奉奠祭花火大会前日
現場に到着したのは、もう日が暮れた後だった。震災直後から久之浜とお隣の四倉の復興に向けて、側溝の泥だし、撤去される家屋からの思い出の品の搬出、ガレ花活動、そして昨年の奉奠祭など、故郷の未来のための活動を展開してきた北いわき再生発展プロジェクトチーム。代表の高木優美(まさはる)さんには、事前に連絡をとっておいた。
「前日は私も仕事で遅くなると思います。申し訳ありませんが、会場で作業している人たちに合流していただけると助かります」
これまで何度も足を運んだ久之浜だから、町の地理はある程度分かる。それでも日没後はどこに何があるのかさっぱり分からなかった。イベント会場は津波被害を受けた中心部だから、もちろん家はほとんどない。街灯もない。時々走っていく車のヘッドライトのほかに明かりはないに等しかった。
被災地に来て、本当の夜の暗さを知ったような気がした。
とはいえ、完全な闇だったわけではない。ステージカーが乗り付ける場所には、すでに音響さんのトラックが停まっていて、荷卸しを開始していた。水産工場の跡地と思われる敷地には発電機で工事用のライトが灯されていて、何人かの人影が動いているのも見えた。
「こんばんは。手伝いに来ました!」
できるだけ元気な声で、音響さんのトラックに声をかける。
「お疲れ様!こっちは今いる2人で何とかするから、明日よろしく。今日はあっちを手伝って」
東京からやってきた音響さんが両手でステージ用のスピーカーを抱えながら、発電機の人影の方に目くばせした。発電機は敷地の奥の方にあったので、入っていっていいものかとちょっと躊躇したが、足元に気を付けながら近づいていくと、10人ほどの人たちが集まって、これからの作業についてミーティングをしている最中だった。
「夜間の屋外での準備は、デスクと可搬式ステージの搬入です。もうすぐ軽トラがあと1台来ますので、2台体制で手分けして運搬をお願いします」
ビブスを着たリーダー格の人が説明する。発電機につながれた工事用のライト1灯では、参加者の顔もよく見えない。軽トラックを待つ間の様子を見る限り、全員が顔見知りというわけではなく、この日のために集まった人も少なくない感じだ。
やがてトラックが到着するが、元あった方の軽トラを運転できる人がいなかったのでドライバー役を買って出て、トラック2台と乗用車に分乗して公民館までデスクと可搬式ステージを取りに行く。公民館の収納スペースからトラックまで荷物をどう運ぶか。小さな軽トラの荷台にどう積み込むか。その場編成のボランティアが声を掛け合い、考えを出し合って作業を進めていく。
ちょっと遠慮しながらも、「横向きに積んだ方がたくさん運べるんじゃないかな」とか「安全第一で縦に積もうよ」、「荷締めロープはないの?」と意見やアイデアを出し合う感じ。結局は当たり障りのないところに落ち着くことが多いんだけれど、そんなやり取りを通じて、少しずつお互いがチームになっていく。
準備に次ぐ準備で夜は更ける
屋外作業が終了した後は、諏訪神社の社務所に再集合。神社が用意しくれた夜食や、参加者の差し入れをいただいて、引き続き準備作業を続ける。初参加だから何をどうやればいいのかなんて分からない。こういう時は、誰かがやっている作業を「それ手伝いますよ」と声をかけるのが一番。
まずは祭りのプログラムのホッチキス留め。印刷されたプログラムと協賛企業名が記されたコピーを重ねてピン留めしていく。やってくうちに「紙重ね係とホチキス係に分担した方がよくね?」と提案が出て、その方式にシフト。「自分も手伝っていいかな」と作業者も増えてきて、最終的には6人態勢で作業。正座した足がちょっと痺れてきたなという頃には、作業は終了していた。
さて次は……、とあたりを見回して作業を探していたら、ホチキス留めを一緒にやった人から声がかかる。「看板作ってるから板を押さえてもらえませんか」。社務所の外に出て、協賛企業の社名を貼り出すための看板作りをサポートする。
しかし、材料が圧倒的に足りない。薄いベニヤはあるが、枠を付けるほどの材木がない。斜めに伸ばす支柱を横で止める部材もない。短く切断された細い角材をつなぎ合わせて、最低限の強度を出すためにどうするか、3人がかりでアイデアを出し合う。まるでパズルだ。「これで行こう」と設計方針が決まったものの、今度は長い釘がない。短い釘で工作する方法をもう一度考え直して、ようやく作業をスタート。夜はどんどん更けていく。
お辞儀するような格好で、ちょっとアクロバチックに釘打ちをしていたら、高木さんが仕事から帰ってきた。
看板作りがなんとか終了して社務所に戻ると、室内にいたボランティアたちはキャンドルサービス用のカラーキャンドルや、ワークショップの展示パネル、復興グッズ販売のPOPなどさまざまな物を作っていたり、立ち入り禁止看板の設置方法を相談したり。
「出演者用の駐車場看板はどうなったかな」
準備項目をチェックしながら高木さんが声をかける。「ほかの人に駐車されると困るから、はっきり分かるようにしておきたいんですよね」。看板制作チームが確認のため真っ暗な町へ出かけていく。夜はさらにどんどん更けていく。
被災直後のボランティア活動の熱さや活気からは程遠いだろう。それでも、それぞれができることを持ち寄って、ひとつのイベントの実現のために力を付け足していく。付け足された分だけイベントが現実に近づいていく。第2回奉奠祭前夜、久之浜にはボランティアの原風景があったように思う。
束の間の熱。イベントの盛り上がりが次につながってほしい
2012年10月20日。いわき市久之浜の快晴の空の下、たくさんの屋台やワークショップのテントが立ち並んだ。空にはモーターパラグライダーの姿もあった。地上にはたくさんの人があふれていた。がれきが撤去された土地では花火大会に備えて地元消防団による放水が続けられていた。
そして、待ちに待った第2回奉奠祭花火大会がスタートする。
本当なら昨年と同様に8月開催の予定が、直前になって延期が決定。しかし8月30日にはこの日の開催が再決定されるという波乱含みの開催だった。それでも、被災した町に集まったたくさんの人たちはみんな、この日の花火を心待ちにしていた。久之浜から離れて暮らす人たちにとっては、古くからの顔見知りに会える絶好の機会。久之浜に暮らす人々にとっては、町を離れた人たちと再会できる日。町に戻ってきてもらう「きっかけ」になってほしいと期待している日。そして、震災前から都会に子どもたちを送り出していたおじいちゃん、おばあちゃんたちにとっては、久しぶりに孫や子どもたちの顔を見ることができる「きっかけ」となるイベント。
そして、多くの人々を失った町で、集まった人たちが大切なものを確認し合う日。
地元の小学生が中心となった黒潮みつもり太鼓の見事なチーム演奏に合わせて、2,000発の花火が打ち上げられた花火大会の間、音響スタッフのサポート要員として、舞台袖(ステージカーの隣の本部テント)の裏で、花火を見上げるボランティアたちの横顔を見ていた。
花火がぱっと開く瞬間、スタッフたちの表情が照らし出される。前夜から動き続けてきたスタッフの顔は、きれいな花火を無心に楽しんでいるように見えた。手が空いた音響のチーフが目を細めている。一緒に看板を作ったスタッフが驚いたような顔で花火を見上げている。ホチキス留めをした仲間もいる。
その中に、高木さんの横顔もあった。花火大会の開催直前、隣で高木さんがつぶやいた言葉が忘れられない。「今年は、ただ成功を祈るばかりですよ」。
震災から時間が経過するにつれて、担う役割は人それぞれ、少しずつ変化していくものなのだろう。それでも、被災、高齢化、原発事故などさまざまなハードルが立ちはだかる町で、新しい時間を手に入れていくためには、若い人たちの力が必要だと思う。
束の間、イベントのボランティアスタッフとして奉奠祭に関わって、そう思った。
花火大会の後、以前からの知り合いの方、今回知り合った人たちと握手しながら、そして高木さんと「来年も」と強く手を握り合って思ったのは、久之浜には、外からの人たちがたくさんやってきて、町の人たちと一緒にやるイベントがまだまだ必要なのではないかということだった。
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)
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