東日本大震災・復興支援リポート 『一緒に頑張っていこう』おにぎりに託された想い

tanoshimasan

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被災地に響く元気

「ほらほら!買っていってよ、おにーさんッ!男前ッ!!」「そうそう、これ買ったらもーっと男前ッ!!」

福島県いわき市久之浜町被災跡地で奉奠祭は行われた。

 勢いのある声が響く。福島県いわき市久之浜町にて開かれた奉奠祭(ほうてんさい)でのことだ。東日本大震災において壊滅的被害を受けた久之浜町。このお祭りはそんな久之浜町の復興への願いと誓いを込めたお祭である。 かつては家が立ち並んでいたのであろうこの町。東北を訪れたこと自体初めてだった僕にとって、初めて目の当たりにした被災地の光景は、ひと言やふた言では言い表せないものだった。しかし、被災地と言えど、この日はお祭りである。跡形もなくなった住宅街の跡地を会場に賑わうこのお祭りの雰囲気が、僕はなんとなく好きになっていた。

 賑わう華やかな露店群。被災地はもちろん、首都圏や静岡からの出店のほか、学生のボランティア団体などもちらほらと見かけた。

◆◆◆

「男前のおにーさんッ!ちょっと足止めてこっち見てって!!」

「男前ッ!」が口説き文句。

石川町のお店はとっても賑やかだった。

 僕は関西出身だが、この東北の地で、関西人顔負けの呼び込みがひときわ目立っていた。この明るい呼び込みはとても素通りできるものではない。それに、実際は「男前」とは程遠い僕だが、それでも「男前」と呼ばれれば悪い気はしなかった。そのお店の豪快さに圧倒されていると、いつの間にかあれを買い、これを買い。

 気が付けば、その商売上手な方々を相手に、一人では到底食べきれないほどの“ポン菓子”と“みそじゃが”を買っていた僕。被災地でのお祭りと言うことで、どこか粛々とした気持ちでいた僕も、すっかり楽しい気分にさせられてしまったのだ。うーん、中々の商売上手である。 そのやたらと元気な、ピンク色のジャンバーを着こなした集団は、福島県石川町の町民の方々。

 と言っても、私自身それまで福島県の土地勘など皆無だった。せっかくだったので、石川町について色々と尋ねてみることに。

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■ 久之浜町と石川町 
ここで軽く解説しておくと、そもそも福島県いわき市久之浜町は、県内東部で太平洋に面している。(地図)つまり、震災当日は津波の影響を直接的に受け、壊滅的被害へと繋がってしまったのである。

 一方、福島県石川郡石川町はいわゆる内陸部。(地図)福島県全体でみると久之浜町と同じく東側に位置するが、山を越えるため、当然ながら津波による直接的被害はなかったそうだ。 海に面した久之浜町、山の中にある石川町。海と山の違いはあるにせよ、くだけた言い方をすれば「ご近所さん」とも言えるだろう。しかし、近所に位置していながら、その海か山かの違いが、震災による被害の大小を大きく分けてしまったのだ。

何よりも早く届いたおにぎり

 ―――いつもと変わらない、ただ、3月にしては少しだけ肌寒くも感じられたあの日。2011年3月11日。

 石川町でも震度5強という強い揺れを観測したという。恐らくは町の人々も大いに戸惑ったであろう。しかし、石川町の皆さんの動きは、驚くほどに迅速だった。

 「翌々日(13日)の朝4時に集合を掛けてね。結構たくさん人が集まったんだよ。10時まで作ったかなぁ、おにぎり。」 数にして2300~2400個。震度5強ともなれば、石川町だって「被災地」だと言えるだろう。しかし、このおにぎりは石川町で配られたものではない。地震による混乱のなか、このおにぎりは山を越えた。津波による被害が著しくインフラは麻痺、もはや陸の孤島と化していた福島県いわき市久之浜町。そこへ何よりも早く届いたのがこのおにぎりだったのだ。

◆◆◆ 

 「今から3~4年前だったかなぁ。『一緒に頑張っていこう』って言い合ってた矢先だったからね。小さな町に出来ることなんて限られてるけど。」

何をもって「復興」と呼べるかはわからない。

それでも、この日の久之浜町は活気に満ちていた。

 石川町と久之浜町。それぞれ“山”、“海”の恵みを受ける両町の交流が始まったのは3年前だか4年前だか、伺った限りでははっきりしない。最初は両町3~4人程度の付き合いだったと言う。恵まれた風土を活かし、互いの町を良くしていこうと思いが合致、いつしか町おこしの行事等に行き来する関係が育まれた。良好な関係が始まって「さぁ、これから!」地震はそんな時に起こった。

 「津波だ!大変だ!って、行ったら行ったで今度は原発が爆発したでしょう。今度は避難先※まで炊き出しだ!大変だ!って。あの時は本当に(大変だった)ね。」 久之浜町の町民は5000人を超す。2300~2400個のおにぎりが、どれだけの町民に行き届いたかはわからない。それでも津波被害や、原発の爆発事故、明日をも知れぬ不安のなか、このおにぎりがどれほど人々を救ったことだろう。

 「義援金だったら大した額はだせねえけどな。」 とある奥さんはそう謙遜したが、身近なご近所さんの支えは何よりも頼もしかったに違いない。

※ 原発の事故後、久之浜町は警戒区域に。避難を選んだ町民の多くは、いわき市南部の湯本や泉へ向かった。

中には、つてを頼りに県外へ出た人や、久之浜町に残ることを選択された人もいるという。

◆◆◆

 「売り切れ!やったあ!!」

16時、売り切れ!

 16時をまわり、奉奠祭も佳境を迎えるころ、石川町の露店が湧いた。その底抜けの明るさに、都会の大学生も顔負けの若々しさを感じたのは僕だけだろうか。販売されていた”ポン菓子”と”みそじゃが”は余すことなく売り切れ、町民の方々はその笑顔を弾けさせた。

 もちろん僕のかばんにも、食べきれなかったポン菓子が3袋入っている。2袋100円、1袋はサービス。原料のお米はもちろん石川町産のこしひかりだ。どう考えても儲けにはならないだろう。それでも、この久之浜の地で、数多の露店群の中で、石川町がひときわ活気を放っていたのは言うまでもない。 「次の週には石川町で産業祭ってのがあるんだけどさ、今度は久之浜からみんな来てくれるんだよ。」

 3~4年前から両町を繋ぐ合言葉。悲しみを乗り越え、より強固になっていく。 

 『一緒に頑張っていこう』

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