東日本大震災・復興支援リポート 「女川の漁業に新たな動き」

iRyota25

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[プロローグ]
あまりにも大きすぎる被害を受けた宮城県牡鹿郡女川町。震災前にはサンマの水揚げ高で日本一を争う常連だった漁港は、漁船が接岸できないほど破壊された。震災から1年9カ月が経過した現在、高級処置的な復旧で大型サンマ船が複数隻水揚げできるようにはなったが、往時の活況からはまだまだほど遠い。そんな状況にあって女川で廻船業を営む青年、青木久幸さんが新たな挑戦を始めた。彼の活動と目指すところについて報告する。

この日も青木さんは遠い空を見ていた
この日も青木さんは遠い空を見ていた

未来を見つめて

会うたびに思うのだが、青木さんはいつも遠くを見つめるようなまなざしをしている。以前取材させてもらった時も、カメラに収まった表情は左斜め方向に遠くを見ていた。今回も取材写真を整理しながら「あっ、同じだ」と思った。
写真に撮られる時の“ キメ ”があるのかなんて思っていたが、11月の取材後、12月に再開した時に理由がわかった。

青木さんは廻船業という仕事を営んできた。世界三大漁場に数えられる三陸沖の海には日本中から多くの漁船が集まってくる。獲れた魚をどこの港で水揚げするか、陸上から漁船に情報提供するとともに、水揚げされた魚の流通にも関わるのが廻船業だ。(東北地方太平洋側では一般的な業種だが、全国的には珍しいともいう。豊かな漁場を控えた三陸地方ならではの仕事だといえるかもしれない)

ところが震災後、そんな仕事がまったくできなくなった。ことは廻船業だけでなく、漁業と水産加工業、さらに流通まで含めて共通の大ピンチだったのだが、「漁師さんは船や漁具がないから漁ができない」「港に隣接した加工場が破壊されたため、水産加工業が行えない」「魚が入らないから流通業者は運ぶ商品がない」「船が残った漁師さんが魚を獲ってきても、水揚げする港がない、氷がないなどの理由で流通業がまともに機能しない」など、これまで回ってきた仕事のサイクルが、いたるところでズタズタに寸断されてされてしまっていたのだ。

魚をめぐる市場の姿が大きく変わろうとしている

漁業や水産加工業は東北地方の基幹産業のひとつだから、復旧作業は急がれた。急がれた結果、港によって復旧の度合いに差が出てきた。石巻や気仙沼など大きな漁港は復旧が早いと青木さんはいう。石巻や気仙沼の業者は「まだまだ全然だめだ」というが、これまで女川漁港に揚がっていたものが、別の港に流れるようになったのは事実だ。漁師さんに話を聞いても同じことをいう。

復旧の進捗度合いによって復興のスピードまで左右されかねない状況が生まれているのだ。危機感はつのる。

魚を獲る漁師さんの側にも、震災前から変化を探る動きはあった。問題は獲った魚の流通だ。これまで通り市場に出荷しても、思うような値段がつかない場合が増えていた。中間業者が数多く介在するから、どうしても利幅が縮小する。はっきり言って右肩下がりの状況だった。本当なら自分の手で加工や流通まで手掛けていきたいが、いかんせんノウハウがない。やり方がわからないから一歩を踏み出せずにいた。

大震災はそんな状況を変化させた。

震災後、日本各地へ赴いて女川の魚の宣伝活動を行ってきた青木さんには、最終消費者である都市の人々とのつながりがある。もちろん、どこの浜でどの時期に美味いものが獲れるかといった生産者側の情報も持っている。漁港や魚市場がうまく機能しない中、青木さんは女川近辺の浜をめぐって出荷できる魚を集めて回った。その行く先々で、「流通まで手掛けたい」と考えている漁師に出会った。遠く山口まで出かけて行って、自分の手で魚を売ってみたい、という漁師さんまで現れた。

流通側の青木さんと生産者サイドの漁師さんが、これから先の漁業を考えて、やるべきことはこれだという点で、意気投合した。

(この項は漁業関係以外の一般の方にわかりやすいよう少々ドラマチックに脚色しています。すみません)

美味しく新鮮、お買い得な魚がぐっと身近になる

2012年9月、青木さんは株式会社を立ち上げた。自ら代表取締役に就任したのに加えて、浜の代表にも役員に就任してもらった。会社前は『海の民』と名付けた。開設したホームページには、目指す新しい漁業の形を次のように表現している。

『海の民』は、生産者と消費者の両者をつなぐ鎖の輪となり、牡鹿・女川地区の沿岸漁業を再生するため、漁業者と消費者が参加した水産加工販売会社の確立を目指しています。

商品最新情報 - ㈱『海の民』、牡鹿半島・女川地区の水産販売、獲った魚をその日に発送します。小さな漁村の漁業復興企業

中間流通をなくすことで、より安く、より鮮度の高い商品を届ける――。これまでも同様なビジネスはあったが、海の民の強みは漁師さんとの密接なつながりにある。

たとえば鮮魚のネット通販(Y!でも販売中)では、「お勧めセット 並盛」が3,500円(送料無料)という手ごろな価格帯を打ち出した。サバ、アジ、イナダなどの青魚に小鯛などをセット。その日の漁によって東北特産の魚種が追加されることもある。

利用者にしてみれば、代金を振り込むだけで三陸沖の魚介類がクール便で水揚げの翌日には手元に配達されるわけだ。スーパーなどで買うよりも新鮮な状態で美味しい魚を手に入れることができるのはもちろん、生産者の顔も見えるから安心できる。その上、届けられる魚を通じて“ 東北の海とつながっている感 ”も得ることができる。

青木さんが遠くを見つめている理由

今回の取材でも、女川漁港の仮設事務所から出てきた青木さんは、海に向かって遠くを見つめていた。それは長年営んできた廻船業がなせるわざだろう。外に出たら海を見る。風向きはどうか。船の動きはどうか。ウミネコやカモメの数はどうか。船上の漁師さんと携帯電話でやり取りできる時代になっても、自分の目で海を見ることは青木さんの仕事にとってきっと不可欠なものなのだろう。

もうひとつは、これまで遠いところの存在だった消費者との距離を縮めることだ。ネットで直販することで流通をコンパクトにして消費者に近づくということばかりでなく、青木さんは会社を立ち上げた後も全国各地を回る活動を続けている。先日(12月9日)にも、大きな余震の直後で水揚げが少なかったにも関わらず、沼津なべフェスタというイベントの開催に合わせて、新鮮な魚介類を無理くり仕入れて遠く静岡県まで走ってきた。それもこれも、消費者の反応こそが最大の道しるべになると信じているからだ。

そしてもうひとつは、言うまでもなく比喩としての“ 遠く ”である。

震災で破壊されつくした女川の町で、漁業の復活を模索する中で見つめてきた未来。それは単に壊れたものを復旧するのではなく、新しい形を作り出すこと。被ったマイナスをプラスに転じるだけでなく、さらにもっと遠くを見据えること。

たとえば魚の鮮度を守りつつ、熟成度を高める加工技術にも目をつけているという。鮮魚のネット通販は海の民の仕事の第一歩に過ぎないのかもしれない。

『海の民』ホームページはこちらです。

 商品最新情報 - ㈱『海の民』、牡鹿半島・女川地区の水産販売、獲った魚をその日に発送します。小さな漁村の漁業復興企業
www.uminotami-osika.jp  

写真で見る女川と青木さんの今

女川漁港での水揚げ風景(2012年11月29日)
女川漁港での水揚げ風景(2012年11月29日)

船が着き、魚が水揚げされるだけで、港は活気を取り戻したように見える。
しかし、漁港関係者が口にするのは「水揚げが少ない」、「入ってくる船が少ない」
といった言葉ばかり。魚の町・女川の復活までは、まだ長い時間がかかりそうだ。

女川近海では“ 金華サバ ”と呼ばれる特別なサバも多く獲れる。今後の問題はブランディング。美味しい女川の魚を都会の消費者に認識してもらうことが重要だ。

こちらは2012年12月9日、静岡県沼津市でのひとこま。7日に津波警報が発令される地震があったせいで8日の女川漁港の水揚げは極端に少なかった。それでも翌日の沼津でのイベントのため、漁師さんに無理を言って魚を集めて遠路はるばる駆けつけた。

沼津なべフェスタで青木さんは三陸名物の「どんこ鍋」のブースを出店。「不漁で小さな魚ばかりで申し訳ない」と言いながらも、静岡の消費者の人たちとさかんに言葉を交わしていた。

 ◆ 青木さんの過去記事はこちらから
potaru.com

●TEXT+PHOTO:井上良太

最終更新:

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