出発前
今回は「次世代へつなぐ防災減災の学び」という目的で旅を計画しました。
事前に子どもたちには震災の絵本を読み聞かせて、災害について一緒に学ぶことにしました。
絵本を読んだあとに子どもたちと話をしたところ、「海の水は楽しいこともあるけど、いじわるもするんだね」という感想でした。
3冊の絵本を通して、海の水が「つなみ」として襲ってくるということは分かったようです。
1日目
さて、旅のスタートです。
新幹線で息子が乗り物酔いで吐くというハプニングに見まわれつつ、前回訪れた野蒜地区へ。
■野蒜地域交流センター(旧野蒜駅)
建物の中に奥松島観光案内所があり、お話を伺いました。
野蒜地区の先には漁師の方たちが住む宮戸島があるのですが、そこでは「地震のあとは津波が来る」と昔から言われており、多くの方が高台に避難して無事だったそうです。
しかし、野蒜地区はサラリーマンや農業をされている方が多く、津波が来るという意識は高くなかった為、被害が大きくなってしまったようです。
地域に昔から伝わる教えというのは、未来の人への生きるための術になるのですね。
今回の大震災も、しっかり後世に伝え広めることで減災になるのだと感じました。
野蒜地域交流センターには、階段の上まで津波が来たという目印があります。
娘に「あそこまで波が来たんだって」と伝えたところ、娘は「・・・・・・」。
帰ってきた後に描いた絵に階段がありました。(伝わった???)
■震災伝承スペース 「つなぐ館」
ここでは震災時の写真や街の模型を見ることができます。
窓から見える街灯に登って、津波から避難している人が写された写真があったので、「この写真は、外に見えるあの街灯に登っている写真だよ。あそこの屋根まで水が来たんだね。」と子供たちに説明しましたが無反応・・・。伝えるのって難しいです。
■「石巻津波伝承AR」アプリで街歩き
震災時の様子と今を見比べることのできる、「石巻津波伝承AR」アプリで街歩き!
と計画していたのですが、時間が押していて暗くなってきたのと、寒さとで、「つなぐ館」周辺で使って終了・・・。
子供達は興味深々でしたので、次回はもう少し時間をとりたいと思います。
2日目
■語り部バス(南三陸 ホテル観洋)
ルート : 戸倉地区 → 高野会館前 → 防災庁舎
《南三陸町立戸倉小学校》
震災の2日前に震度4の地震があり、避難マニュアルの再検討のために、会議が開かれたそうです。
当初は戸倉小学校の屋上が避難所だったのですが、地元の教師から屋上という選択ではなく高台が良いという主張があったため、会議の後に校長先生と2人で高台を訪れ、懸念点を考慮した上で、3月10日に避難訓練をして避難場所を考え直したそうです。
教師は両親から『地震が来たら、津波。津波の時は高台へ』と教えられていたそうで、その教えを信じ、周りを動かしたんですね。
震災の日は1次避難の校庭をカットして、教室で点呼をとった後そのまま高台へ。
その的確な判断が命をつなげました。
3月9日に地震が起きた後の対応の早さは目を見はります。
海から近いということで、津波への意識も高かったことが大きいのですが、組織の中で自由に意見を言い、それをしっかり受け止めることができる集団だったということが、良かったのだと感じました。
《高野会館》
震災時に津波が4階の屋上(17m)まで来た為、更に上まではしごを登って、何とかみんなで生き延びたそうです。幸いにもペットボトルが10本災害用にその場所に置かれており、皆で蓋一杯づつ飲んだとのことでした。各階にしっかり備蓄をしていたことで、たった蓋1杯とはいえ水を飲むことで327名の命が救われました。
いつか来るであろう災害にしっかり備えることはもちろんですが、備蓄を置く場所というのもの大切だということを知りました。
《防災庁舎》
ここでは最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いたということを教えていただきました。
マスコミが天使の声として一人だけを注目していましたが、実は三浦毅さんという方が最後まで放送していたということでした。(テープで検証して分かったそうです。)
マスコミが美談のように一人だけに注目していましたが、公の場で伝える際に、どうしたら視聴者に届くかを考えすぎるあまり、真実が伝わらないことがあることを知りました。
■リアス・アーク美術館
以前から気になっていた場所だったので、今回の東北旅行では必ず見に行こうと思っていました。
ここでは震災直後に三陸沿岸部で集めた「被災物」が展示されています。
被災物にはハガキに物語が添えられており、その物が使われていたということを想像させられました。
また、震災時に語られる言葉の意味を一つづつ考えているパネルがキーワードとしてあるのですが、かなり厳しい言葉もあり、津波を大災害化させないためには、今回の震災をしっかり受け止め反省し、自分たち人間が変わらなければいけないということを感じました。
震災については現地でないと実感しにくいというのが東北を訪れた私の感想ですが、復興が進んで街が創られていくと、現地を訪れても震災の状況が分かりにくくなっていきます。
そんな中でこの美術館の展示は、復興後も災害を忘れないため、後世に記録残すための強い思いを感じました。
■復興屋台村 気仙沼横丁
お昼は復興屋台村 気仙沼横丁 『大漁丸』さんで!
どれも美味しかったのですが、めかぶ丼が私のハートを射抜きました。
「美味しすぎる~♪」
旦那はうに丼を満足気に食べていました。
お腹はいっぱいでも甘いものは別腹ということで、『こばらぼ』さんで子どもと3人でクレープとワッフルを食べました。
ワッフルは子供が作らせてもらえるということで、娘が喜んで作っていました。
ちょうどイベントをやっていることもあり、活気あふれる屋台村でした。
■ビジターセンター&津波体験館
ここでは映像・音響・振動・送風で津波を疑似体験しました。
子どもたちがニコニコ笑って体験していたので、津波の恐怖は残念ながらあまり伝わらなかったようです。
楽しく学ぶというのも良いのですが、個人的な感想としては、せっかく疑似体験ができるならもう少し怖さが伝わって欲しかったです。
しかし、幼児が11分間じっと座って静かに見ていたのも事実です。
大人の感想はさておき、小さな子供に津波をイメージしてもらうためには、一度体験してみるのも良いと思いました。
最終更新: