【遺構と記憶】被災地を目指す人たち(2)奇跡の一本松

iRyota25

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復興工事がおおむねお休みの日曜日でも、陸前高田の海沿いは砂埃が風に舞う。それでも今日もたくさんの人たちが、一本だけ残った奇跡の一本松目指して歩いていく。

団体の人も、家族連れも、仲好さそうなカップルも。むき出しの造成地に日差しが照りつけ、砂埃が舞う中を、あの一本松目指して歩いていく。

7万本もあったという高田松原の松林の中で1本だけ残ったあの運命の松を目指して。

日差しと砂埃の中を10数分歩いて、その運命の樹にたどり着いた人たちは一様に、再生された松を見上げ、写真を撮り、同行した人たちと語り合う。

1本だけ残ったあの松が運命の松だとしたら、津波に流された残りのおよそ7万本の松1本1本もまた、それぞれに運命の松だった。

そんな思いに突き動かされるのか、1本残った松の東側に残された、枯死した松の骸に心を寄せる人も少なくない。根元だけ残った松。この松原には7万本もの松の木があったのだ。

語り部ツアーのガイドさんが語る、陸前高田の町の状況に耳を傾ける人たちがいる。ガイドさんは一本松を訪れた人たちに、一本松だけではなく、たとえば生徒たちが無事に避難することができた気仙中学校(一本松の対岸に、震災遺構として保存されることが決まった気仙中学校の旧校舎を見ることができる)のことや、吊り橋部分だけが残る巨大ベルトコンベアーのことなど、陸前高田のことをもっと知ってもらうために熱心に語っている。

ガイドさんの語りに、語り部ツアー参加者でない人まで聞き入る様子も見られる。

「アンパンマン」の生みの親である漫画家で絵本作家のやなせたかしさんは、一本松のために、一本松のキャラクター「ヒョロ松君」を描いた。陸前高田の障がい者施設あすなろホームの利用者たちの協力で作られたモザイクと、ヒョロ松君を紹介するパネルの周りにも人だかりができている。

やなせさんは陸前高田の地元の醤油醸造会社に「天使のしょうゆ」のイラストを提供したことでも知られる。やなせさんは2011年、現役引退を決意していたが、震災後、アンパンマンなどやなせさんの作品が被災地の人たちに勇気を届けていることを知り引退を取りやめたのだという。やなせさんは一本松の保存事業の完成式にメッセージを贈ったおよそ3カ月後、2013年10月に亡くなった。

そのこともまた運命ということことなのかもしれない。

むろん、失われたものに対する切実な思いを抱いてこの場所を訪れる人たちもいる。

一本松はさまざまな人たちのさまざまな人生を引き寄せるのだろうか。

炎天下、砂埃に白くかすむ道を多くの人が一本松を目指して歩いてくる。一本松を後に歩み去っていく人たちと入れ替わりに、また多くの人たちがやってくる。

7万本の松の木にはそれぞれの運命があった。そして1本だけ残り、人間の手で再生された松にも運命があった。この地を訪れ、その松と松たちを身近に感じたひとりひとりの人たちもまた、引き合わされた運命のようなものを感じるのかもしれない。

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