息子へ。東北からの手紙(2014年12月21日)すべてのひとに、心をこめて、Merry Christmas!

iRyota25

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急に思い立って出掛けた先は岩手県の大船渡市。「サンタが町にやってくる!~岩手★おおふなと★大作戦~」の手伝いに行ってきた。

東北の被災地でのクリスマスイベントについては、少々複雑な思い出がある。それは、上から目線のとてもイヤな言い方なのだけど、「与えるだけの支援」という言葉を巡っての思い出。

最初の年のクリスマスの頃から、被災地の保育園や子供たちにプレゼントを贈ろうというイベントはたくさんあった。知り合いのNPOでもそんな活動をしていたし、多少のお手伝いもした。その頃すでに「与えるだけの支援」は問題視され始めていた。

知り合いのNPOのところには、「とにかくこれで子供たちに何でもいいからプレゼントしてあげて」と現金を持ってくる人がいた。NPOの代表は「だったら一緒に行きましょう」と誘ったが、「プレゼントを支援したいだけだから」と固辞された。逆に、自分たちの団体のネームプレートを貼り付けた絵本や文房具、クリスマスツリーを届けてきてほしいといってきたところもあった。もちろん現地のニーズを聞いたわけではない押し付け支援だった。

そんなこともあって、ただ物やお金を届けるだけの支援、言葉は悪いけれども「与えるだけの支援」はよくないのではないかという意見が支配的になり始めていた。それはまだ1年目のクリスマス前後のことだった。

東北の地元の人からも「支援馴れ」ということを聞いていた。炊き出しの料理を一口食べただけで「まずい」と捨てる子供たち。衣料品の支援があれば、家族で使わないようなものまで目ぼしいものをごっそり持ちかえる人(フリーマーケットで売る人がいるという噂まであった)。ボランティアが弁当を食べていると近づいてきて、物欲しそうにおかずをねだる子供たち。玩具なんていつでももらえる物だからと「壊す遊び」をする子供たち。そんな話も聞くにつけ、「与えるだけの支援」はよくないことだという思いは固まっていった。上から目線のイヤな言葉ではあるけれど。

今年は震災から数えて4回目のクリスマスになる。最初の年のクリスマスの頃とは、様子がずいぶん違っている。現地で活動しているという噂を聞きつけて、押し付け支援を申し出てきた1回目のクリスマスの時みたいなことは皆無だ。地元の人たちの言葉を借りると「まるで震災などなかったかのよう」な気分が空気を覆っている感じがする。

がんばって前進を続けている人もいるけれど、それは限られた一部の話で、だけどテレビなどが伝えるがんばっている人たちの話から、「被災地はもう大丈夫だ」と見てしまう。たまに大変な思いをしている人の話を聞いても「それはごく一部のことでしょう」と解釈してしまう。

「与えるだけの支援(言葉は悪いけど)」は確かによくないことだろう。でも、もうすべての支援が不要かと言ったら、まったくそんなことはない。

その点で、自分を恥じています。反省しています。

2回目のクリスマス、3回目のクリスマス…。少しずつ増えて行く友人たちの中には、子供たちへのプレゼントに一生懸命になっている人たちがたくさんいた。そんな姿を横目に見ながら、「頑張ってるな」とは思っても、手伝おうという気持ちになるのには、心の中に少しバリアがあった。そして4回目のクリスマス。やっと参加しようという気持ちになった。

「スタッフが足りないかも」という話を耳にして、何気なく時刻表を確認してみて、行けないこともないと分かった時、出発しないという選択肢は消えていた。

それは前に書いたクリスマス・キャロルの話ともつながっている。

支援とかチャリティといった言葉の真意(微妙なニュアンスも含めた)は、日本人には分かりにくいのかもしれない。むしろ喜捨という仏教語の方がしっくりいくのではというようなことを、クリスマス・キャロルについての原稿には書いていたのだが、あまりに分かりにくい話になりそうだからその部分はカットした。カットはしたが、その時に心の中にあったのはそのことだった。クリスマス・キャロルの記事で引用したこの言葉と同じこと。

人生の旅をする赤の他人ではなく、墓場までたどる旅のほんとうの道づれだ

クリスマス・キャロルはあの場所で

上から目線で「与えるだけの支援じゃ…」なんて考えている場合じゃない。ニーズがあるのなら、それは与えるだけなんてものじゃないはずだ。そんなことを考えながら電車に揺られて岩手を目指したのだが、当日はもっと大きく違うことを感じていた。

楽しかったのだ。

ワークショップで一緒に工作をした子供たちが、完成品を大切そうにバッグに入れて、またね!と声をかけると「ウン!」と大きくうなずいて笑顔で帰っていく。そんな姿が嬉しかったのだ。

なにかをして上げているのではなくて、プレゼントをもらっている感覚。

それはいつも被災地に行くと感じていたこと。いただいていたのはいつも自分の方だった。与えるとか、与えないとか、そんな問題じゃない。

大切なのことは、同じ時間の中でどんな風に関わるかということ(また小難しい言い方だが)。1年目も2年目も、しっかり関わっている人たちは「与えるだけの支援」なんてやっていない。たとえどんなに大きなプレゼントを持って行っていたとしても。同じ時間を過ごすことで未来を共有するってこと。単純にいえば友だちになるってことなんだと思い知らされた。

弾丸旅行だったが、行ってよかった。大切なことをしっかり思い出させてもらった。
感謝をこめてもう一度引用。

人生の旅をする赤の他人ではなく、墓場までたどる旅のほんとうの道づれだ

クリスマス・キャロルはあの場所で

道づれに出会うことができるから、幸せな気持ちになれるんだろう。

Merry Christmas! 道づれとして知り合ったすべてのひとに、心をこめて

 クリスマス・キャロルはあの場所で
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