息子へ。東北からの手紙(2013年11月11日)この11日という日に

iRyota25

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自己表現という言葉のウソ

だれが言い始めた言葉なのか、絵を描いたり、歌をうたったり、ダンスをしたりすることを自己表現という人が多い。自分も、何も考えずにそう思ったりしていたけどね。

でもそれは絶対に違うと、確信を持って最近は思うようになった。たぶん、自己表現というのは、表現を通しての自己実現といった意味が縮まって、そんな言い方がされるようになったのだと思う。誤解というより根本的な部分で誤用だろう。

なぜかというと、何かをつくるということは突き詰めると自分のためじゃないからだ。自分を表現するんだったら、それは自分でご自由にやっていればいいわけで、日がな一日ごろごろしているのも自己表現だし、鼻くそほじるのだって自己表現、無意識に枝毛を気にしたり、犬や猫みたいにアゴのあたりを自分でさすって気持ちよくなっているのも自己表現。

何かをつくるということは、この世にそれまでないものをつくり出すことで、ほんの少しでもいいから、この世にこれまでなかったものをプレゼントすること。

実りの秋もだいぶ深まって来たけれど、イネは自己表現なんて言葉はなくても、一粒のモミから千粒以上の実りをこの世にプレゼントしてくれる。お芋だって、カボチャだって、タマネギだってそう。ものをつくるということは、その根っこに農業に近い感覚を持って受け継がれて来たのだと思う。それがまっとうな道だったのだと。

右にあるものを左に持って来て、あるいはコピペか、あるいは金融商品とかみたいなのと大して変わらないような操作で文章なりをつくっても、それは創作ではない。(コラージュという創作もあるけどね)

なぜなら、ほんの一粒でもこの世の中に新しい何かをプレゼントしているかどうかという点で、「やましい」ものを感じるから。

ためにという言葉に違和感があったのだが

誰かのため、人のため、という言葉は、長年生きて来てずっとしっくりこなかった。どこか嘘くさい臭いがするし、なによりしっくりこないから、ずっとその「ため」というあり方にメンチ切ってきた。メンチ切りながら気になって仕方がないものだった。

ロシナンテスの大嶋さんが講演の時に必ずといっていいほど言う言葉がある。

「まさか自分が人のためにという基準で行動すような人間だとは思わなかった。でも気づいたらそうして毎日を生きている。ひとりはみんなの為に。みんなはひとりの為に」

最初にそれに近い話をロッシーハウスでしてくれたときに、「ひとりはみんなの為に みんなはひとりの為に」の「ため」を「為」と表現したところがいいでしょ、と大嶋さんは言ったんだ。

「ため」にメンチ切って生きて来た自分としては複雑な気持ちだった。それから1年とちょっとか。自分が文章を書くときに感じてきたこと、職人の良心だと考えてきたことが、その「為」ということばに通じているのだということに気づいた。

この11日という日の夜に

自分のためにする自己表現なんかじゃない。書くこと、喋ること、行動することも、ぜんぶ誰かの為のこと。この世に何か新しいものをひとつプレゼントすること。それでこそ生命を得る。

「仕事をするのは何のため? みなさん当たり前のように、お金のためって答えるかもしれない。でも違うんです。誰かの為、人の為に、いやそんなことすら意識しないでやっていることが、自分の為になって返ってくる」

若い人たちと仕事をする意味について考える集まりで、大嶋さんが言っていた言葉だ。理由はよく分からないが、真理だと思った。

たぶんきっと、人の為になんて意識することがなかった頃から、大嶋さんは彼オリジナルの人間としての良心には従って生きてきたんだろう。それがおそらく、「ひとりはみんなの為に みんなはひとりの為に」という生き方として開花したのかもしれない。

自分は書くことを生業としてきたから、そっち方面から見てしまうけれど、どんな活動をするにしても同じことだと思う。土を耕して、ほんの少しでもいいから、これまでこの世になかったものを収穫することで、この世にプレゼントするということにこそ、生きているということの本義と本質を感じる。それ即ち、まっとうに生きるということじゃないか。

他人をどうこう言うべきではないが、たとえば記者やライターという人たちの生成物の中にも、自説を構築する目的でよそにある文章なり何なりを引っ張ってきて、託つけるようにして作られたものが溢れ返るほど多いけれど、自分は痩せても枯れても(少しは痩せろとのご意見もあるかもしれないが)、これからも実りをプレゼントするという姿勢でやっていこうと思う。

11日という日の夜、自分はその思いを新たにしています。

こりゃ、あんまりプレゼントになってなかったかな。でもまあ、この日に当たっての思うところ、信じるところということでお許しを。

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