息子へ。被災地からのメール(2012年10月25日)

iRyota25

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2012年10月25日◆陸前高田(岩手県)

明日はどこに行くの?と気仙沼の人に聞かれて「陸前高田」と答えると、「あっちは気仙沼よりもっと大変だから、なかなか話をしてもらえないかもしれないなあ」と言われた。

陸前高田に入ると、何もない風景が広がっていた。どこまで行っても建物の基礎ばかり。残っている構造物は、津波でぐちゃぐちゃに破壊されたスーパーやJA、そして天井部分が破壊され、階段状の観客席が青空にさらされている市民ホール。話を聞こうにもほとんど人の姿がない。車すらあまり走っていない。

あらかじめ調べておいた山沿いの仮設商店街に向かう。ひと山越えた先にあるように思えた仮設団地だが、ここにも津波は川を逆流して押し寄せたという。

仮設商店街のバス乗り場近くに、お茶っこ(お茶しながらおしゃべりすること)用のプレハブがあって、中におばあちゃんが3人いたので話しかけたら、

「雑誌とか新聞とかだったらこりごりだ。写真も撮られちゃ困る。話ならしてもいいけんど、記事とかにはしねえでけろ」

と言われて二の句が継げなかった(少しはお話ししたけどね)。

町が消えるほどの被害を受けて、その後はマスコミとか見物の人がたくさんやって来て、外の人に対して警戒してしまう人も少なくないのかもしれない。「被災地」と呼ばれるところは、きっとどこでも同じだろう。

それでも、以前から取材したいと思っていたお菓子屋さんからは話を聞くことができた。しかし、やっぱり最初はどこか「品定め」するような、こちらをチェックするような眼差しで、それがちょっと痛かった。変に緊張してしまって、いつものように取材の話を進めることができなかった。

だけど、時間が経つうちに、少しずつ言葉が増えていく。最初はお菓子の話。そしてお菓子の材料へのこだわりの話。地元の材料にこだわってお菓子作りをする上での苦労。仮設の店舗をオープンするまでのこと。

和菓子から洋菓子まで、おいしそうなお菓子がたくさん並べられた仮設の店頭で、1時間半くらい話したかな(たぶん、とても迷惑だったはずだ)。話題はお菓子から将来へ向けての街づくりの課題へと広がって行き、「ぜひまた話を聞かせてください」と言って別れた。

丁寧に話を聞けば、少しずつつながりを広げていくことができる。今日も同じことを実感したよ。初対面の人とでも、じっくり話せば知り合いになれる。

ましてや、被災地と呼ばれるところで生きている人には、「伝えたい」気持ちがひとりひとりの中にたくさんある。たくさん話したいという気持ちを持っている人がたくさんいる。取材とかインタビューとか一方的なスタンスではなく、教えてもらったり語り合ったりすることで、お互いに少しずつ理解していくことができたら、このつながりはきっと自分の財産になると思うんだ。

10年とかそれ以上の時間が掛かることだから、ゆっくり、じっくり知り合いを増やして行きたいと、父さんはいま思っています。

いつか近いうちに東北を訪れることがあったら、このお菓子屋さんにもぜひ連れて行ってあげるよ。地粉や地玉子にこだわったお菓子は、しっとりと甘くて美味しいからね。

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