2016年、福島第一原発のアジェンダ fnp1monitor 2015.12.25 0 5,721 0 12月18日、原子力規制委員会で「第38回特定原子力施設監視・評価検討会」が開催された。主に事故原発の汚染水対策について話し合われた模様だ。この検討会に提出された資料は、福島第一原子力発電所の現状と今後の課題、進捗予定について示すもので、いわば2016年に向けての事
まったく足りなかった防災知識と備蓄食 cha_chan 2017.06.22 5 5,711 0 5/11の記事で、現状の我が家の災害備蓄品リストを公開しました。 我が家の災害備蓄品を公開します! 我が家では2012年に災害備蓄品を買い揃えてから、その後家族も増えているのに、そのまま現在まで放置してしまいました。現状では大人2人分の備蓄しかされていません。また備
息子へ。被災地からの手紙「神戸の人たちの津波への危機感」 iRyota25 2016.06.02 3 5,700 0 避難誘導看板の周りが暗く見えるのは、ライト内蔵の電飾表示が明るいから。この誘導看板が設置されているのは神戸の中心街、元町のアーケードの天井だ。 アーケード街全体が見えるように撮った写真を補正してみたものの、ライト入りの誘導看板は白く飛んでしまった。それだけ
ずっと地元で生きてきたから、 復興の現実を見つめる目はシビアだ。 それでも弱音を吐かない強さ(2012年1月21日) iRyota25 2013.01.21 2 5,689 0 静岡県浜松市に避難している川里女久美(めぐみ)さんのご両親、完戸富吉(ししどとみよし)さんと奥さんの幸子(ゆきこ)さんへのインタビューで福島県南相馬市を訪れました。取材当日の浜通りは雪まじりの天気。お二人は「こんな雪になって大変でしたね。本当はほとんど雪
[巨大津波]明治三陸地震から119年 iRyota25 2015.06.12 2 5,688 0 ぜひ別ウィンドウで開いて、拡大してご覧いただきたいのです。この絵は明治29年6月15日午後8時頃、三陸地方を襲った「明治三陸地震」による津波の惨状が描かれた錦絵です。描いたのは明治期を代表する錦絵画家の一人で、戦争画などを数多く残した小国政こと五代目歌川国政。
【振り返り・仮設住宅】解体される仮設住宅に見た厳しさ hometown_of 2018.02.09 4 5,685 0 震災からまる7年を迎えつつある今日、被災地では仮設住宅の集約や撤去が進んでいる。住民が退去した仮設住宅では、時をおかずに解体が進む。 この文章が仮設住宅について書いたものだという予備知識を抜きにして、下の写真を見て、この建築物がどのような用途のものだったか分
ガレ花ロードを桜ロードに iRyota25 2014.02.13 5 5,669 0 日本各地で大雪と猛吹雪が吹き荒れた2月8日・9日。いわき市久之浜で桜の苗木の植樹が行われた。植えられた桜は、早咲きで知られる伊豆の河津桜。一日も早い復興を祈念して早咲きの河津桜を! その桜の苗木には、早咲きというだけにとどまらない熱い熱い想いが込められている。
東北、この一枚。(10)国道から見える福島第一原発 iRyota25 2013.09.26 3 5,662 0 福島第一原発の写真と言えば、爆発で破壊された各号機の凄惨な姿や、いまも構内に残る津波の瓦礫、さらには汚染水漏えいが大問題になっている仮設タンク群などを想像するかもしれないが、そういう光景は、ウルトラ特別な許可を得た極々一部の人にしか見ることが許されていない
【復興支援ツアー2019】被災地の「今」と「魅力」を伝える旅 by cha_chan cha_chan 2019.05.07 3 5,662 0 前回の復興支援ツアーでは、東日本大震災大震災で被災した気仙沼市を中心に周りました。 現地の方たちのお話から、あんなに大きな地震や津波、火災があったにもかかわらず、東日本大震災をプラスに受け止める人たちに、7年という短い時間で前に歩き出している強い姿を見ること
【シリーズ・この人に聞く!第76回】内部被曝の脅威を説き続ける被曝医師 肥田舜太郎さん kodonara 2012.05.07 0 5,646 0 肥田舜太郎さんは2017年3月20日にご病気のためご逝去されました。 謹んでご冥福をお祈り致します。この記事は2012年3月に取材致しました。 じわじわと命を蝕む低線量被曝の恐怖。広島で軍医として赴任中に被曝してから、2009年3月に医師を引退するまで6000人以上の被爆者を診
震災マニュアル ~ お役立ちリンク集 iRyota25 2013.01.18 2 5,640 0 地震や津波などの自然災害は人間の力で防ぐことはできません。また地震を予知することもできません。しかし、自然災害が発生した時に、どうやって身を守るのかを、事前に考え準備しておくことで、被害を食い止めることは不可能ではないはずです。 地震・津波情報 気象庁 地
東日本大震災・復興支援リポート 東日本大震災で何が起こったのか。 宮城県のパネラーが防災シンポジウムで語った肉声(2012年2月17日) iRyota25 2013.01.10 2 5,632 0 春のセンバツに21世紀枠として出場した石巻工業高校野球部の松本嘉次監督、女川町で廻船業を営む青木久幸さん、多賀城市総務部地域コミュニティ課の吉田学さん、そしてコバルトーレ女川の選手兼ユース監督で地域担当も務める檜垣篤典さん。それぞれの立場で震災をくぐり抜けて
【レポート】復興支援ツアー2014 ~東北を見て、そして伝える~ by sKenji sKenji 2014.06.08 3 5,616 2 1日目 5月29日。いよいよ、東北旅行に出発! 当初、計画していた予定では、昼過ぎに岩手県・二戸駅到着予定でしたが、新緑に輝く奥入瀬の写真を少しでも綺麗に撮りたく、急遽、前日、東京在住の友人宅に泊まり、07:36東京発の東北新幹線に乗り、東北へ向かいました。 岩手県
明日を目指すお店リポート:久之浜「からすや食堂のラーメン&餃子」 iRyota25 2013.01.18 3 5,583 0 「こだわりってことではないんだけどね。同じ味。昔ながらの味でやってます」 被災地にできた仮設商店街の第一号となった久之浜の「浜風商店街」。いつも笑顔で話しかけてきてくれる、からすや食堂さんは商店街のウェルカム担当。気さくで美人の奥さんとイケメンなご主人が、
[100年災害]富士山の宝永大噴火 Rinoue125R 2014.12.15 2 5,547 0 1707年(宝永4年)に発生した大噴火。宝永火口からの火山灰が江戸に降り積もる 江戸幕府ができて約100年、世は元禄地震の被害から改元されたばかりの頃。九州霧島の噴火(宝永2年)、浅間山の噴火(宝永3年)、南海トラフを震源とするプレート境界型地震、宝永大地震(宝永4年
[12月16日という日]富士山が宝永の大噴火 Rinoue125R 2014.12.17 2 5,492 0 1707年(宝永4年)、富士山が大噴火。宝永火口からの火山灰が江戸に降り積もる 首都圏直下型だったと考えられる元禄大地震を機に、元号が元禄から宝永に代わった翌年の九州霧島の噴火(宝永2年)、浅間山の噴火(宝永3年)、南海トラフを震源とするプレート境界型地震、宝永大
津波からの避難は、湖でも必要です! sKenji 2015.06.29 3 5,452 0 津波は海で発生するもの。そのように思われがちかもしれませんが、先日、次のような新聞記事を目にしました。6月25日付、神奈川新聞社のものです。 東日本大震災発生時の地震波で震源から450キロメートルほど離れた箱根町・芦ノ湖の湖面が波打ち、水位が最大で約20センチ
Message - 東日本大震災を経験して iRyota25 2013.01.18 2 5,438 0 お願いだから生きのびてください。大げさだと笑われてもかまわないから、助かることを第一に考えて行動してください。 大地震はいつどこで起こってもおかしくないのですから。 地震や津波などの自然災害は人間の力で止めることはできません。また地震を予知することもでき
震災マニュアル ~ 震災に遭ったら(学校) iRyota25 2012.12.27 3 5,411 0 考えられる危険 地震や津波などの自然災害は人間の力で防ぐことはできません。また地震を予知することもできません。しかし、自然災害が発生した時に、どうやって身を守るのかを、事前に考え準備しておくことで、被害を食い止めることは不可能ではないはずです。 ・照明器
【遺構と記憶】高田松原道の駅「タピック45」 iRyota25 2015.02.13 2 5,357 0 国道45号線沿い、陸前高田の高田松原側にあった「道の駅 高田松原」は東北随一、広さ4ヘクタールを誇る道の駅でした。直売所などの店舗やインフォメーションのほか、うごく七夕やけんか七夕の山車も展示されていたそうです。 三角形の建物が印象的な「タピック45」は道のシン
「奇跡の集落」吉浜に建てられたいくつもの記念碑 iRyota25 2016.06.13 3 5,280 0 岩手県気仙郡吉浜村。現在の大船渡市三陸町吉浜は「奇跡の集落」と呼ばれている。奇跡と称される理由は2つある。ひとつは東日本大震災の巨大津波の被害を受けながら、地域の人的被害は行方不明者1人にとどまったこと(隣の越喜来集落の老人ホームに入居していた11名が亡くなっ
南海トラフ巨大地震への備え ~その3~ sKenji 2014.03.17 2 5,276 0 南海トラフ巨大地震が発生した場合、最悪のケースでは、約32万人以上の犠牲者が出ることが想定されています。しかし、最大限の防災対策を行った場合には、6万1千人に減らすことができるとも言われています。 防災・減災に最も大切なものは、「一人一人の災害への備え」。災害
避難ルートを実際に歩いてみました。~熱海・サンビーチ編~ pamapama 2017.05.01 9 5,255 0 海の自然に恵まれた伊豆に住んでいるので、子供を連れてよくいく海がいくつかあります。そんな時「もし津波が来たら」という考えは必ず浮かぶのですが、同時に「きょうは大丈夫だろう」という甘い気持ちが必ずどこかにあります。 でもそんなことではいけません。東北地方に伝
海辺の地をゆく「警戒区域北部」2012年1月21日 iRyota25 2013.02.21 2 5,250 3 2012年1月21日(震災から317日目)の南相馬市小高区~浪江町~双葉町~大熊町 東日本大震災から1年がたとうとしていた、いまから1年ほど前の「警戒区域」。許可証を持って区域内に入った方から提供していただいた写真から、当時の状況を振り返ります。 南相馬市原町区大甕(お
小学校の引き取り訓練で気になったこと akaheru 2019.05.31 7 5,237 10 先日、小学校の引き取り訓練に参加してきました。 (参加してきた、といっても子供を迎えに行っただけなのですが) これは、大地震発生時などの緊急時に、学校から家庭へ子供の引き渡しをスムーズに行うための訓練です。 ざっくりとした流れは下記の通り。 1.地震発生(という