【遺構と記憶】小さな震災遺構を探して

iRyota25

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少し前のことですが、大川小学校の校舎保存をめぐる意見交換会が行われたそうです。遺族の人たちによる小さな命の意味を考える会のホームページから一部を引用させていただきます。

12月13日に、校舎保存についての意見交換会が行われました。
校舎を保存するかどうかは、校舎が未来にとってどういう価値があるのかの議論が不可欠です。
「残したい」「解体したい」どちらも正しいのだから、まずは話し合いながら方向性を探るべきでしょう。

未来をひらく対話 | 小さな命の意味を考える会

引用した文章には大切な言葉が続きます。ぜひ読んでほしいページです。

 未来をひらく対話 | 小さな命の意味を考える会
311chiisanainochi.org  
 小さな命の意味を考える会
311chiisanainochi.org  

被災した多くの場所で震災遺構と呼ばれるものの撤去が進んでいます。現状は仮に残しているだけで、将来どうなるか決まっていない施設もあります。

教訓を後の世代に伝えていくためには、遺構と呼ばれる建物をぜひ残してほしいと思います。しかしご遺族の人々にとっては、目にするだけでもつらいという声もあります。あの建物を見ただけで、あの時の気持に戻ってしまうのよ、という話も伺います。いろいろ考えさせられます。

先日、宮古市田老の方に聞いたのです。田老の防潮堤の上に、津波で倒されたままの街灯がそのままの形で残されているのは、再建が進む田老の町にやってきた人が、少しでも津波の恐ろしさを想像できるようにと、本格的な改修が始まるまでは残しておこうっていう、そんな暗黙の了解みたいな気持ちもあるんですよ。

2012年10月
2012年10月
2013年12月
2013年12月
2015年9月
2015年9月
 田老の防潮堤、1年という時間
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今では多くの町で復興のための工事が急ピッチで進められていますが、それでもたしかに多くの町の片隅で、小さな遺構と呼んでもよさそうな、町の暮らしの痕跡を目にすることがよくあります。下の写真は陸前高田市の国道45号線沿い。一本松に向かって歩いて行くと……

こんな残骸が国道脇に置かれています。

骨組みだけになった電飾看板の残骸だけは、辛うじて元の姿を想像することもできそうですが、骨組みに絡みつく折れ曲がったトタン板はシャッターのケースだったのかあるいは店舗の庇の部分だったのか、金属の残骸としか言いようがありません。クローズアップして写真を撮れば、震災1年後といっても通るかもしれません。

 国道45号線沿いに残された高田松原の被災松
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被災松が安置されているかつての道の駅「タピック45」もそうです。震災遺構としての保存が決定しているにも関わらず、内部には崩れ落ちた天井やむき出しになった鉄筋や配管がぶら下がり、震災直後の様子が残されています。

もちろん私は遺構マニア、残骸愛好家などではありません。がれきのように見える物のひとつひとつが、津波到来のその一瞬前までには誰かの家の一部だったり、大切な思い出の品だったり、想い出深い場所だったりということを想像することができれば、「震災遺構の喪失感」を少しは穴埋めできるのではないかと思うのです。

同じ場所から西の方北の方、かさ上げの土が盛り上げられて間から、一軒のビルが見えます。あのビルの持ち主が屋上のさらに上までよじ登ってようやく津波を生き延びたという米沢商会の建物です。新聞などのニュースで保存の意向ということでしたが、果たして残すことができるのか、どうか。

 季節のめぐりの中で。陸前高田の米沢商会
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 陸前高田の町なかに残されたビル
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今はこうしてかさ上げの盛土の間から見える姿がありがたく思えます。

上の写真は南三陸町の防災庁舎付近の車道です。道路の側溝が外れて、側溝の中には泥が溜まっています。塩分を含んだ土だったので、震災からしばらくの間は、初めて目にするような赤い植物がたくさん生えていたり、1年後にはなぜかコスモスが、さらにその翌年にはシロツメクサがが大群生をつくっていたりもしたものです。いま生えているのはスカンポの仲間みたいですね。

生えている植物が変化していくのも、もっと言えばかさ上げの盛土がどんどん高くなっていくのも、工事現場の重機の種類が変わるのも、安全フェンスの色が変わるのも、被災地を訪れる人たちの服装が少しずつ変化していくのも、みんな震災から経過した時間を示す証拠であり、記憶を伝える遺構と言っていいのかもしれません。私たちには時間の流れを遡ることこそできませんが、ほかになら何かできることがあるかもしれないと思うのです。

山田町から宮古市へ向かう途中、国道45号線の津軽石あたりのガードレールには、反射板を兼ねた小さな「津波浸水区間」の表示が取り付けられています。この表示はもちろん震災遺構ではなく、これからの人々の命を守るため、防災のために新たに設置されたもの。今後撤去されるものではないでしょう。

それでもこの小さな標識が、あるいは被害を受けた町の様々な場所に記された「津波浸水高さ」の表示や、役場やショッピングセンター、海沿いや工事現場などに設置されている避難ルートの表示が、津波の被害を受け場所であることを伝えているのは間違いないと思うのです。

保存か撤去かがテーマになっている遺構をどうするかは大きな問題です。ただ、多くの人達の命が関わった場所について語ろうとすると、容易には答えを見つけ出せません。

まちの片隅に残された小さな遺構(やがて撤去されることになる遺構も、震災の後に防災のために設置されたものも含めて)と関わりを持つことから始めたら、違った意見交換もできるようになるのかもしれないと、そんな予感がするのです。

 リアス・アーク美術館にある「被災物」と震災のリアリティ
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