息子へ。東北からの手紙(2014年9月11日)

iRyota25

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上空を何機ものヘリコプターが飛ぶ。水に浸かった町には独特のにおいが立ち込めている。通勤するためには膝より深い水の中を歩かなければならない。冠水した商店街では泥水に汚れた店の掃除が始まる。集中豪雨被害を受けた石巻市は、震災3年半となる9月11日の朝を「あの日」を思い起こさせるような状況の中で迎えた。

(こんな風に書いているとイヤな気分になってくる。得体の知れないイヤな気分…)

朝のニュースで石巻や女川の浸水被害の映像を見て驚いた。フェイスブックなどに地元の人たちがアップした写真を目にしてもっと驚いた。何度も行ったことがあるコンビニの駐車場が水没している。知人の事務所前の道もまるでプールのようだ。膝丈ほどの水の中を歩いている人たちの動画が自動再生される。「床上浸水の場所もあり、家から出られない人も多いらしい」という書き込みも目につく。

家の方は大丈夫だったという書き込みも散見される。それは心配する知人たちへのメッセージ。裏返せば、それだけ大変な状況があったということだ。

9月11日。震災から3年半の日。

「どうしてこんな日に」と思ってしまった。

(思った瞬間に、イヤな気分の理由がよく解った)

どんな日であったとしても、大変なことになっていることに変わりはない。
明日ならよかったのか?
別の場所だったらいいのか?
北海道や関東、京都や広島の豪雨は関係ないのか?

詰めていけば、「自分のところじゃなければいいのか」という問いに続いている。水に浸かった町を上空から撮影を続けるヘリコプターの目線と同じになってしまう。

だけど、そう思ってしまったんだ。「どうしてこんな日に」と。ヘリからの映像を見た時からきっとそう思っていたんだろう。

気にし過ぎだよ、と言ってくれる人もいるかもしれないが、大切なことのように思う。だから、そう思ったことを留めておきたい。簡単に「自戒のために」なんて言うことなく、そのままの形で。

内側と外側

3年半のこの日に、伝えておきたいことのもうひとつ。それは、繊研新聞という日刊業界紙に掲載されていた記事のタイトル。

「東北の今は日本の未来」

記事の内容はタイトルそのままで、まったくその通りだと思うことが書かれていた。

・建設業など大型公共工事を除いて、復興需要は冷めていっている。
・そこに消費増税が追い打ちをかけた。
・地場の小売業や中小企業の復興が課題になっている。
・人口構造の変化も見逃せない。若年層の人口流出が続く半面、65歳以上の人たちが戻ってきている状況がある。

若い働き手を確保できずに企業が撤退すると、ただでさえ少なくなっている若手の働く場が失われ、若年層の流出に歯止めが効かなくなるという悪循環が生じかねない。人口構造が変わったり、町なかの人の流れが変わることは、小売店舗の再建判断に間違いなく影響を及ぼすだろう。

記事は、日本の地方都市がこれから遭遇することになる問題が、現在の東北の被災地に露呈しているという。「他人ごとではない」というわけだ。

本当にその通りなんだけど、マイナス面ばかりではない。理路整然と説明できるほど頭の整理はついていないのだが、東北に行くといつも感じる「大いなるなにか」がある。そのひとつは、物を生み出すことを知っている人がたくさんいるということなのではないかと、最近考えるようになった。

10粒の種が1000倍の収獲をもたらす農業。そこには自然からの贈り物を受け取るための作法とか生き方といったものがある。

漁業を言い換えれば、本当なら人間に手の届かない海の中から、自然の恵みを引き出す仕事だ。そこにも、そうすべき作法や生き方がある。

農業や漁業に従事している人は日本中にいるけれど、都市の住人との距離は必ずしも近いとは言えない。しかし、東北ではボランティアやツーリズムといった形で、無から有を生み出すプロフェッショナル(お百姓さんや漁師さん)とじかにつながることができる。生きる知恵の根源を垣間見せてもらえる機会がある。

第一次産業で物を生み出す人たちばかりじゃない。「お茶っこ」にも新しい何かを生み出す力が秘められている。知らない人同士が知り合いになる。それだけでも極めて創造的なことだ。お茶っこ話の中で知らなかったことに、はっと気づく。どうして?と尋ねる。話が広がったり深まったりする。今度こうしてみない?とか、じゃあ今度は何々さんを紹介してあげようねとか、場が新たな展開を見せていく。

若年層流出と急速な高齢化、そして産業衰退の先進地。経済のモノサシだけでは見つけ出すことができない良いものが東北にはたくさんある。それは「価値」とか「効果」といった言葉で掬い取ることはできないかもしれない。それは人を惹きつけてやまない生き方のようなものだ。その生き方は、間違いなく未来に連なっていると思うんだ。

被災地に移住する人たちは少なくない。一定期間の活動を終えて去っていく人も多いけれど、残る人、新たに東北に定住の場を求めて引越していった知人の数は、両手両足で数えても足りない(もちろん知り合いに限定してもだ)。

最近、そんな知り合いのひとりがフェイスブックに「内と外に分けることに違和感」という話を書いていた。そうだよなあと読んだ時には感じていた。しかし、大雨被害に対して自分が思ってしまったことをきっかけに、彼の言葉を思い出した。

かなわないなあと思った。自分が感じたイヤな気分の源が自分の中にあったのを思い知った。

でも自分の場合は、行ったり来たり、来たり行ったりしながらやっていくんだろうな、としか未来を想像できない。(東北に出張したり帰ってきたりという意味ではないよ)
でも、同時にこうも思うんだ。そうすることで、きっとずっと先の方に連なっていくんだろうなと。

蛇足かもしれないが、もうひとつ。繊研新聞の記事は石巻の知人が写真をアップしてくれたもの。大雨が降り、近所が冠水する中、この新聞はビニール袋に入れられて、いつもの時間に届けられていたんだって。大雨で町が冠水するという大変な事態の中にも、さまざまな出来事がある。

日本全体の未来にもつながる「佳きもの」が潜在している東北を、しっかり目を凝らして見詰めたい。

3年と6カ月の月命日

今日は3年6カ月の月命日。亡くなられた方々のこと、これまでのこと、そしてこれからのことを思って手を合わせます。

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