【遺構と記憶】被災地を目指す人たち(1)大槌町役場旧庁舎

iRyota25

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梅雨時に奇跡的に晴れた日曜日、岩手県大槌町で震災遺構として保存されている町役場の旧庁舎前には、たくさんの若者たちの姿があった。

ひとりひとり、あるいは2、3人のグループになって、パネルに囲まれた大槌町役場の遺構の周辺を歩き回りながら、写真を撮ったり、何かに見入ったり、目を伏せたり、側にいる人と小声で話したりしていた。

役場の旧庁舎前の狭い駐車場には、どうやってこの場所に入れたんだろうと思うような大型の観光バスが1台。運転士さんらしき人に「どちらからの団体さんですか?」と聞いてみたら、その人は別のグループを連れてきたタクシーの運転士さんだったみたいで、大型バスのフロントガラスに掲示されている団体名の表示を指差して、「ガンダイみたいだね」

ガンダイとは岩手大学のご当地での通称だ。たしかにバスのウインドウには、岩手大学のある学部名が書かれた札が掲示されていた。

地元の大学生が休日を使ってバスで被災地を巡っていたというわけだ。

東北の大震災からすでに5年3カ月。仮に学生たちが大学1年生だとしたら、震災発生時にはまだ中学生だった計算になる。被災地に行きたくてもなかなか行きにくかったかもしれない。

そんな若者たちが、震災から5年という年月の間に成長して、いまこうして被災地を目や耳や鼻、日差しの熱さや風の感覚も含め体験しているということなのか。

建物の周囲は白い壁やフェンスで囲われているが、被災した建物はいまも大きくは変化することなく、同じ場所に建っている。

いったいどのような力が掛かることでこのような破壊が起きたのか、あるいは、建物がこんなに酷いことになった時、そこにいた人々はどうなったのか。この場所にいまも残されている「現実」が、ひとりひとりの中に、ひとつひとつの問いを立てていく。

庁舎の一部分だけながら震災遺構として保存されることになった大槌町の旧町役場の被災した建物は、あれから5年以上の時間が流れた今日もこうして若い人たち、この地で亡くなられた人たちと同世代、あるいはもっと年上の人たち、様々な人たちに、たくさんの問いかけを無言のままに行っている。

割れたままの窓ガラスが、剥がれ落ちた壁面が、窓だった場所の穴の向こうに見える建物内部の様子が、されに庁舎の背面を覆うように伸びたツタが、時間の経過を物語る。

しかし——

この場所が震災遺構となったことで、これから先も彼ら彼女たちの後輩世代の人たちもまた、きっとこの役場跡を訪れることになるだろう。大槌町役場旧庁舎の時計は停まってしまったが、動き続ける若い時間を胸に抱いた人々が、役場の時計の折れた針が示した時刻と、その後の時間の意味を未来に伝えていくに違いない。

大槌町役場旧庁舎は、あれから6度目の夏を迎えようとしている。

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