センバツに21世紀枠で初出場し、しかも選手宣誓のクジを引き当て、被災地の心とあきらめない プレーで、日本中に勇気をくれた石巻工業高校野球部の選手たち。彼らは甲子園入りする直前、静岡県・伊豆で最終調整のための合宿を張っていました。人と人 のつながりで実現した伊豆合宿。ナインとナインを応援し続けた人々の物語を追います。
第84回選抜高等学校野球大会(2012年センバツ)に21世紀枠で出場した石巻工業高校野球部は、地元・石巻市や宮城県のみならず、広く被災地の方々、そして日本中の人々に「あきらめない」心を伝えてくれました。
残念ながら初戦突破はなりませんでしたが、九州地区大会の優勝校・神村学園を相手に一時はリードする展開で日本中を沸かせました。圧巻だったのは0-4とリードされた4回裏。選手宣誓をした阿部翔人君、阿部克輝君の適時打、さらに伊勢千寛君の敵失を誘う打球で一気に5-4と逆転したシーン。3月上旬の伊豆合宿でシュアなバッティングを見せていた伊勢君。マシンバッティングでは進んでマシン担当を買って出て、支援者や取材者にも気さくに話してくれていた彼の打球が外野へ抜けていった時、テレビに向かって思わずガッツポーズをしてしまいました。
人が人を結び合わせた先に
甲子園での熱戦を遡ること約2週間前、石巻工業高校ナインは静岡・伊豆の空の下にいました。この冬の石巻地方は例年にないほどの雪に見舞われ、満足にグラウンド練習ができたのは、正月以降3・4日しかなかったといいます。どこか温暖な地で調整できないだろうか、と関係者から相談を受けたのは石巻市のバス会社・ドリーム観光の佐藤晃ドライバー。そして佐藤ドライバーが声を掛けたのが、静岡県と被災地をつなぐ支援活動を続けてきたNPO法人伊豆どろんこの会の白井忠志さんでした。
佐藤ドライバーは長年にわたって石巻工業高校野球部のバス運転を担当してきた人です。そして、奇遇としか言いようがありませんが、佐藤さんは「3.11」以降、伊豆どろんこの会が行う支援活動のパートナーとして、毎月数回は東北と静岡の間を大型バスで往復していたのです。佐藤さんから相談された白井さんは、二つ返事で支援を約束。ホテルや伊豆での練習場所などを手配します。さらに、被災地のリトルシニアチームを招待して野球大会を開催した際に連携した静岡の体育協会や野球チームにも協力を要請。遠く離れた石巻と伊豆が佐藤さん、そして白井さんの仲立ちでつながりました。
人と人の連携はそれだけにとどまりません。石巻工業高校と縁の深い日本製紙石巻野球部監督・木村泰雄さん、石巻北高校教諭の高橋朗さん、さらに三島市長・豊岡武士さんの母校である韮山高校(伊豆の国市)の韮高野球部父母会の呼びかけで、練習施設の提供も受けました。伊豆での合宿があいにくの雨模様となったのを受けて、沼津市の加藤学園高校が急遽雨天練習場を貸してくれました。少しの時間でも練習したいとの声に、夕食後には地元リトルシニアチームのバッティングゲージも貸してもらいました。石巻工業高校のナインは、多くの人々からの支援と後押しを背に受けて、甲子園へと向かったのです。
被災地の心を代弁した選手宣誓
福島県いわき市の吉田キミヱさん(70歳)は、石巻工業高校主将・阿部翔人君の選手宣誓に涙が出るほど感激したと言います。お隣の宮城県のチームではあるけれど、彼の言葉には被災地の人々の思いがしっかりと込められていたと話していました。阿部翔人君の選手宣誓は次の内容です。
宣誓。東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災された方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、今も当時の事や亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。
人は誰でも答のない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう、日本の底力、絆を。
われわれ、高校球児ができること。それは全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。選手代表
宮城県石巻工業高等学校野球部主将 阿部翔人 とくに被災地の人たちには、「人は誰でも答のない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです」という言葉に涙したとおっしゃっていた方が少なくありません。
誰かのせいであれば恨むことで気を紛らわせることもできるかもしれません。でも、天災によって大切なものを失った人たちが負った心の傷は深く、そして癒しがたいものだというのです。そんな苦しさを乗り越えていく力を示してくれたというのです。
ナインの思いをまとめ上げてみんなで作った宣誓文
激励のため宿舎を訪れた伊豆どろんこの会の白井さんは、ナインの言葉がいっぱいに書きいれられたホワイトボードを目の当たりにして、胸がいっぱいになったそうです。阿部主将も、被災地の思いを宣誓として伝えるという大仕事のプレッシャーから、開会式のリハーサルは胃腸炎で欠席してしまいます。急遽、エースの三浦拓実君が宣誓の練習を始めるなど、開幕直前は落ち着かない雰囲気もあったそうです。
それでも本番では、しっかりした言葉で、被災地の高校球児としてのメッセージを発信した阿部翔人君。敗れはしたものの、最後まであきらめることなく「直志追球」のプレーを見せてくれた石巻工業高校ナイン。次は「夏」です。「あきらめない街・石巻!!その力に俺たちはなる!!」
言い切ることができる「強さ」が石巻工業高校ナインにはありました。被災地から、そして全国から、多くの人々の思いを受けて前進する彼らの、さらなる成長を期待しています。
スローガンは「直志追球」。志を真っ直ぐにひたすら球を追うという意味です。人間が持つ本性・精神の働き・人間らしさが「志」という一文字に込められています。東日本大震災ではグラウンドは津波で水没。校舎1階も水に浸かり、3月下旬に再開した野球部の活動は、学校施設の自力での復旧からでした。指導に当たってきた松本嘉次監督に「彼らは何かを持っている」と言わしめるまでに成長した背景に、あきらめることなく、真っ直ぐに球を追う思いがあることは間違いありません。
取 材 後 記
石巻工業高校ナインとの出会いは、深夜に伊豆に到着した翌早朝。ちょうど朝の散歩から彼らが宿舎に戻った時のこと。礼儀正しい挨拶の清々しさはいかにも高校球児といった感じでしたが、どこか武士(もののふ)を思わせるような鋭い眼差しが印象的でした。それでも、練習の合間やバスでの移動中、レストランでの食事の一時に見せるやんちゃな笑顔は10代の少年のもの。伊豆に滞在した3日間で、たくさんの人たちが彼らのファンになってしまいました。彼らの戦いはまだまだ続きます。直近の目標は夏の甲子園ですが、その先には地元の復活という大仕事が控えています。石巻工業高校の皆さんの今後に期待を込めて注目していきます。(2012年3月8日~10日取材)
取材・構成:井上良太(ジェーピー21)取材協力・写真協力:NPO法人伊豆どろんこの会
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