元町駅から海に向かって歩いて行くと、ポートタワーや海洋博物館、ホテルオークラが立ち並ぶ、いかにもいかにも神戸らしいメリケンパークまでは徒歩10分ほど。寒い冬の夕方でも家族連れや恋人たちが散歩するこのエリアの一角に、不思議な景色が広がっている。
地割れで陥没した埠頭、倒れかかった街路灯。「神戸港震災メモリアルパーク」には、阪神淡路大震災で被災したメリケン波止場の一部が、当時のままの状態で保存されている。
斜めに傾いだ街路灯を眺めていると、まるで自分がふらふら揺れているような不思議な感覚につつまれる。波の音が聞こえる。阪神高速を走るクルマの音も聞こえる。おしゃれな神戸の街並みも広がっている。しかしここだけには、震度7の激しい震れの余波が21年の時間を超えて残っているように思えてくる。
そういえば、メリケンパークの入口から震災メモリアルパークに続く石畳にも亀裂が残されている。あの時の地震で出来たものだとすれば、震災遺構の上を実際に歩いているということになる。時間の感覚がおかしくなりそうだ。
被災した状態で保存されたメリケン波止場の周りには、神戸港での震災の被害と震災から立ち上がっていく過程がパネルや映像で紹介されている。
展示は21年前に神戸の港で実際に起きたこと。説明文や写真や映像の展示なら、どんな場所で見ても同じだと思っていた。しかし、破壊された状況がそのまま残るメリケン波止場で見ていると、出来事の伝わり方、感じ方が違ってきた。
展示資料から目をメリケン波止場に戻すと、いつの間にやら若いカップルが肩を抱いて佇んでいた。
異国情緒が感じられる街路灯が立ち並ぶメリケン波止場は昔から、恋人たちの聖地だったに違いない。いま、破壊された波止場の上に昔と変わらず恋人たちの姿がある。
冬の夕暮れ、傾きゆく日差しが街をローズに染める時間帯。そんなシチュエーションのせいもあるのだろう。「遺構」が対象物としてではなく、体験物として自分の中に染みこんでくる。
センチメンタルな気持ちまで含めて震災を追経験できるのは、遺構が物体として残っているからこそだということを改めて思った。
東北の被災地の震災遺構は、残すか残さないかが話題になっている。20年後にその場所で人々がどんなふうに過ごすのかも考えたほうがいいだろう。
神戸港震災メモリアルパーク
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