息子へ。被災地からの手紙(2013年4月18日)

iRyota25

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2013年4月17日21時03分の地震

気仙沼からの移動中で、自動車専用道路を走っている時だったので、地震にはほとんど気づかなかった。

高速を降りて国道を走っている時に、道路情報の電光掲示板に「大地震発生」という赤い文字が見えて何事かと思った。「大地震発生」という文字の後に「の時は車を停めて避難」とか「(テスト)」とかって文字が続いているんだろうなんて、うかつにもそんな風に思っていた。

宿泊地に入って、留守電とかFacebookの書き込みとかがいっぱいだったことで初めて地震が本当に起きていたのだと知った。

「地震、大丈夫か?」と一言留守電に入れてくれた人。「慣れていないだろうから慌てないように」との書き込み。「情報に気を付けて」、「今日は服を着て寝るよ」、「靴は枕元に。軍手も忘れずに」といったアドバイスや、挙句には「ほんとうに地震ばっかりでゴメンなさい」と謝っていくれる書き込みまで。

東北の人たちのやさしさに、うるるとしてしまった。
そしてその直後、いかに自分が無防備だったかということも思った。

振り返ってみれば、ちょうど地震が発生した時、タイヤが何となくふにゃふにゃっとしたような感覚があった。走行中に大震災に見舞われたという人から聞いた話を何となく思い出していた。でも、地震だとは思わなかった。ラジオもつけなかった。ちょっとした違和感はあったが、運転に支障はなかったので「まさか」地震とは思わなかった。

気仙沼の美術館で、地震への備えの話をしたことを思い出す。それはまさに「まさか」という感覚についての話だった。大地震や巨大津波に見舞われた時、「逃げなきゃ!」とすぐにスイッチが入る人とと、「えっ、何これ、まさか」と思ってしまう人がいるという話。たぶん今回の震災でも、「まさかこんな大きな津波がくるなんて」とか「信じられない」とか、現状を認識できないままに命を落とされた方がたくさんいたのではないかという話。

そんな話をして、自分は「まさか」なんて思わないと確信していたのに。

人間は何の根拠もなくこんな風に考えてしまうらしい。「自分だけはだいじょうぶ」。

それが一番危ないということを身をもって学ばされた。

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  • P

    pamapama

    運転中の場合など「地震とはわからなかった」という場合でも津波の危険は迫っているのかもしれないと思うと、普段からの心がけがいかに大事なのか、「忘れないように」と呼びかける人の役割の必要性などを痛感しますね。