海辺の地をゆく「石巻市・巻石」2012年11月17日 iRyota25 2013.01.24 1 2,700 0 2012年11月17日(618日目)の宮城県石巻市・巻石 石ノ森萬画館がある中瀬から、旧北上川の300メートルくらい上流に小さな中州があります。石巻の歴史の中で、中瀬が産業の揺籃(ゆりかご)だとしたら、こちらの中州は石巻という地名の由来となった場所。源義経の伝説も残る由
「なんとかお店を!」の声に応えるため、被災地第1号となる仮設商店街オープンに奔走 iRyota25 2013.01.22 2 2,416 2 住民がいなければ商店は成り立ちませんが、お店がなければたとえ住宅だけが整備されても人々は戻ってきません。津波によって町の中心部が壊滅的に破壊された上、原発事故の影響で多くの住民がいまも町を離れている久之浜。しかし、この町の「浜風商店街」は、被災地で最初にオ
東日本大震災・復興支援リポート 『一緒に頑張っていこう』おにぎりに託された想い tanoshimasan 2012.11.07 2 2,104 0 被災地に響く元気 「ほらほら!買っていってよ、おにーさんッ!男前ッ!!」「そうそう、これ買ったらもーっと男前ッ!!」 福島県いわき市久之浜町被災跡地で奉奠祭は行われた。 勢いのある声が響く。福島県いわき市久之浜町にて開かれた奉奠祭(ほうてんさい)でのことだ。
復興・再生・新生「2013年のことば」勝邦義さん iRyota25 2013.01.09 1 1,972 0 来年に向けてのひとことは、「さらに巻き込む」としたいです。 昨年のフェーズとは変わって、 さらに多くの人や団体、知恵、才能を巻き込みながら、プロジェクトを実行していくことが求められていることを実感しています。 2月にオープンする石巻のファンサイト「巻.com」にも
あたたかい気づかいまで美味しい「えんまん亭」のラーメン iRyota25 2012.11.17 2 2,842 0 どんぶりを覆うほどの大粒のあさり。潮の香りがいっぱいのスープ。そしてほどよく味がからむ細麺。宮城県東松島市、えんまん亭のあさりラーメンは知る人ぞ知る地元の名品だ。 えんまん亭さんは仙石線野蒜駅から奥松島方面に向かう海から500メートルほどの場所にあった。地震の
東日本大震災・復興支援リポート 2012年3月8日 iRyota25 2013.01.16 1 2,386 0 センバツに21世紀枠で初出場し、しかも選手宣誓のクジを引き当て、被災地の心とあきらめない プレーで、日本中に勇気をくれた石巻工業高校野球部の選手たち。彼らは甲子園入りする直前、静岡県・伊豆で最終調整のための合宿を張っていました。人と人 のつながりで実現した伊豆
ボランティアとして参加した、2年目の奉奠祭(2012年10月20日) iRyota25 2013.01.22 2 2,569 0 奉奠祭花火大会前日 現場に到着したのは、もう日が暮れた後だった。震災直後から久之浜とお隣の四倉の復興に向けて、側溝の泥だし、撤去される家屋からの思い出の品の搬出、ガレ花活動、そして昨年の奉奠祭など、故郷の未来のための活動を展開してきた北いわき再生発展プロジ
復興・再生・新生「2013年のことば」石井良和さん iRyota25 2013.01.09 1 1,785 0 来年ですか?2012年と何も変わりませんね。 いままでどおりに商売を続けさせていただきます。 石井良和さん(福島県いわき市久之浜・浜風商店街)石井魚店 昨年末に浜風商店街を訪ねた際、石井さんはいつもと同じように表情豊かな笑顔、ていねいな話し方で、しかし短くきっぱ
復興・再生・新生「2013年のことば」白土武さん iRyota25 2013.01.09 1 2,699 0 1kgあたり4~5Bq(ベクレル)まで計れる装置で検出できない、ほぼ安全なコメをつくれたからといって、「だから、これでいい」というわけではありません。来年も限りなく「ゼロ」に近づける努力を続けなければ。 生産者として、安全でおいしいコメをつくります。 白土武さん(
復興・再生・新生「2013年のことば」からすや食堂さん iRyota25 2013.01.09 1 1,814 0 来年って言ったって、なーんにも変わってないのよ。これまでと同じように毎日こうしてやっていくだけ。 からすや食堂さん(いわき市久之浜) 久之浜の浜風商店街を訪ねるたびに、いつも変わらぬ笑顔で迎えてくれる、からすや食堂の遠藤さんご夫妻。店内の壁にはたくさんの有名
動けるうちは動きましょう 前へ、前へ進むのみ。(2011年11月17日) iRyota25 2013.01.21 3 6,824 0 3月11日14時46分18秒。東北地方太平洋沖地震が宮城県牡鹿半島沖で発生した。牡鹿半島の付け根に位置する女川町は、震源から最も近い町のひとつだった。石田志寿恵さんのお宅があった女川町清水地区は、海岸から1kmほど内陸に入った住宅地。1960年のチリ地震の津波でも被害
【まとめ】今日の東電プレスリリース「ここがポイント」 iRyota25 2014.02.20 3 39,454 0 みんなで見つめ続けて、事故なき廃炉を実現したい このページでは、日々更新されている東京電力の「福島第一原子力発電所の状況について(日報)」から、新規事項を抜粋します。たとえば「増設多核種除去設備」について直前に登場したのがいつだったか知りたければ、ブラウザ
東日本大震災・復興支援リポート 「大槌町の1年半」 iRyota25 2012.11.15 1 2,507 0 2012年10月25日、大槌町の風景 「3県沿岸部の市町村別津波浸水人口に対する死者・行方不明者数の比」という統計がある。津波被害の激甚さを示す数値なのだそうだ。数字が意味するところを思うと、この手の統計の必要性がどれだけあるのか自分にはよく分からないが、東日本大震
自分たち家族は浜松で避難生活。両親は南相馬。いますぐにでも戻りたいけれど、それができない(2011年11月27日) iRyota25 2013.01.21 2 3,306 0 福島県からは6万人を超える人々が県外へ避難し、見ず知らずの土地で生活しています。夫の実家の家族、妹家族も含め3世帯で静岡県浜松市で避難生活を送る川里女久美(めぐみ)さんもその1人。NPO法人伊豆どろんこの会が静岡県内への避難者支援のために開催した「伊豆の秋は
復興・再生・新生「2013年のことば」鈴木豊さん iRyota25 2013.01.09 1 1,759 0 一日も早く復旧・復興を進めたい。堤防工事のこともあるから、来年は積極的に行きたい。 1月からの復興に向けての話し合いでも、地域の人たちの話が見えるように行政との間で調整役をつとめます。 津波被害を受けた星廼宮神社(ほしのみやじんじゃ)も、 町の区割りが決まらな
放射能に負けないコメ作り 2013「始動」 iRyota25 2013.02.28 1 3,135 2 おいしいお米はどうやって作られるか? 答えは八十八の手間をかけること。(なぜなら「米」という字を分解すると「八」と「十」と「八」になるから)たとえば、まだ寒い冬の田んぼ。昨年の稲刈り後の稲わらや稲の株が残された田んぼでは、すでに来年の準備が始まっています。
東日本大震災・復興支援リポート 被災から1年8か月、気仙沼港 tanoshimasan 2012.11.16 1 1,948 0 2012年10月24日 宮城県気仙沼市 気仙沼港 震災では激しい津波に見舞われた気仙沼港。 震災から1年半以上経過しました。 復興に向け、作業が急ピッチで進められていました。 東日本大震災・復興支援リポート tanoshimasan の記事一覧 2012年11月14日 宮城県気仙沼市 気
あたらしい石巻・体感リポート「ISHINOMAKI2.0」 iRyota25 2012.12.28 2 1,906 0 ▲「復興支援ベース」に戻る [プロローグ]石巻の街なかを歩いていると、いろいろな場所で「石」のマークを目にする。建物の壁やガラス窓にステッカーのように張られていたり、街ゆく人が手にしているブックレットに描かれていたり、Tシャツに大きくデザインされていたり。しか
ずっと地元で生きてきたから、 復興の現実を見つめる目はシビアだ。 それでも弱音を吐かない強さ(2012年1月21日) iRyota25 2013.01.21 2 5,972 0 静岡県浜松市に避難している川里女久美(めぐみ)さんのご両親、完戸富吉(ししどとみよし)さんと奥さんの幸子(ゆきこ)さんへのインタビューで福島県南相馬市を訪れました。取材当日の浜通りは雪まじりの天気。お二人は「こんな雪になって大変でしたね。本当はほとんど雪
漁業復活への道 石巻市狐崎の牡蠣 iRyota25 2013.01.16 1 3,011 2 [プロローグ] すっきりした食味なのに、口の中にふわっと滋味が広がる牡蠣の絶品。地元の人々の間で評価が高い石巻・狐崎の牡蠣。津波で大きな被害を受けた狐崎で、牡蠣の養殖に心を注ぐ管野清也さんの物語。海底のダイビング調査の船に乗せてもらって狐崎の海の上で聞きまし
東日本大震災・復興支援リポート 「沈下した浜で進められる護岸工事」 iRyota25 2012.11.12 1 1,897 0 2012年10月24日の南三陸町泊浜 南三陸町(歌津)泊浜でも漁港の工事が急ピッチで進められている。 工事の中心は防波堤のかさ上げ。既存の護岸の上に船着き場と荷下ろし場を増設して、波を被らないようにする工事だ。 真新しい護岸の先には、新たな護岸を延長していく工事が行
商売なんてイイ時はバカでもできる。落ち込んで、苦しい時に、どう生きるかが問題なんでないか。 iRyota25 2013.01.21 1 2,017 0 激甚という言葉を使っても、とうてい表現することができない東日本大震災の被害の中で、休むことなく仕事を続けてきた人たちがいる。景色が一変するような被害に見舞われた場所で、人はどんな思いを持って自分の仕事を続けてきたのか。津波被害の爪痕の残るガソリンスタンドで
東日本大震災・復興支援リポート 亀山から見た景色(気仙沼大島) tanoshimasan 2012.11.07 1 1,889 0 気仙沼市内。かさ上げの跡と、瓦礫の山。 津波被害の大きかった気仙沼市。 東日本大震災・復興支援リポート tanoshimasan の記事一覧 気仙沼市内、港付近。 被災地をまわっていると、場所によっては、時に「復興は進んだ」なんて声も聞こえてくる。(2012年10月
東日本大震災・復興支援リポート 津波の跡に残る建物 tanoshimasan 2012.11.12 1 2,744 0 岩手県陸前高田市 とある企業の社屋だけが残ったが、周辺は跡形もない。 被災地には、 「一見津波を耐えたように見える建物」 がいくつか残っていました。 東日本大震災・復興支援リポート tanoshimasan の記事一覧 宮城県気仙沼市 甚大な被害となった気仙沼において、
東日本大震災・復興支援リポート 「女川の漁業に新たな動き」 iRyota25 2012.12.12 1 2,550 0 [プロローグ] あまりにも大きすぎる被害を受けた宮城県牡鹿郡女川町。震災前にはサンマの水揚げ高で日本一を争う常連だった漁港は、漁船が接岸できないほど破壊された。震災から1年9カ月が経過した現在、高級処置的な復旧で大型サンマ船が複数隻水揚げできるようにはなったが