息子へ。被災地からのメール(2013年2月4日) iRyota25 2013.02.04 0 1,617 1 2013年2月4日 減災について 東北に行って、期せずして同じような言葉を聞いた。それは、震災を思い出す瞬間のこと。 まず下敷きになったお話は、父さんの会社の同僚の言葉。彼は阪神・淡路大震災で被害を受けた尼崎市の出身で、震災当時は小学生だったそうだ。それでも、「1月
息子へ。被災地からのメール(2012年10月21日) iRyota25 2012.11.06 1 1,616 0 2012年10月21日◆久之浜(福島県いわき市)~石巻(宮城県) 今日は福島県いわき市久之浜から宮城県石巻への移動日でした。移動日とはいえ、途中、南相馬の雑草が生えた瓦礫の山や、踏切の部分以外、線路が消えてしまった山元町や亘理町の津波被害の跡など、いろいろなものを目
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月13日) iRyota25 2013.04.15 0 1,608 0 2013年4月13日 宮城県石巻市・女川町 高速道路を下りた9人乗りの大型タクシーが、石巻市の海岸近くの大街道という町に入ると、車中の会話が途絶えた。それまではプロ野球の話で盛り上がっていたのに、急に車内がシーンとした。窓の外には建物が撤去された後の空き地が広がって
息子へ。被災地からの手紙(2013年6月1日-その1) iRyota25 2013.06.07 1 1,606 1 2013年6月1日 福島県白河市 東北の初夏ならではの淡い新緑の中、真っ白なオオデマリの花が咲いていた。なだらなかな丘に囲まれた畑のような場所に、木造の古民家が1軒。レンガ造りの小屋が1軒。貨車が2両。そして「原発災害情報センター」と掲げられた、まさに建設途上の木造
息子へ。被災地からのメール(2012年11月20日) iRyota25 2012.11.27 2 1,595 1 2012年11月20日 ◆ 石巻の夜 Facebookで写真をちら見して、ぜひとも食べてみたいと訪れたレジリエンスバー(石巻日日新聞が運営する「絆の駅」の2階にあるスペース)。垂涎の的と目を付けていたのは「ウニクリーム生パスタ」。新聞社の社長の近江さんがマスターに変身した姿で
息子へ。被災地からのメール(2012年11月23日) iRyota25 2012.11.27 2 1,589 0 2012年11月20日~23日 ◆ 11月20日・石巻の夜 ~ 11月21日・雄勝町 ~ 11月22日・福島県本宮市 ~ 11月23日・石巻&女川町 で、黒ずくめの彼と父さんが次に行ったのは、すぐお隣のアートギャラリー。それも震災後に新しく解説されたギャラリーで、そこはただ単に絵を飾ったり販
息子へ。被災地からのメール(2013年2月2日) iRyota25 2013.03.01 1 1,580 0 2013年2月2日 宮城県石巻市 今回のメールは電器屋さんの系列店のお話。部分と全体という、ちょっと深めの話です。 どういうわけだか、東北でいろいろ話を聞いて回っていると、電器屋さんに懇意にしてもらうことが多い。家電製品を買う時には、自分たちは大型のチェーン店に行
息子へ。被災地からのメール(2012年11月17日) iRyota25 2012.11.18 0 1,561 0 2012年11月17日◆石巻(宮城県) 石巻の中心地を流れる旧北上川の中州に、UFOのような建物がある。「サイボーグ009」や「仮面ライダー」の作者、石ノ森章太郎の作品を中心としたマンガミュージアム、石ノ森萬画館だ。 高いところで17メートルもの津波に襲われた石巻では、河口
息子へ。被災地からのメール(2012年10月23日) iRyota25 2012.11.06 2 1,560 0 2012年10月23日◆女川~南三陸(宮城県) 本日のご報告は少し長くなります。 暴風雨警報が出された荒天の中、今日は女川から石巻に戻って南三陸まで走った。行く先々で、これまでに何度かあった人と再開することができました。 そのうちのひとり、海岸線のすぐ近くでガソリンス
息子へ。被災地からのメール(2012年12月1日) iRyota25 2012.12.04 2 1,555 0 こんな夢を見た。駅に向かって歩きながら、いつも左に曲がる路地を右に曲がったら、目の前には日和山へ向かうなだらかな道が続いていた。道の両側には石巻の商店街。電気屋さんのおじさんが笑っていたり、ヒマワリのお姉さんが自転車で疾走してしていったり。サルコヤ楽器店の
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月4日) iRyota25 2013.03.04 1 1,552 0 2013年3月4日 宮城県石巻市 劇的ビフォーアフターの決め台詞じゃないけど、「なんということでしょう!」がいっぱい。前回、石巻の復興民泊でも飛び出したフレーズだけど、今回の石巻もたくさんの驚きに出会える予感。いやもう一日目からたくさん出会ってしまった。 今日の「
息子へ。被災地からのメール(2012年12月23日) iRyota25 2012.12.31 2 1,550 0 12月23日 石巻街なか あたりが暗くなりはじめるとともに降りだした雪が、街をうっすらと覆い始めた頃、石巻の街なかのアートスペースに元気のいい二人連れが駆け込んでくる。 「あ、やっぱりそうだ!」と一人が小さく叫ぶように言う。 「雪が降ってきたけど、私、今日、とって
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月23日) iRyota25 2013.08.25 2 1,543 0 第43回全国中学校バスケットボール大会(静岡県浜松市) バスケの試合を生で見るのは初めてだったけど、女川中学女子バスケの第一試合を見ただけで、バスケの魅力に引き込まれた。 試合開始直後は劣勢だった。ボールが手に着いていない感じだった。相手の攻撃パターンは決まり
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月9日) iRyota25 2013.03.12 1 1,542 0 2013年3月9日 宮城県石巻市狐崎浜&蛤浜 いろんなことがつながっていく。ちょっとした予定変更から、サークルが大きく広がっていく。 それは去年の秋のこと。レジリエンスバーでたまたま知り合ったケースケさんに「蛤浜プロジェクト」のことを聞いた。蛤浜は以前から行きたか
息子へ。被災地からのメール(2012年11月25日) iRyota25 2012.11.27 0 1,536 0 ◆ 2012年11月25日 石巻の中にある奇跡の石巻 理知的で、スマートな「2.0」の彼の話を聞いた後、もちろん手土産として持って行ったお菓子「ちゃきん」はおいていったよ。でも、全部おいていったから、自分自身は味わっていない。「あれま!これじゃ記事書けないじゃん」と思っ
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月12日) iRyota25 2013.08.16 4 1,535 0 岩手県大船渡市盛 ずっと会いたかった人についに会えた。 とっぷりと暮れた夜の盛駅。 BRTのバスが専用レーンの闇の中にテールランプの残像を曳いていく。 彼は忙しかった。ほんとは10日に会う予定だったが、彼は福島から戻れなかった。 11日には仕事に加えて気仙沼の祭りに呼
息子へ。被災地からのメール(2012年10月25日) iRyota25 2012.11.06 0 1,531 0 2012年10月25日◆陸前高田(岩手県) 明日はどこに行くの?と気仙沼の人に聞かれて「陸前高田」と答えると、「あっちは気仙沼よりもっと大変だから、なかなか話をしてもらえないかもしれないなあ」と言われた。 陸前高田に入ると、何もない風景が広がっていた。どこまで行って
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月10日) iRyota25 2013.08.16 3 1,526 0 宮城県南三陸町「長須賀ビーチ」 かつてこの砂浜は瓦礫だらけだった。 砂を掘れば掘っただけ、海と陸にあったありとあらゆるものが出てきた。 でも、さらに以前、津波より前、この砂浜は東北でも有数の美しいビーチだった。 いま、このビーチは奇跡的によみがえった。 それも
息子へ。被災地からのメール(2012年11月26日) iRyota25 2012.11.28 0 1,512 0 ◆ 11月26日・気仙沼の再会 40メートルを超える津波遡上高を記録した大船渡市三陸町綾里(おおふなとし・さんりくちょう・りょうり)の漁港や小学校、そして海水浴場を見て回った後、気仙沼に戻って一泊。夜やることがあったので以前お会いした人を訪ねて、気仙沼南町界隈を走
息子へ。被災地からのメール(2012年11月29日) iRyota25 2012.12.03 0 1,499 0 石巻駅からそう遠くない中心商店街のとある小さな路地。厚い扉を開いて階段を登りつめると、そこは隠れ家のような別世界がありました。広くはないが落ち着いた雰囲気の店内から、「いらっしゃいませ。お越しいただいてありがとう」と奥さんの声。お店の空気と一体になったよう
息子へ。被災地からのメール(2012年11月2日) iRyota25 2012.11.07 0 1,495 0 2012年11月2日◆大久町小久(福島県いわき市) 前回、久之浜の浜風商店街で出会った農家の方と待ち合わせ。落ち合ったのはやっぱり浜風商店街。2回目の来訪ですが、お店のみなさんが覚えていてくれて、「こんにちは」と挨拶したり、「料理頼まなくてもいいからお茶して行け」と
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月18日) iRyota25 2013.04.22 1 1,471 1 2013年4月17日21時03分の地震 気仙沼からの移動中で、自動車専用道路を走っている時だったので、地震にはほとんど気づかなかった。 高速を降りて国道を走っている時に、道路情報の電光掲示板に「大地震発生」という赤い文字が見えて何事かと思った。「大地震発生」という文字
息子へ。被災地からのメール(2012年11月24日) iRyota25 2012.11.27 0 1,441 0 2012年11月24日 ◆ 石巻のきれいな夕日の日差し中で でも、そんな重たい気持ちを経験をする中で、黒ずくめの先輩の姿が鮮やかに感じられてきたんだ。不思議なこと、おかしなことかもしれない。自分の中で感じていることを誰かに分かってもらいたい、共有したい、なんでもいいか
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月14日) iRyota25 2013.04.15 0 1,440 0 2013年4月14日 宮城県石巻市 会社の皆さんとは石巻で別れ、父さんは居残り。 その晩、けいていさんからいいアイデアをもらった。 被災地に行きたいけれど、行って何をしたらいいのか分からないという人は多いんだよね。震災から2年が過ぎたけれど、いまでも「初めて来た」とい
息子へ。被災地からのメール(2012年11月28日) iRyota25 2012.11.29 0 1,427 0 2012年11月28日 石ノ森萬画館のリ・オープンからほぼ1週間。再開に向けて奔走したスタッフの方に会ってきたよ。 石巻の津波の写真を見ていると、町に流れ込んだ津波の中に、宇宙船のような形の萬画館がまるで浮かんでいるように見えるものがある。萬画館は川を逆流してきた大