震災遺構としての保存が本決まりになっているかつての道の駅「Tapic45」(陸前高田市)。その敷地の片隅に被災した松の根や幹が並べられている。
決して捨て置かれているわけではない。なぜならちゃんと説明パネルも設置されているから(コンパネにカラープリントを貼り付けたものだけど)。
高田松原の被災松
白砂青松の高田松原は、国の名勝や陸中海岸国立公園に指定され、年間100万人もの観光客が訪れていました。
平成23年3月11日、本市を襲った大津波により、7万本の松は「奇跡の一本松」を残してすべて倒されてしまいました。
ひきちぎられた太い木は、今も津波の恐ろしさを伝えています。
陸前高田市「高田松原の被災松」
いまでは高くかさ上げされた土地や、かさ上げ用の巨大ベルトコンベアーの残骸を遠景に、国道沿いに苦しそうな姿を晒す松の木だが、かつてここは美しい松原だった。陸前高田の人たちのこどもから大人まで、町中のたくさんの人が親しんだ松原だった。
海岸や松原に親しむということが、どんな意味を持っているのか、陸前高田の人たちに聞いたことがある。楽しかったり嬉しかったばかりでなく、甘酸っぱかったりほろ苦かったり、いろいろな思い出がたくさんあったという。小学生の頃には小学生なりの楽しい思い出が。思春期には思春期ならではの記憶が、そして大人になってからも松原を舞台にたくさんの物語が綴られてきた。「初めて彼女とデートした時のことさ、ワルガキどもに木陰から囃し立てられたんだ。いやあタチの悪いガキどもだった。おかげでチューもできねえ。でもさ、そういやオレたちも昔、アベックをからかったりしたっぺなあって思って苦笑いしたりしてさ」などなど。目をキラキラさせて話してくれた後、こう締めくくるのだ。「いまはもう無くなっちゃったけどね」
陸前高田市が保存を決めた「Tapic45」の隣に、白砂青松の松林でたくさんの人たちの思い出を包んでいて松の木が横たえられている。とても痛ましい姿ではあるが、だからといってすぐに処分するには忍びないという、町の人達の声が海風と一緒に聞こえてくるようだ。
被災松近くの国道45号線沿いには、津波で根っこから折れた交通案内標識の太いポールの残骸もある。すぐ近く、歩道と車道の間の縁石が壊れたところには花壇が作られていたりもするのだが、このポールの残骸はそのままだ。直径20センチ近くありそうな鉄のポールが引きちぎられている様が津波の破壊力を物語る。そんな遺物のすぐ側を、何台もの車が土埃をあげて走り過ぎていく。
一本松の方向に少し歩くと、道路脇の溝のようなところには、津波でぐちゃぐちゃになった金属の塊も残る。骨組みだけになった電飾看板の残骸だけは、辛うじて元の姿を想像できるが、骨組みに絡みつく折れ曲がったトタン板はシャッターのケースだったのかあるいは店舗の庇の部分だったのか分からない。クローズアップして写真を撮れば、震災1年後といっても通用するような遺物である。
道の駅「Tapic45」も同様だ。震災遺構としての保存決定からもうずいぶん時間が経つのに、建物の中は津波で破壊された当時の様子を残したまま。天井からはむき出しになった鉄筋や配管がぶら下がる姿に、覗き込んだ人たちは思わず息を呑む。外壁周辺にもケーブルや配管がぶら下がったまま。
津波の被災地には所々、どうして片付けないんだろうと思うような被害の痕跡が当時の姿のまま残されている。たぶん、復興工事を実施する時にまとめて片付ける予定で、わざわざ撤去のためだけの作業を組む余裕がないんだろうと想像していた。だが、こんな話を聞いた。これは陸前高田ではなく宮古の田老で聞いた話だが、「観光でやってくる人に、復興工事で変わっていく姿だけではなく、被害の痕跡を見てもらうため、そしてここに町があったことを実感として知ってもらうために、あえて撤去しないという面もあるんですよ」。
見渡す限りかさ上げ工事の盛り土が山のように連なり、土の色一色に見えてしまう場所だが、目を凝らせばさまざまな景色が見えてくる。そして、高田松原が広がっていたこの場所にあるのは、津波という現実、そして震災の前に町があったという過去だけではないのかもしれない。
今は10分も外にいると土埃で口の中がざらついてしまうような国道45号線沿線だが、復興工事では高田松原の再生も計画されている。10kmほど離れた半島部の斜面では、松原の松の子孫たちが緑の葉や枝を伸ばしてぐんぐん育っている。やがてこの海沿い、力尽きて倒れた被災松が並ぶあたりにも、遠くない将来、若い松の苗木が移植されることになるのだろう。
いつの日か、日本でも指折りの美しさを誇った高田松原は間違いなく復活するのだ。陸前高田の人たちの思い出のこもった松林。50年後か100年後か、未来の人たちが新しい思い出と物語を紡いでいくことになる松林。
国道45号線、被災松が横たわるこの辺りには、過去と未来、悲しみと希望の間に、今という時間が流れている。
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