陸前高田といえば「奇跡の一本松」のイメージが定着している。一本松の背後には現在、巨大な防潮堤の工事が進められている。気仙川から浜田川に至る約1.9kmの第二線堤と呼ばれる防潮堤の工事はすでに最終盤だ。
一本松を西側、気仙川の対岸から眺めると、一本松の海沿いに高い第二線堤が連なっているのが見える。陸前高田に暮らす人たちに話を聞くと、「最近は防潮堤がどんどん出来上がっていっている感じがする」という。その防潮堤の、一本松とは反対側、東の端はどうなっているのだろうと見に行ってみた。
中央に見えるのが建設中の浜田川水門。この付近で第一堤線と第二堤線は一体化する。第一堤線と第二堤線の間には、各地で育てられている高田松原の松の苗が植えられて、新たな高田松原が再生される予定なのだそうだ。
しかし、浜田川水門から東側には、大津波で被害で倒された堤防の残骸が、いまもほとんど手つかずの状態で残されている。海中から飛び出している台形のコンクリートは、堤防を支えるバットレスと呼ばれる部分。海からの波を防ぐ肝心の堤防そのものは完全に破壊されたままだ。
引き波で倒されてしまったのだろうか、5年3カ月前まで堤防だったコンクリートの壁が、無惨な姿をさらしている。その上には一羽のカモメ。
浜田川水門から西側は、脇之沢漁港のエリアで、水門近くには沼田漁港、その西には脇之沢漁港がある。上の写真で防潮堤の手前に白く見るのが沼田漁港。漁船が入る船着き場や堤防だけは復旧されているが、漁港と漁港の間の防波堤は、東日本大震災で破壊されたそのままの姿を残している。
海側にバタンと倒れたままの堤防が痛々しい。黒い大型土のうは、壊れた堤防の代わりに浸水を防ぐために設置された仮設のものだ。
多くの来訪者を集める一本松の周辺にしても、まだまだ修復工事の真っ最中で、周辺は土色の地面と、高い高いかさ上げされた小山が連なっている。それでも、復旧・復興に向けての動きが加速していることは伝わってくる。しかし、一本松から2kmほど離れた場所にはいまも震災直後と見まがうような光景が残されている。
もちろん、そんな状況がいつまでも続く訳ではないだろう。しかし、ほぼ手つかずで残されている場所はあまりにも多い。
震災から5年3カ月。かつて高田や気仙の町だった場所には、土色の工事現場が広がるばかりだ。復興がどんな長い時間を要する大事業であるかを、一本松やその周辺の姿は物語る。しかし、
震災から5年3カ月。かつて高田や気仙の町だった場所には、土色の工事現場が広がるばかりだ。復興がどんな長い時間を要する大事業であるかを、一本松やその周辺の姿は物語る。しかし、奇跡の一本松まで歩く人たちが、その足で、近くの浜辺の現状を見て歩いてくれるようになれば、もっと違った光景を目にすることができるはず。たしかに、平日は工事で入れない場所も多いが、それでもメディアで紹介されない被災地を自分の目と足で探すことは十分可能だ。
次回は脇之沢からさらに西、かつて高田松原が広がっていたあたりまで足を伸ばしてみるつもりだ。ご期待ください。
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