息子へ。被災地からの手紙(2013年6月3日) iRyota25 2013.06.12 2 1,666 0 2013年6月2日 岩手県陸前高田市 陸前高田の町なかは、ほんとうに建物がほとんどなくなってしまって、まっ平らになった。ランドマークがほとんどなくなったせいで、クルマを走らせていて道に迷ってしまう。実際に、道を間違えて、舗装が剥がされたままの砂利道の一本道を延々走
息子へ。東北からの手紙(2014年1月1日)その2 iRyota25 2014.01.15 1 1,665 0 では、どうやって「前へ」を実現するのか。かけ声ばかりでは進めない。 初詣をした釜石大観音から北へ。大槌町の元旦の風景を見て回った時、お正月の音楽に引き込まれるようにして役場庁舎近くの小鎚神社に立ち寄って参拝した。 実はこの地方の伝統芸能である虎舞の呼び太鼓か
息子へ。被災地からのメール(2012年11月20日) iRyota25 2012.11.27 2 1,663 1 2012年11月20日 ◆ 石巻の夜 Facebookで写真をちら見して、ぜひとも食べてみたいと訪れたレジリエンスバー(石巻日日新聞が運営する「絆の駅」の2階にあるスペース)。垂涎の的と目を付けていたのは「ウニクリーム生パスタ」。新聞社の社長の近江さんがマスターに変身した姿で
息子へ。被災地からのメール(2012年11月23日) iRyota25 2012.11.27 2 1,658 0 2012年11月20日~23日 ◆ 11月20日・石巻の夜 ~ 11月21日・雄勝町 ~ 11月22日・福島県本宮市 ~ 11月23日・石巻&女川町 で、黒ずくめの彼と父さんが次に行ったのは、すぐお隣のアートギャラリー。それも震災後に新しく解説されたギャラリーで、そこはただ単に絵を飾ったり販
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月15日) iRyota25 2013.07.16 1 1,646 0 宮城県亘理郡亘理町・宮城県名取市閖上 亘理町の民家を一軒借り受けて、活動の基地としているNPO法人ロシナンテス。その名前はドンキホーテの愛馬の名にちなんでいる。この会を立ち上げたのは九州のある高校のラグビー部出身の人たち。部は違うが、父さんと同じ高校の人たちだ
息子へ。被災地からのメール(2012年11月17日) iRyota25 2012.11.18 0 1,640 0 2012年11月17日◆石巻(宮城県) 石巻の中心地を流れる旧北上川の中州に、UFOのような建物がある。「サイボーグ009」や「仮面ライダー」の作者、石ノ森章太郎の作品を中心としたマンガミュージアム、石ノ森萬画館だ。 高いところで17メートルもの津波に襲われた石巻では、河口
息子へ。被災地からのメール(2013年2月2日) iRyota25 2013.03.01 1 1,631 0 2013年2月2日 宮城県石巻市 今回のメールは電器屋さんの系列店のお話。部分と全体という、ちょっと深めの話です。 どういうわけだか、東北でいろいろ話を聞いて回っていると、電器屋さんに懇意にしてもらうことが多い。家電製品を買う時には、自分たちは大型のチェーン店に行
息子へ。東北からの手紙(2013年11月11日)この11日という日に iRyota25 2014.11.11 3 1,627 0 自己表現という言葉のウソ だれが言い始めた言葉なのか、絵を描いたり、歌をうたったり、ダンスをしたりすることを自己表現という人が多い。自分も、何も考えずにそう思ったりしていたけどね。 でもそれは絶対に違うと、確信を持って最近は思うようになった。たぶん、自己表現
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月4日) iRyota25 2013.03.04 1 1,622 0 2013年3月4日 宮城県石巻市 劇的ビフォーアフターの決め台詞じゃないけど、「なんということでしょう!」がいっぱい。前回、石巻の復興民泊でも飛び出したフレーズだけど、今回の石巻もたくさんの驚きに出会える予感。いやもう一日目からたくさん出会ってしまった。 今日の「
息子へ。被災地からのメール(2012年11月26日) iRyota25 2012.11.28 0 1,622 0 ◆ 11月26日・気仙沼の再会 40メートルを超える津波遡上高を記録した大船渡市三陸町綾里(おおふなとし・さんりくちょう・りょうり)の漁港や小学校、そして海水浴場を見て回った後、気仙沼に戻って一泊。夜やることがあったので以前お会いした人を訪ねて、気仙沼南町界隈を走
息子へ。被災地からのメール(2012年10月23日) iRyota25 2012.11.06 2 1,621 0 2012年10月23日◆女川~南三陸(宮城県) 本日のご報告は少し長くなります。 暴風雨警報が出された荒天の中、今日は女川から石巻に戻って南三陸まで走った。行く先々で、これまでに何度かあった人と再開することができました。 そのうちのひとり、海岸線のすぐ近くでガソリンス
息子へ。東北からの手紙(2013年10月17日)ボールをまわす iRyota25 2014.10.17 5 1,620 0 何もしないでいると、だんだんそのことから気持ちが離れていく。自分に何ができるだろうかと問いかけて、何もできないやと心の中で小さくつぶやくと、そのことに対する意識がだんだん薄らいでいく。そして、同時に自分自身までもが希薄になっていくような気がする。 東北のこ
息子へ。東北からの手紙(2014年6月11日) iRyota25 2014.06.12 2 1,607 0 今日は11日。あれから3年3カ月 祈るしかできないから、祈ります。 あれから3年の時間が流れ、さらに3カ月がたった日。ブログやフェイスブックにはたくさんのコメントが上げられていた。 自分のことみたいにうれしかったひとつがこの記事。がんばろう石巻の会さんの記事。 6月7
息子へ。被災地からのメール(2012年12月23日) iRyota25 2012.12.31 2 1,606 0 12月23日 石巻街なか あたりが暗くなりはじめるとともに降りだした雪が、街をうっすらと覆い始めた頃、石巻の街なかのアートスペースに元気のいい二人連れが駆け込んでくる。 「あ、やっぱりそうだ!」と一人が小さく叫ぶように言う。 「雪が降ってきたけど、私、今日、とって
息子へ。被災地からのメール(2012年12月1日) iRyota25 2012.12.04 2 1,603 0 こんな夢を見た。駅に向かって歩きながら、いつも左に曲がる路地を右に曲がったら、目の前には日和山へ向かうなだらかな道が続いていた。道の両側には石巻の商店街。電気屋さんのおじさんが笑っていたり、ヒマワリのお姉さんが自転車で疾走してしていったり。サルコヤ楽器店の
息子へ。被災地からのメール(2012年11月29日) iRyota25 2012.12.03 0 1,599 0 石巻駅からそう遠くない中心商店街のとある小さな路地。厚い扉を開いて階段を登りつめると、そこは隠れ家のような別世界がありました。広くはないが落ち着いた雰囲気の店内から、「いらっしゃいませ。お越しいただいてありがとう」と奥さんの声。お店の空気と一体になったよう
息子へ。被災地からのメール(2012年11月25日) iRyota25 2012.11.27 0 1,597 0 ◆ 2012年11月25日 石巻の中にある奇跡の石巻 理知的で、スマートな「2.0」の彼の話を聞いた後、もちろん手土産として持って行ったお菓子「ちゃきん」はおいていったよ。でも、全部おいていったから、自分自身は味わっていない。「あれま!これじゃ記事書けないじゃん」と思っ
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月9日) iRyota25 2013.03.12 1 1,594 0 2013年3月9日 宮城県石巻市狐崎浜&蛤浜 いろんなことがつながっていく。ちょっとした予定変更から、サークルが大きく広がっていく。 それは去年の秋のこと。レジリエンスバーでたまたま知り合ったケースケさんに「蛤浜プロジェクト」のことを聞いた。蛤浜は以前から行きたか
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月23日) iRyota25 2013.08.25 2 1,590 0 第43回全国中学校バスケットボール大会(静岡県浜松市) バスケの試合を生で見るのは初めてだったけど、女川中学女子バスケの第一試合を見ただけで、バスケの魅力に引き込まれた。 試合開始直後は劣勢だった。ボールが手に着いていない感じだった。相手の攻撃パターンは決まり
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月12日) iRyota25 2013.08.16 4 1,588 0 岩手県大船渡市盛 ずっと会いたかった人についに会えた。 とっぷりと暮れた夜の盛駅。 BRTのバスが専用レーンの闇の中にテールランプの残像を曳いていく。 彼は忙しかった。ほんとは10日に会う予定だったが、彼は福島から戻れなかった。 11日には仕事に加えて気仙沼の祭りに呼
息子へ。被災地からのメール(2012年10月25日) iRyota25 2012.11.06 0 1,583 0 2012年10月25日◆陸前高田(岩手県) 明日はどこに行くの?と気仙沼の人に聞かれて「陸前高田」と答えると、「あっちは気仙沼よりもっと大変だから、なかなか話をしてもらえないかもしれないなあ」と言われた。 陸前高田に入ると、何もない風景が広がっていた。どこまで行って
息子へ。被災地からの手紙(2013年8月10日) iRyota25 2013.08.16 3 1,580 0 宮城県南三陸町「長須賀ビーチ」 かつてこの砂浜は瓦礫だらけだった。 砂を掘れば掘っただけ、海と陸にあったありとあらゆるものが出てきた。 でも、さらに以前、津波より前、この砂浜は東北でも有数の美しいビーチだった。 いま、このビーチは奇跡的によみがえった。 それも
国とか県はなぜ学校を作ったのですか? iRyota25 2014.04.17 1 1,564 0 息子へ。東北からの手紙(2014年4月16日)前篇 今日は、浜名湖の近くの高校の先生、岡田昌人さんの授業の様子を再シェア。それがなんで「東北からの手紙なんだよ!」との質問への答えは後編で。 本日の授業 世界史A初回 この授業では、人類の誕生とか古代といった、はるか昔の
息子へ。被災地からのメール(2012年11月2日) iRyota25 2012.11.07 0 1,556 0 2012年11月2日◆大久町小久(福島県いわき市) 前回、久之浜の浜風商店街で出会った農家の方と待ち合わせ。落ち合ったのはやっぱり浜風商店街。2回目の来訪ですが、お店のみなさんが覚えていてくれて、「こんにちは」と挨拶したり、「料理頼まなくてもいいからお茶して行け」と
息子へ。東北からの手紙(2014年8月13日) iRyota25 2014.09.05 1 1,528 0 これまでに何度か訪ねたことがある場所で、なつかしい人たちとたくさん話をして、ご飯をいただいて、お酒も飲んで、そしてやっぱり震災のことを話して。夜もだいぶん更けてきた頃、 「これね、ボランティアの人たちとか、久しぶりに訪ねてきてくれた人に見てもらっているんで