2013年6月23日 福島県いわき市久之浜→静岡県伊豆の国市
震災で負った被害が、そのまま2年以上放置されていた富岡町から、楢葉町、いわき市の久之浜、薄磯海岸、豊浜とまわって帰った翌日の朝――。
父さんは、久之浜からやってきた小学生たちが乗るバスに手を振って、お見送りしていた。ちょうど丸一日前、久之浜駅前でこども達を見送ったのをデジャブのように思い出す。でも、今回はバイバイではない。緊急時に備えて出動させるワンボックスを運転して、先回りして現場へ向かう。
現場は田んぼ。伊豆の国市の長崎という集落での田植え体験。はままつ東北交流館の佐藤大さんや、伊豆どろんこの会の白井忠志さんの熱意で実現したイベントだ。
久之浜というと魚の町だけど、今回招待したこども達には、農村部の大久町あたりから来ている子もいた。でも、
田植えしたことある?
って聞くと、全員が「初めて!」
美味しいお米作りで有名な久之浜地区のこども達なのに、ちょっと意外だった。
ビックリするほど日焼けしたこども達
もうひとつ意外だったのが、こども達のほぼ全員が真っ黒に日焼けしていてたこと。
笑うと白い歯がニカッって光るくらい。
去年のちょうど今頃、「久之浜に戻っては来たけど、こどもは外で遊ばせてない」
という話を聞いた。外で遊ぶ機会が減った。家の中でゲームばかりしている。
そう聞いていたのだが、目の前にいるのは、ギラギラの田舎のこども達だ。(田植えは未経験だけど)
さっそく田んぼの土の中に踏み込んでいく。
田んぼに入ったまではいいものの、田植えにならない。
男子も女子も雄叫びのような歓声を上げ、うまく植えられないのをいいことに(?)
たちまちただのどろんこ遊びの場と化した。
元気よかったよ。
日焼けした顔によく似合う遊びっぷりだった。
でもな、いわき市から静岡に避難して暮らしているお母さんの言葉を思い出したんだ。それはこんな話だった。
放射能のことは確かなことが分からない。
国や自治体が言うことを信じて、
将来こども達の身に「もしも」があってはならないと思っている。
本当はもちろん戻りたいのよ。
でも、こどもの将来を考えると、いまはまだどうしても戻る気になれない。
どれくらい危険なのか、安全なのか分からない場所では子育てできないんです。
友人と話していても、早く帰ってくればいいのにって言われます。
友達に会わせるために、こども達を連れてちょっとだけ帰省したこともあります。
クルマで町を走っていると、外に洗濯物を干しているお宅がたくさんありました。
窓を全開にしているお宅もありました。
そんな町の様子を目で見て、私はまだ戻ることはできないと思ったの。
こども達に「保養」を!
日焼けして元気に遊びまわるこどもの姿を見ると、うれしくなる。
それが久之浜のこども達なんだから格別だ。心底から「よかった」と思いたくなる。
でも、もろ手を上げて喜べない。
晴れた初夏の空の下でこども達と遊んでるのに、ふとした瞬間にくやしくなる。
なんなんだ、このくやしさは。
子ども福島の吉野裕之さんが強調していた。
長期じゃなくてもいいんです。線量が低い場所で数週間、できれば1か月くらい生活すると、内部被ばく量が大きく減少する。とくにこどもの場合は減り方も大きいように感じます。
「避難」とか「疎開」とかいうと、刺激が大きいから、吉野さんたちは放射能を低減させるためのステイ活動を「保養」と名付けている。いまも全国各地の保養受け入れ先の人たちと、福島のこども達をつなぐ仕事に邁進している。●今回は、早朝の久之浜からバスに揺られて夕方の伊豆に到着して、次の日も午後には久之浜に向け出発する、一泊二日のショートステイだったけど、
次はちょっと長めに、ゆっくりのんびり過ごせる機会あればいいと思う。
面白い子がたくさんいたよ。5年生の子にはいじめられたりもしたけどね。
この子たちが次にまた来ることがあったら、プレイリーダーをよろしく!
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