未来への伝言「越喜来の潮目」の2016年6月 iRyota25 2016.06.24 7 5,155 0 この日も越喜来の「潮目」は健在だ。潮目はまるで秘密基地のような場所。高い塔が空に向かって背伸びする。ジャバラパイプの滑り台がある。ボートを使ったブランコがある。建物の中には秘密のトンネルもある。 まるで子どもたちの夢を形にしたみたいな秘密基地のほぼすべてが
【遺構と記憶】被災地を目指す人たち(3)北海道新幹線開通で iRyota25 2016.06.22 4 1,977 0 陸前高田の奇跡の一本松は、復興工事の工事現場の先にあるので、そこまでは歩いて行かなければならない。起点となるのは一本松茶屋のある「一本松駐車場」。 ここには乗用車だけでなく、被災地ツアーの観光バスもたくさんやってくる。 梅雨の合間のカンカン照りの日曜日、日陰
【遺構と記憶】被災地を目指す人たち(2)奇跡の一本松 iRyota25 2016.06.22 2 2,245 0 復興工事がおおむねお休みの日曜日でも、陸前高田の海沿いは砂埃が風に舞う。それでも今日もたくさんの人たちが、一本だけ残った奇跡の一本松目指して歩いていく。 団体の人も、家族連れも、仲好さそうなカップルも。むき出しの造成地に日差しが照りつけ、砂埃が舞う中を、あ
【遺構と記憶】被災地を目指す人たち(1)大槌町役場旧庁舎 iRyota25 2016.06.21 2 2,144 0 梅雨時に奇跡的に晴れた日曜日、岩手県大槌町で震災遺構として保存されている町役場の旧庁舎前には、たくさんの若者たちの姿があった。 ひとりひとり、あるいは2、3人のグループになって、パネルに囲まれた大槌町役場の遺構の周辺を歩き回りながら、写真を撮ったり、何かに見
かさ上げされた盛土の上の別世界 iRyota25 2016.06.20 4 7,092 0 津波被害を受けた地域では、これから先の津波災害に対処するため、各地でかさ上げ工事が進められている。かさ上げとは、他の場所から土を持ってきて土地を高くすること。大げさな言い方をすれば、高い所から低い場所へという自然の摂理に抗って行われる、人類ならではの地球改
海辺の地をゆく「陸前高田市・脇之沢」2016年6月12日 iRyota25 2016.06.20 4 2,328 0 陸前高田といえば「奇跡の一本松」のイメージが定着している。一本松の背後には現在、巨大な防潮堤の工事が進められている。気仙川から浜田川に至る約1.9kmの第二線堤と呼ばれる防潮堤の工事はすでに最終盤だ。 一本松を西側、気仙川の対岸から眺めると、一本松の海沿いに高い
一本松をうたいあげる歌碑「孤松巌上」 iRyota25 2016.06.19 3 3,070 0 震災遺構として保存されている陸前高田市の旧道の駅「タピック45」前広場に、奇跡の一本松を歌い上げる歌碑「孤松巌上」が設置された。 「孤松巌上」は陸前高田市出身の歌手、千昌夫が2011年に発表した「いっぽんの松」を作曲した船村徹氏の揮毫によるもの。 歌碑の台座には「
【明治三陸津波120年】120年前はほんの昨日 iRyota25 2016.06.17 1 10,226 0 明治29年6月15日午後7時32分、岩手県釜石市東方約200kmを震源とするマグニチュード8.5クラスの巨大地震が発生。この地震によって発生した津波は、海抜38.2mという当時の観測史上最大の遡上高を記録し、岩手県、宮城県、青森県の沿岸部を中心に甚大な被害をもたらした。 ——と
【遺構と記憶】東日本大震災で再び姿を現した吉浜の津波石 iRyota25 2016.06.13 1 3,221 0 その日、数時間前に堤防で 震災当時82歳だった柧木澤(はぬきざわ)正雄さんは、同年代の男性3人で、午後2時頃から3時頃まで海岸の防波堤を散歩するのが日課だった。2011年3月11日、その日に限って午前中に出かけると、2人のメンバーもその時間に来ていた。言い合わせた訳で
【遺構と記憶】神戸の壁のベンチ iRyota25 2016.06.03 1 3,298 0 現代アートなのかと思ったら、それは震災遺構だった。 設置されているのは、神戸市中央区の海辺に震災後に新たに作られた街、HAT神戸にある「人と防災未来センター」の前。プレートにはこう記されている。 「神戸の壁」ベンチ 1927年に建てられた新長田・若松市場の防火壁が阪
【復興支援ツアー2015】息子へ。神戸からの手紙「一杯のコーヒーの温かさをさがす旅」 iRyota25 2016.04.11 3 8,043 0 1杯のコーヒーの温かさ。それはコーヒーだけの温かさではなかった 神戸を目指したのは、東日本大震災から2年となる日、「がんばろう!石巻」の看板で行なわれた慰霊行事で出会った人たちのことが忘れられなかったから。 3月11日の光景。「がんばろう!石巻」追悼の集い 「コー
【遺構と記憶】メリケン波止場の震災遺構【神戸】 iRyota25 2016.04.07 3 5,217 0 元町駅から海に向かって歩いて行くと、ポートタワーや海洋博物館、ホテルオークラが立ち並ぶ、いかにもいかにも神戸らしいメリケンパークまでは徒歩10分ほど。寒い冬の夕方でも家族連れや恋人たちが散歩するこのエリアの一角に、不思議な景色が広がっている。 地割れで陥没し
大川小学校と門脇小学校、震災遺構として保存へ【石巻】 iRyota25 2016.03.25 11 6,169 0 3月25日、「門脇小 大川小 被災2校舎とも保存へ 亀山市長 あすにも表明」と石巻日日新聞が伝えた。記事の冒頭を引用すると―― 石巻市の亀山紘市長は、東日本大震災で被災した門脇小学校と大川小学校の校舎を保存する方針を固めた。26日午後にも記者会見を開いて表明する。亀山
【遺構と記憶】気仙沼向洋高校に刻まれた津波の記憶 iRyota25 2016.03.17 7 8,433 0 気仙沼向洋高校は20世紀最初の年、1901年に開校した宮城県立の高等学校。水産教育を中心に、地元の産業を支える人材を輩出してきた伝統校だ。 校舎は気仙沼市南部、リアス式海岸や潮吹岩で知られる岩井崎やお伊勢浜海水浴場の近くにあった。海岸からは500メートルも離れていな
住宅地は高台へ。商業ゾーンは平坦地【宮古市田老】 iRyota25 2016.03.10 1 1,625 0 田老は海の町。家々は防浪堤に守られるように海辺の平地に立ち並んでいた。しかし現在建設が進む新しい町は、山林を切り開いた山の中。 杉の木立の向こうに見える宅地が田老の新しい町になるというは、ちょっと意外な感じがしないでもない。でもそれは、津波によって繰り返し
大震災から5年[NHKの紹介ビデオ] iRyota25 2016.03.07 3 3,244 0 東日本大震災からもうすぐ丸5年となります。多くのメディアが被災地の変化したこと、変わらぬこと、時間経過とともに顕在化してきた新たな問題などを伝えています。NHKのニュースウェブは、空撮などで撮影した南三陸町の5年間、震災遺構の第一号として保存が決まった宮古市田
【復興記録写真】岩手県陸前高田市 [2016年1月下旬] sKenji 2016.02.23 2 2,319 0 2016年1月末、岩手県陸前高田市を訪れました。前回、行ったのは1年半ほど前だったのですが、その時の印象とはだいぶ変わっていました。そう感じさせたのは間違いなく「盛土」です。 盛土の高さは最大で12メートルといいます。車高およそ3メートル前後と思われるトラックよりも
「ちょっと寂しさも」陸前高田のコンベア解体 iRyota25 2016.02.19 4 4,682 0 ずっとその場所にあるような気持ちでいた。風が吹けば顔面に細かい砂粒がぶつかってくるし、かつての町なかだった場所に1時間もいれば、クルマはサンドイエローに塗装されたかのように汚れる。髪の毛はホコリでぼさぼさになるし、心なしか鼻毛まで少し伸びるような気がする。
【遺構と記憶】小さな震災遺構を探して iRyota25 2016.02.17 1 2,492 0 少し前のことですが、大川小学校の校舎保存をめぐる意見交換会が行われたそうです。遺族の人たちによる小さな命の意味を考える会のホームページから一部を引用させていただきます。 12月13日に、校舎保存についての意見交換会が行われました。 校舎を保存するかどうかは、校舎
【復興支援ツアー2015】防災・減災につなげる東北旅行レポート by sKenji sKenji 2016.02.14 3 7,644 2 今回の東北旅行のテーマは「防災・減災」です。東日本大震災の被害を受けた地域の現在を見たり、震災を体験された方の話などを通じて、自分自身の防災意識の向上、そして次に来るであろう自然災害の被害軽減に役立てたいという意識で見て回ってきました。 1日目 いざ、東北へ
【遺構と記憶】南三陸の防災庁舎2016年 iRyota25 2016.02.05 2 4,930 1 南三陸町、志津川の町を車で走ると、別の世界に来たような気持ちになる。夜中に走っていると、まるで海の上を走っているかのような錯覚に囚われてしまう。それくらい、町のかさ上げは高い。かつて町があった場所には、まるで中央アメリカのピラミッドを思わせるような高い盛土
ホテル観洋の窓辺の椅子から見える風景 iRyota25 2016.01.29 3 2,908 0 南三陸の美しい海に面したホテル観洋。エントランスから続く長いロビーを歩いていった先に、何脚かの椅子が並べられている。目の前には紺碧の志津川湾。 漁場が広がる豊かな海の向こうには、赤茶色の土が山のように盛り上げられた志津川の町。この椅子は、復興が進むふるさと
【遺構と記憶】国道45号線沿いに残された高田松原の被災松 iRyota25 2016.01.28 1 2,260 0 震災遺構としての保存が本決まりになっているかつての道の駅「Tapic45」(陸前高田市)。その敷地の片隅に被災した松の根や幹が並べられている。 決して捨て置かれているわけではない。なぜならちゃんと説明パネルも設置されているから(コンパネにカラープリントを貼り付けた
【遺構と記憶】震災遺構の保存、地元と市民に意識の差 iRyota25 2015.12.25 1 4,036 0 鹿折の道を走っていると、どうしてもその船を目が探してしまう。もう解体されてから2年以上になるのに、どうしてなのかその船を探さずにはいられない。 あの日、渦巻く怒濤となって鹿折の町を呑み込んだ津波に乗って、何十艘もの漁船が町に流れ込んだ。巨大な漁船は津波ととも
大槌町の澄み切った湧水の未来 iRyota25 2015.11.20 2 2,556 0 カモの仲間やチドリやセキレイなどなど、野鳥が飛び交い、にぎやかな鳴き声をあげているのは有名な飛来地の池ではありません。ここは、岩手県の大槌町。 池のように見えるのは、かつては町だった場所。どうして野鳥の楽園になっているのかというと、大槌町は震災のずっと以前