で失われた。人口も大幅に減少した。
 残念ながら、この町に戻ろうという人は少ない。
 ホタテと硯だけでは、将来立ち行かない。

「新しい仕事で雇用の場を創出するのがひとつ。もうひとつは、雄勝に帰ってくる人、雄勝にやってくる人の集いの場にすること」

小さな花壇から始まった「雄勝花物語」が、
町の再生を目標にした壮大な計画だということを知った。
話を聞きながら「わーすごい」と、何度も感嘆の声が出た。
伝えていくこと、つながっていくことが大切という意識を確かにその場で共有した。
町の将来を見据えた息の長い活動が、
個人と個人を支える人々の手で進められているのがすごいと思った。

真夏の石巻の日差しにキラキラ光る、
玉のような汗を頬に浮かべて話してくれたのは、徳水博志さん。
雄勝花物語実行委員会の代表者だ。

これからさらにつながっていく、きっかけの出会いになった。
ヘンな話、この場所とは縁があったんだなあとつくづく思った。
そして、徳水さんに手を振って別れた後、なぜかこんな言葉を心につぶやいていた。

まだ生きていていいってことか。まだまだやることがいっぱいある――。

不思議な充足感を胸に、走り馴れた国道398号をたどって女川へ、
そして石巻の中心街へ向かった。
マサさん、ナオちゃん、タギさん、カンケイマルさん、
ハルカさん、ケイテイさん、そしてヒマワリのお姉さんたちに会ってまわった。

今年の場合、たぶんほんの数日間しかないだろう、とっても貴重な真夏の石巻で。

雄勝花物語

宮城県石巻市雄勝町字味噌作

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