息子へ。被災地からのメール(2012年10月23日)

iRyota25

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2012年10月23日◆女川~南三陸(宮城県)

本日のご報告は少し長くなります。

暴風雨警報が出された荒天の中、今日は女川から石巻に戻って南三陸まで走った。行く先々で、これまでに何度かあった人と再開することができました。

そのうちのひとり、海岸線のすぐ近くでガソリンスタンドを経営するKさんは、こんな話をしてくれました。

「絆なんてウソだ。そんなこと言ってること自体がうさん臭い」

ちょっとびっくりしましたか?

震災で仕事の環境を失った人たちが、たとえば船や農機具を共同購入するとかいう話はどうなったんですか、とたずねたところ、「共同で買ったって、使う時期がバッティングしたらどうする?」「お先にどうぞ、なんてやってたら、自分のところが潰れてしまう」「故障とかした時に、誰が使ってた時に壊れたなんて話にもなりかねねえ」「結局、無理してでも自分で何とかするしかないんだな」といった話の最後に飛びだした言葉です。

助け合おうとする気持ちや、困っている人に手を差し伸べたいと思うことは良いことだと思います。Kさんも絆そのものを否定しようとしているわけではありません。なぜならKさん自身、震災直後には近所の小学校などの避難所に、無償で灯油やガソリンを配ってまわったくらいだから。

Kさんが言いたいのは、美しい「絆」だけでは、どうにもできないことがある、ということ。生きて行く上では、きれいごとだけでは済まされない。だからこそ、自分のことは自分でやるという覚悟が必要だということだということを、Kさんは独特の言い回しで表現してくれたんだと思います。

◆ 自虐を織り交ぜての主張

南三陸でも、今回で会うのが3回目になるTさんから、オフレコの話をたくさん伺いました。

避難所の頃から救援物資の受け入れ担当をしてきたTさんは、支援してもらうたびに、礼状を送ったり、時には震災後初めて収穫されたワカメなど地元の品々を送ったり、「絆」を大切にしてきた人です。

「支援してくれる人の好意に応えることができなければ、人間じゃねえ」

彼はきっぱり言い切ります。でも、そう言う彼の言葉の向こうには、自分のところにできるだけ多く支援してもらえるように働きかけたり、支援された物を取り合ったりする人たちが存在することが透けて見えてくるのです。

支援する人の中には、余っている物を送るということだけではなく、支援するためにわざわざ育てた農産物や、ボランティアの人たちが汗を流して作ったり集めたりしたものを届けてくれる人も多いそうです。絆を感じて支援しているのです。

「それが分かっていないはずないのに、支援を物資としてしか考えない人たちがいる」

と嘆くのです。支援の話だけではありません。オフレコという約束なので書けませんが、震災を境にして、物欲や金銭欲丸出しの人が、地域を踏みつけにするようなことが増えているように感じるそうです。そんな話の後、彼は自虐をこめてつぶやきました。

「こんな時には、自分のことを一番に考えなければならないのかもしれないな」

もちろん、そんなことができるようなTさんではありません。あまりにも人間の本性を見てしまうようなことが多くて、大きな体を小さくクシャクシャにして苦悩しているのです。

二人の話に共通するのは、「この先をどうなるのか、誰にも分からない」「だから銭金に走るやつがいやになるほど出てくる」「見通せない状況を作っている人はいるけども(具体的には、いっこうに話が前進しない行政や政治の問題)、そんだけの問題ではねぇ」「声が大きい人、発言力のある人たちの金儲けで町や地域の未来が決められて行ってるように見えて仕方がない」「でも、それも人間という“自然”なんちゃ」・・・

ちょうど震災の前あたり、「日本人の品性」なんて話がはやっていましたが、そんな薄っぺらなものは震災で吹っ飛んだように思う。切羽詰まったところで、人間の本性があらわになるのです。人に向かうか、それともゼニに走るのか。

◆ 被災地と呼ばれる場所を一緒に旅しよう被災地の状況は何も変わりません。いま、被災地では被害を受けた大型の建物の解体と、住宅等の基礎コンクリートの解体が進んでいます。女川などまさに更地。何度も行っている場所なのに、道に迷うほどです。ガレキであれなんであれ、目印だったものがまったくなくなった状態です。

南三陸でも、「建物の基礎が残ってた間は、そこに何が建っていたか、面影くらいはあったども、いまは分からね。ここさ何が建ってたっけ?って仲間と話すほどだども」と工事の人が話してくれました。

そんな町で、話を聞いた人のほとんどの方が「進まねばならね」と言います。

しかし、同じ人が同時にこうも言うのです。「だども、進めたくても進められねえっちゃ」。

石巻での「動き」はまさにガレキだらけの未来に向かって突破口を探る行く試みだと思います。

久之浜でのことは、若者の「なんとか突破したい気持ち」と、彼らが守りたいと思った「おじいちゃんたちによるサポート」のストーリーです。

しかし被災地には、目に見えにくいところでドロドロしたものがのたうっているようにも思います。ぜんぶ「人間」がやっていることです。南三陸で感じたものは久之浜にもあり、久之浜にあるものは石巻や女川にもあるのだと思う。もちろん、被災地と呼ばれる地域の外側には、もっとドロドロした人間がいるのも事実です。

話す人が増えれば増えるほど、闇が深まります。質感をもった深い闇に包まれていくような気がしてきます。でも同時に、話す相手が増えるほどに遠くに見えるピンホールのような小さな光が輝度と彩度を高めて行くようにも感じています。

どう伝えるべきなのか、もしかしたら話すべきではないのかもしれないと悩みましたが、感じたことをそのまま届けることにしました。

今度、一緒に東北を旅したいと思っています。別にどろどろしたものを感じてもらわなくてもいいけど、ここでいろいろな人の話を聞くことで、きっと感じてもらえることがあるように思います。

明日も部活、がんばってください。宿題もあんまり手を抜かないようにね。

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