息子へ。被災地からのメール(2012年11月17日) iRyota25 2012.11.18 0 1,640 0 2012年11月17日◆石巻(宮城県) 石巻の中心地を流れる旧北上川の中州に、UFOのような建物がある。「サイボーグ009」や「仮面ライダー」の作者、石ノ森章太郎の作品を中心としたマンガミュージアム、石ノ森萬画館だ。 高いところで17メートルもの津波に襲われた石巻では、河口
息子へ。被災地からのメール(2012年11月20日) iRyota25 2012.11.27 2 1,663 1 2012年11月20日 ◆ 石巻の夜 Facebookで写真をちら見して、ぜひとも食べてみたいと訪れたレジリエンスバー(石巻日日新聞が運営する「絆の駅」の2階にあるスペース)。垂涎の的と目を付けていたのは「ウニクリーム生パスタ」。新聞社の社長の近江さんがマスターに変身した姿で
息子へ。被災地からのメール(2012年11月16日) iRyota25 2012.11.17 0 1,743 0 2012年11月16日◆七ヶ浜~東松島~石巻(宮城県) こないだ出張に行ったばかりなのに、今回は2週間以上。ビックリどころの話じゃないと怒ってるかもね。ごめんな。 でも、たくさんの人に会って、いろいろ考えたり感じたりすることがたくさんで、父さんは出張の初日からすごいこ
息子へ。被災地からのメール(2012年11月2日) iRyota25 2012.11.07 0 1,556 0 2012年11月2日◆大久町小久(福島県いわき市) 前回、久之浜の浜風商店街で出会った農家の方と待ち合わせ。落ち合ったのはやっぱり浜風商店街。2回目の来訪ですが、お店のみなさんが覚えていてくれて、「こんにちは」と挨拶したり、「料理頼まなくてもいいからお茶して行け」と
息子へ。被災地からのメール(2012年10月26日) iRyota25 2012.11.06 0 1,761 0 2012年10月26日◆浄土ヶ浜・田老(岩手県宮古市)~普代(岩手県) 8日間の日程があっという間に感じた今回の東北出張だった。たくさん走って、たくさんの人に話を聞いたように思う反面、やり残したこと、できなかったことばかりが気になっている。 でも、写真や映像では理解で
息子へ。被災地からのメール(2012年10月25日) iRyota25 2012.11.06 0 1,583 0 2012年10月25日◆陸前高田(岩手県) 明日はどこに行くの?と気仙沼の人に聞かれて「陸前高田」と答えると、「あっちは気仙沼よりもっと大変だから、なかなか話をしてもらえないかもしれないなあ」と言われた。 陸前高田に入ると、何もない風景が広がっていた。どこまで行って
息子へ。被災地からのメール(2012年10月24日) iRyota25 2012.11.06 0 1,745 0 2012年10月24日◆気仙沼(宮城県) いよいよ、という表現は自分でも変だと思うが、今日からはいよいよ父さんにとって初めて行く地域になります。 南三陸を歩いた後、レンタカーで気仙沼に入りました。坂を下り市街地に入ったとたん、まるで戦災の焼け跡のような光景が目に飛び
息子へ。被災地からのメール(2012年10月23日) iRyota25 2012.11.06 2 1,621 0 2012年10月23日◆女川~南三陸(宮城県) 本日のご報告は少し長くなります。 暴風雨警報が出された荒天の中、今日は女川から石巻に戻って南三陸まで走った。行く先々で、これまでに何度かあった人と再開することができました。 そのうちのひとり、海岸線のすぐ近くでガソリンス
息子へ。被災地からのメール(2012年10月22日) iRyota25 2012.11.06 1 1,840 0 2012年10月22日◆石巻(宮城県) 出張に出る前から、石巻日日新聞社の近江さんと会う約束をしていた。石巻に着いたら電話してねと言われていた。でも近江さんもなかなか忙しいようで、なかなか連絡が付かず、けっきょく話ができたのはあたりが暗くなった後だった。 「まだ出先
息子へ。被災地からのメール(2012年10月21日) iRyota25 2012.11.06 1 1,693 0 2012年10月21日◆久之浜(福島県いわき市)~石巻(宮城県) 今日は福島県いわき市久之浜から宮城県石巻への移動日でした。移動日とはいえ、途中、南相馬の雑草が生えた瓦礫の山や、踏切の部分以外、線路が消えてしまった山元町や亘理町の津波被害の跡など、いろいろなものを目
息子へ。被災地からのメール(2012年10月20日) iRyota25 2012.11.06 0 2,162 0 2012年10月20日◆久之浜(福島県いわき市) 今日は久之浜・大久復興祭、奉奠祭(ほうてんさい)花火大会の当日。 お祭りを運営する地元の若者たち、サポートに入ったボランティアの人たちと一緒に、舞台の裏方をお手伝いしながら祭りを楽しみました。 奉奠というのは「玉串奉奠
息子へ。被災地からのメール(2012年10月19日) iRyota25 2012.11.05 0 1,735 0 2012年10月19日◆久之浜(福島県いわき市) 東日本大震災で被災した地域への出張は今回で8回目。父さんが留守の間、ちょっと寂しいかもしれないが、毎日がんばってることと思います。 これから出張する時には、会社への報告とは別に、きみにも被災地のことを書いて送ることにし
ご飯をおいしくする八十八の話 iRyota25 2014.12.12 7 9,766 0 【NEW】麦踏みをお手伝いした麦ごはんを食す幸せ 新米はもう食べましたか?(少し時期おくれな話ですが…)お米はどこで買っていますか? 最近ではお米の美味しさをウリにする料理店も増えてきて、「おかずなしでも美味し!」とうならされることもしばしば。 大切に炊かなきゃ
息子へ。東北からの手紙(2015年12月20日)幸せになるために生まれてきた iRyota25 2015.12.22 6 2,243 0 いちばん海に近い蔭磯橋の架け替え工事が始まっている。 もともと蔭磯橋が架かる河口あたりは、山と海からの砂が堆積して天井川みたいになっていて、北町から橋へ向かう道はゆるやかな上り傾斜だった。つまり橋の方が町より高かった。だもんだから、蔭磯橋が津波に呑み込まれ
息子への手紙(2015年11月6日)北九州、高齢化の町の将来 iRyota25 2015.11.07 2 2,212 0 今日は「東北からの手紙」ではなく、福岡県北九州市からの手紙だ。 アドベンチャーみたいな交通事情 レンタカーを借りて小倉(おぐらではなく「こくら」)の町を久しぶりに走って、今回気づいて驚いたことがあった。かつて北九州というと、自動車運転のマナーが悪いことでは全
息子へ。東北からの手紙(2015年9月19日)「元気そうに見えても体の中はボロボロなのよ」 iRyota25 2015.09.25 3 1,994 0 かさ上げ工事が進む陸前高田の高台にある県立高田高校。甲子園の出場経験もある名門校のグラウンドには、震災後、仮設住宅が立ち並んでいる。 お昼前、グラウンドにチャイムのような音楽が大きく鳴り響いた。近くのスーパーの移動販売車の到着を知らせる音楽だった。トラック
息子へ。東北からの手紙(2015年9月20日)自分に突き付けられた「風化」 iRyota25 2015.09.24 3 1,938 0 9月20日の日曜日、陸前高田市の海沿いの高台にある仮設住宅に行くと、集会所はチリ中部沖地震の津波注意報と土曜日未明の大雨警報の話題で持ちきりだった。津波注意報や大雨警報が解除されて1日以上たっているのにだ。 「津波注意報は解除されるまで長かったねえ」 「まる1日
いよいよ「川開き祭り」ひまわりみたいに咲きほこって♪ iRyota25 2015.07.29 1 1,882 0 夏の石巻は街中がひまわりの花でいっぱいです。 App絵本で日本中の涙をさそったヒマちゃんの子供たちも 「ヒマちゃんの気持ち」支援プロジェクト写真素材のimagenavi 津波に負けない魂で、暴風にだって耐える「がんばろう!石巻」のど根性ひまわりも ホームgannbarouishinomak
息子へ。東北からの手紙(2014年12月21日)すべてのひとに、心をこめて、Merry Christmas! iRyota25 2014.12.25 1 2,021 0 急に思い立って出掛けた先は岩手県の大船渡市。「サンタが町にやってくる!~岩手★おおふなと★大作戦~」の手伝いに行ってきた。 東北の被災地でのクリスマスイベントについては、少々複雑な思い出がある。それは、上から目線のとてもイヤな言い方なのだけど、「与えるだけの
息子へ。東北からの手紙(2014年12月20日)陸前高田で聞いたこと iRyota25 2014.12.26 3 2,157 0 短い話だからちょっと聞いてほしい。 陸前高田で「傾聴ボランティア」という活動をしている人から聞いた話。傾聴ボランティアというのは、仮設住宅などを訪ねて、そこで暮らしている人からいろいろな話を聞くというボランティア。 被災地の人たちには、地元の人には「近すぎて
息子へ。東北からの手紙(2013年11月11日)この11日という日に iRyota25 2014.11.11 3 1,627 0 自己表現という言葉のウソ だれが言い始めた言葉なのか、絵を描いたり、歌をうたったり、ダンスをしたりすることを自己表現という人が多い。自分も、何も考えずにそう思ったりしていたけどね。 でもそれは絶対に違うと、確信を持って最近は思うようになった。たぶん、自己表現
息子へ。東北からの手紙(2013年10月23日)中越地震から10年 iRyota25 2014.10.24 2 2,204 0 中越地震から10年。ネットでは「亡くなられた68人の方のご冥福を祈ります」というコメントがたくさん発信されていた。 宮城県石巻市にある「がんばろう!石巻」看板の黒澤さんは、この日、次の短いコメントを上げた。 「石巻でもあっという間に10年がたつのかな。」 震災から
息子へ。東北からの手紙(2013年10月17日)ボールをまわす iRyota25 2014.10.17 5 1,620 0 何もしないでいると、だんだんそのことから気持ちが離れていく。自分に何ができるだろうかと問いかけて、何もできないやと心の中で小さくつぶやくと、そのことに対する意識がだんだん薄らいでいく。そして、同時に自分自身までもが希薄になっていくような気がする。 東北のこ
息子へ。東北からの手紙(2014年9月11日) iRyota25 2014.09.11 2 1,794 0 上空を何機ものヘリコプターが飛ぶ。水に浸かった町には独特のにおいが立ち込めている。通勤するためには膝より深い水の中を歩かなければならない。冠水した商店街では泥水に汚れた店の掃除が始まる。集中豪雨被害を受けた石巻市は、震災3年半となる9月11日の朝を「あの日」を
息子へ。東北からの手紙(2014年8月13日) iRyota25 2014.09.05 1 1,528 0 これまでに何度か訪ねたことがある場所で、なつかしい人たちとたくさん話をして、ご飯をいただいて、お酒も飲んで、そしてやっぱり震災のことを話して。夜もだいぶん更けてきた頃、 「これね、ボランティアの人たちとか、久しぶりに訪ねてきてくれた人に見てもらっているんで