息子へ。被災地からの手紙(2013年8月20日)

Rinoue125R

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書いた場所を正確に記すとなると静岡県伊豆の国なのだが、東京都新宿区四谷であり新宿区新宿であり品川区であり杉並区であり練馬区であり板橋区であり、神奈川県川崎市宮前区であり高津区であり・・・
地名とそれほど強く結びつくことのない、軽い戯れ言。そう戯れ言。

だけど、聞いてほしい。

今日は逆だな。
お前はサマースクールで白川郷の合掌造りの民家に泊まりに。父さんは、
ニャンコと一緒に外で大きな満月を見ている。
大きな大きな月を見ながら、思い出したことを書く。

それは「ことばのない世界」だ。

東京の大学に通うために一人暮らしを始めた頃、
「ことばのない世界」
ということについて考えてた。どこから湧いてきたのか分からない。そのフレーズに心を占領されていた時間があった。それはずいぶん長い時間だった。いまも、その頃に考えたり思ったりしたことは、俺の中で呼吸している。あれは夢のお告げ? だったかもしれないなんて思うほど。

ほどなくして、田村隆一という男の存在を知った。

言葉のない世界は真昼の球体だ
おれは垂直的人間

田村隆一「言葉のない世界」

荒地派、なんて用語で括ること自体、非礼であるが、戦後というものを画する言葉の闘争者たちのひとりとされる存在だ。
それより何より、俺にとって、彼は「ひとりの詩人」であった。

詩として彼が並べた文字列の意味するところは、自分が感じていたことばのない世界とは真逆に近かったが、
彼はある意味、神だった。

意味が真逆だろうとも、かまわない。
だって、言葉のない世界の同志であることに違いはないのだから。

すげえんだぜ。そのすごさが結晶しているのが、言葉のない世界の最後の一節。

ウィスキーを水でわるように
言葉を意味でわるわけにはいかない

田村隆一「言葉のない世界」

死ぬかと思った。

20代の頃、勤め人だった父さんは、編集部の敬愛すべき次長殿の口から、田村隆一の名を聞くことになる。

敬愛する次長いわく、「まったくとんでもないジジイでな」

いっぽう、俺が敬愛止むことなかった次長殿は、会社の中でこう評されていた。

「まったくとんでもないジジイだよ」

次長の言葉を聞いたその瞬間、その符合に体中の毛穴がチキンになったよ。

とんでもないジジイはとんでもないジジイと同じ鎌倉に住んでいて、マチガラミのイベントとか行事とかにはふたりとも参加せざるを得ないような状況にあって、あまつさえ若い方のとんでもないジジイは、町役員的なポジションに担ぎ上げられていて、より年寄りのジジイどもから、突き上げとか冷やかしとか、なんだかんだ、御用があったらしいのである。

父は、敬愛するとんでもないジジイが、かねて愛して止まぬ詩人とどんな絡みを見せるのか、いや、そんなワイドショー的な興味ではなく、純粋に、「ことばのない世界」に触れたいと思って、敬愛するジジイに何度も頼んでいた。

「田村さんに会いたい」

ジジイのことだ、すんなり「うんいいよ」なんて言うはずない。

「鎌倉に来ればいいだろう。いつでも引き合わせてやるよ。地元で飲む店はたいてい同じだからな」

とはいえ、敬愛すべき次長殿は、毎夜毎夜、早くても横須賀線の終電、ウィークデーの5日に4日は会社のある四谷辺りで飲んだくれてて(週のうち少なくとも1日は俺もその場に絡んでいたりして)、でも、当時はまだパラダイスだったんだな、タクシーチケットという、無賃乗車を可能にしてくれる、まるで魔法の絨毯のようなシステムを駆使して帰宅、(いやいや、六本木で軽く踊ったり、渋谷のバーに立ち寄ったり、横浜の地下室に顔を出したり:これ以上はさすがにオフレコかなあ)、ともかく愛妻家ではあった彼は、どんなに東京湾の東の空が白く明るくなろうとも、相模湾の空が明るくなる前には必ずご帰宅。ベッドに潜り込まれるとのことだったから、練馬のアパート住まいの父さんが最終駅までついて行くことなど不可能だったのさ。

土日ならと頼んでみたこともあったよ。当然さ。でもま、困ったことに敬愛すべき次長殿はアウトドア関係でも父の師匠筋の一人でもあったわけだ。川でカヌーだ、海でシーカヤックだ、マウンテンバイクでダウンヒルだ、著名女性登山家とパラグライダーだ、で空いてる時がない。休日に次長に会えるのは、次長との共通の知人である登山家・敷島悦朗さんの山や沢登りのガイド本を作るための「記事が書けて山登りも多少できる」人たちを集めての「山の中での編集部」みたいな場面だけだった。(ごめん、このあたり、時間軸をぎゅっと縮めている)

結局、田村さんに会いたいという俺の希望は叶えられなかった。
次の記事書き沢登りのため、六本木ヒルズ建築後に跡形もなく消えてしまった小さなビルの一室にあった敷島さんの事務所で行われたミーティングで次長殿が言った。

「こないだ田村さんの葬式だったぞ」

会わせることができなくてすまん、なんてこと言わないさ。だって彼自身、ことばのない世界の住人たるジジイなんだから。

敬愛するジジイの知り合いの、俺にとって愛すべきジジイは、彼の著書である「書斎の死体」の状態で俺と出会うことすらなく、煙になっちまったんだよ。

でも俺はね、とんでもないジジイを通じて、とんでもないジジイと間接的に知り合いだったってことについて、その時ね、

悪くない。

って思ったんだ。火葬場から立ち上った煙は、この六本木にも、当時父さんが住んでた溝口辺りにもきっと流れていている。俺、吸っちゃったかもぞ!

それは嬉しいとか逆の話とかはさておき、知り合いじゃないけど俺たちは知己だと理解した。たぶん知己以上だ。だって、ことばのない世界の同志なんだもんな。

いまもそう思ってる。だって、田村さんの大きくて骨っぽい手と握手しながら、たばこの煙の香りに包まれた感覚、たしかにあるんだぞ。棺桶の中にはめ込まれて、生前より妙に顔がでかいなあ、なんて印象も確かに記憶として持っている。ヘンだろ。でも、俺にとってはなんの不思議もないことなんだ。

俺たち、言葉で生きて行く限り、ことばのない世界は俺たちの向こうにあって、そして同時にこちら側にある。それは普段は隔絶されているけれど、ほんとうは絶対に隔ててはならない、本来一体のもの。なんで切り分けちゃうの? って知ってる人は自分の中でそのお弔いを行う。未来に向けての。ずっとずっと続いていく系譜を伝えて行くことで。そうさ、俺もまた。

東北でね、いろんな人たちと知り合いになっていくなかでさ、思うこと。同じなのさ。

(明日につづく)

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●TEXT:井上良太(ライター)

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