【遺構と記憶】震災遺構の保存、地元と市民に意識の差

iRyota25

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鹿折の道を走っていると、どうしてもその船を目が探してしまう。もう解体されてから2年以上になるのに、どうしてなのかその船を探さずにはいられない。

第18共徳丸(2012年10月)
第18共徳丸(2012年10月)

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あの日、渦巻く怒濤となって鹿折の町を呑み込んだ津波に乗って、何十艘もの漁船が町に流れ込んだ。巨大な漁船は津波とともに家々を破壊し尽くした。高台に逃れた人々は自分の町が壊されていくのをただ見つめているほかなかったという。

最後まで残った第18共徳丸は被災した気仙沼のシンボルのような存在になった。自分たちの町を壊していった船がシンボルというのは、地元の人たちにとってあまりに話だったに違いない。

「あんなものは早く撤去してほしい。震災の記憶を伝えなければならないのであれば、動画なりCGなり、いろいろな方法があるでしょう。必ずしも実物を残す必要はないと思う。いまはいろいろな技術があるのだから」

それはとても強い語気の言葉だった。震災の前の気仙沼をほとんど知らない自分にとって、あの船はまさしく町と被災の象徴だっただけに、地元の方の言葉に息を呑んだ。震災遺構というものの難しさを物語る象徴のようにも思えた。

第18共徳丸が撤去された跡地(2014年1月)
第18共徳丸が撤去された跡地(2014年1月)

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 東日本大震災・復興支援リポート 「最後に残った1隻――気仙沼」
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 気仙沼市鹿折駅前――。かつて船があった場所
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震災遺構を残すか、解体するか

震災遺構の保存をめぐっては、今日でも議論が続いている。石巻日日新聞は2015年12月12日、門脇小学校と大川小学校についてのアンケートを紹介した。一般市民と地元住民を対象に行われたアンケートの結果は、依然として震災遺構に対する意識の差が大きいことを物語るものだった。

石巻日日新聞2015年12月12日紙面「震災遺構 保存か解体か」より
石巻日日新聞2015年12月12日紙面「震災遺構 保存か解体か」より

一般市民の回答は、一部保存・全部保存を合わせると、門脇小、大川小ともに保存を求める声が過半数を占めた。一方、地元の声は約半数が解体を希望している。

第18共徳丸の地元の声とまったく同様だ。「伝承は必要、でも思い出したくない」。石巻日日新聞が見出しで伝えた地元の声は重たい。

門脇(かどのわき)小学校(2012年10月)
門脇(かどのわき)小学校(2012年10月)

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 津波から、そして津波火災から奇跡的に難を逃れた小学校
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門脇小学校は現在、外側は養生シートで覆われて、その姿を直接目にすることはできない。保存が決定していると聞いていたので、このアンケート結果は意外だった。震災遺構を残すか撤去するかは、一筋縄ではいかない難しい問題なのだろう。方針が明らかにされても、対立する意見はくすぶり続ける。

大川小学校(2012年11月)
大川小学校(2012年11月)

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 大川小学校・失われた場所
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大川小学校の場合、一度は解体の方針がまとまったが、その後、津波を生き延びた当時の小学生らを中心に、震災遺構として保存を訴える運動が起きている。地元住民といえども必ずしも意見はひとつではない。

鹿折の住民は、現物を残さなくても伝承の方法はあるという。しかし、実物が持つ圧倒的な存在感は、他の手段で再現できるものではない。あの大きな船が陸にあるということ自体が、直接、震災の被害の大きさをダイレクトに伝えてくれる。震災を風化させないためには、実物としての震災遺構が果たすものは非常に大きいと思う。

しかし、だからといって地元の人々の感情を無視することはできない。

なんと悩ましい問題だろう。石巻市以外の場所でも、すでに解体された遺構が多い。震災遺構の多くがかさ上げ工事の対象地域にあることも、解体が進められる要因になっていると考えられる。しかし、一度壊された遺構は二度と元に戻ることはない。石巻日日新聞によると、石巻市は今年度内をめどに保存か解体かの結論を出す予定だという。

ヒロシマの原爆ドームは、被爆した子供たちの訴えで保存が決まった。それは被爆から15年を経た後のことだったという。震災遺構をどうするか、簡単に答えが出せる問題ではないだけに、仮保存して後世の人々の判断を待つという選択肢があってもいいのではないか。

震災遺構の問題は、地元の人たちにとって切実な問題であると同時に、日本中の人々にとっても未来に向けての重要な問題だと思う。いつ自分が災害の被害を受けるのか分からないという気持ちで向きあえば、震災遺構の問題は他人事ではなくなるはずだ。目の前にある「風化」について私たちは真剣に考えるべきだろう。

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