息子へ。被災地からのメール(2012年11月25日)

iRyota25

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◆ 2012年11月25日  石巻の中にある奇跡の石巻

理知的で、スマートな「2.0」の彼の話を聞いた後、もちろん手土産として持って行ったお菓子「ちゃきん」はおいていったよ。でも、全部おいていったから、自分自身は味わっていない。「あれま!これじゃ記事書けないじゃん」と思って、25日はとにかく「ちゃきん」を味わうことが大前提だった。とは言え、ただ買うだけではなくて話も聞きたいなんてスケベ心もあったから、お店を伺ったのは午後。意外や日曜日はお客さんが少なくて、品物を買った後、スムーズに話を聞くこともできた。

狙いの取材ターゲットをゲット(すげーイヤな言い方だね)。しかも、とても暖かい言葉までいただいて。

取材で感動できることって、父さんの仕事の醍醐味だと思う。そして、いま感じている感動の中には、2011年3月のことも、それから後の様々な出来事のことも含まれている。

「笑いの裏に悲しみがあるのよ」とか「家にひとりで帰った後の寂しさ、わかる?」

これまで、そんな言葉をたくさんの方から聞いてきた。さすがにそんな言葉を耳にした直後は、楽しそうに話してくれる人にどんな顔で応えるらいいのか分からなくなる。少し時間があくと忘れてしまいがちなんだけど、被災を経験した人にとっては、人によって違うらしいけど毎日とか、何時間に一度とか、ひとりになった時にふととか、あるらしい。

だって、笑ってる人に笑顔で応えることが、相手を傷つけてしまうかもしれないんだよ。どうしたらいいの?

どんな顔をして接したらいいんだろう。そんな思いは、どこかですっぱり解消するようなものではなくて、くりかえし何度もやってくる。

レベルは違うけど、悲しいことを思い出すこと、父さんにもある。お前にもそのうち、そんな心の傷みが生じることがあるかもしれない。

そんなことを考えながら行った場所が、昨日の「2.0」のたまたま隣に開設された日和(ひより)アートセンター。石巻市と横浜市のコラボで実現したアートギャリー。ギャラリーとは言っても、ただ美術作品を展示したり販売したりするだけの場所ではない。日和アートセンターは作品を展示する作家が、石巻に住み込み、石巻で生活しながら展示する作品を作り出す、そのプロセスも含めて発信するギャラリー。

インスタレーション制作とか、即興アートとかではなく、常設の展示作品を時間をかけて制作し、その作品を展示する場所。散歩中の市民がふらっと立ち寄って「昨日より進んだんだね」とか、「完成してどんな展示になるのかが楽しみね」とか、町のく人たちと制作過程そのものが関わっていくような場所だ。

訪れた時に作品を制作していたのは、石巻出身のちばふみ枝さん。

インタビュー中も黙々と作品に向かって、しゃがみこんだ姿勢でノミを当て続けていた。彼女、立体造形の作家で、まだ美大を卒業して数年しか経っていない。同年代の中で卒業後も制作活動を続けている人は数少ない。だけど話をしていると、彼女はとってもしっかりした美術観を持っているし、目指している姿も明確で、とても好感が持てたんだ。

元美術記者として、美術の話ができることがうれしかったということはあるけど、それ以上に、「先行きどうなるかわからない状況の中で、ひとりの人間が、自分はこうすることが“当然だ”という意識で制作活動を続けている。しかも、進む先にはいばらの道が続くのに」というところに感銘を受けた。その姿そのものが貴いと思った。

貴いと思うとそのまま伝えると、彼女は言ったさ。

「昔の石巻だったら、現代アート作家の自分が、この町でこんな活動ができるなんて、考えたこともなかった」

でもね、

「作家としては、この町で育って生活してきた自分が、ここで美術の活動をできることが、とてもすんなり感じられているんです。でも、かつての状況を考えればあり得ないというふうに理解できる。震災をきっかけに若い人たちが外からたくさん来てくれたり、いろいろな活動をしてくれていることで、いまここで制作活動している自分があるという意識はあります」

「別に、市民活動をしようとか、そういう思いはいまのところありません。でも、ふつうに自分がやっている活動が次の石巻の在り方につながってほしいという思いはあるんです。不思議ですね、自分の中でも考え方の変化が少しずつ出てきているように感じることがあります」

って言うんだ。彼女の肉声からどんな言葉を拾い上げるか。これは聞いた側の問題さ。とても素直な言葉だから、聞く人、編集する人によって、よじ曲げることもできるかもしれない。でも、彼女の話を全体として聞いていると、そこにはストレートにつながった軸があるように思う。

震災で大きく変わった石巻。あまりにも大きな被害を受けたけれども、これから先、立ち上がる石巻は「かつての石巻」を復元するのではないだろう。この震災を経て少しずつ変化せざるを得ない石巻の現状と、この震災をきっかけに新しい血や思いが注がれる中で、これまでとは全然違う、まったく新しい石巻として生き返っていくんだろうと思う。

石巻の町中で、彼女と同じ感性が新しい言葉や形を求めて動き続けている。

「ISHINOMAKI 2.0」という活動のネーミングもその象徴のひとつだろう。レジリエンスバーの過去から未来への踊り場(正確には1階から2階への階段の途中の壁だけど)に掲げられた「変化する力」という書も、次なる石巻のあるべき姿を示すものだと思う。

そしてまた、夜な夜なギャングのような装束で、心ある人々、心ある人々が集う場を、半ば強引に、しかしファニーに紹介し続ける“大切な先輩”みたいな人、つまり、極限まで自分の良心を貫いて生きている人たちの手によって、まったく新しい石巻が生まれようとしているのだと感じるんだ。

彼らはとってもパワフルだけど、別の意味(たとえば政治的力とか経済的な影響力)では必ずしも力を持っているとはいえないかもしれない。

そういう意味で、いまがせめぎ合いのさ中。

いまこそ、もうちょっとの力が必要なのだと思う。

力ってなんだと思う?

俺はいま、ここに来て、ここにいて、こう思ってる。それは「そこにいる人と言葉を交わして、共感することだよ」と。

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