息子へ。被災地からの手紙(2013年8月26日)

iRyota25

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安全な米作りの会、父さん的には「放射能に負けない米作り」というタイトルで伝えてきたいわき市北部での稲作。

出張の前に電話して、「もうブンゲツはもとより、シュッスイも終わってしまったから、山場をいくつも越えた時になってしまっていてごめんなさい」と伝えると、

「ああ、そうだけど、いろいろあるからね」

と佐藤三栄さんは歓待してくれた。

ブンゲツ:分蘖。イネの株の茎の数が増えること。
シュッスイ:出穂。イネの穂が出ること

福島の稲田はあまりにも美しくて、そうしてすでにもう稲穂が頭を下げるくらいに実り始めていて、それでも田んぼの緑は鮮やかで、目にした瞬間からずっと思っていたのは、「おいしいお米が採れますように」ということだった。

不謹慎ではあるけれど、セシウムのことなど忘れてしまうほど、美しいニッポンの農村風景だった。

佐藤さんは自分の田んぼだけじゃなくて、グループの人たちが手掛けてきたご近所の田んぼでの作業も含めて、田んぼを回りながらいろいろなことを教えてくれた。

イネの背丈が高いのは、肥料の養分が多いから。
でも背丈が高いと大風や台風や秋に向けての激しい嵐で倒れてしまうことがあること。

何年か耕作しなかった土地では地力が高まっているから、
一株の稲穂の数も増えるけど、
「もともとの地面は同じだから、そこからどれだけの養分を吸い上げて、どこまで実れるか」と、
多ければいい、大きければいいなんて素人考えとは違うところで、はるかに違うところで、
どんなふうに稲の管理が行われていることか、いろいろたくさん教えてくれた。

でも同時に、やっぱり、ふつうの倍も株が太くなり、これまでの倍も穂の数が増え、
田んぼの持ち主たちは、やはりうれしいんだ。喜びに顔がほころんでしまうんだ。

いい景色だった。

田植え時に3株ほどだったものが、いまどれだけの茎が育ったか数えたり。
株から伸び出したばかりの稲穂を摘んできて、モミの数をカウントしたり。
まるで屋外の実験室なのさ。

「この辺はもう固くなってるね」
なんてモミを指先でつぶして、なかから白く輝く胚乳を絞り出してみたり。
なかには、もうコメの粒になりかけているくらい、力強く実り始めているモミをつぶしたモミからの白いでんぷんを舐めてみたり。(いや、これが甘かったんだ!)

手塩にかけた田んぼで、いままさに収穫へのステップを一歩一歩あがっている。

輝く瞳は、まつ毛に結晶した汗が真夏の日差しに輝いていたばかりではない。

収穫のよろこび。収穫を目前にした歓喜を、押しこらえている明るい瞳。

セシウムの恐怖から、できるだけ離れることができるように、

日々、この夏の間も続けられてきた炎天下の作業。

繰り返しになるが、それでもそこにある放射能の恐怖。

でも、なんどもなんども繰り返される、苦悩と未来の歓喜への希望。

あまりにも美しい稲田の中に立って、佐藤さんや飯島さんと話しながら、とてもシンプルなことを考えた。

午後遅く訪れた東北イノベーターでは、農業者である佐藤さん、飯島さんたちが続けてきた作業が、まるで光の中で輝いていることが、必ずしも夕方の傾いた日差しのせいだけではないことを、思った。

つぎは、何かを行動する番だ。

東京の人たちへ。
原発から近かったけど、北いわき(久之浜、大久、小久、四倉など)の人たちは、
信じて稲作を続けています。これまでの3年間で蓄積した技術や知識を基に「さらに」を
目指しています。

そしてそこには、ほかではありえない方法でサポートしてきた人たちもいた。
今日も実はさ、とある会社の社長さんと話をしていたんだが、
最終的には社員たちが帰社した後のオフィスで、
えんえんとお米の安全性についてのディスカッションが続いた。

話は未来の農業のことにも及んだ。
福島での農業だ。

来るほどに「去りがたい」土地が増えていく。
いわきも石巻エリアも陸前高田も。

それぞれの土地に流れている時間を、伝えていこう。残していこうと決意した。

 【ぽたるページ】息子へ。被災地からの手紙
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