日本各地で大雪と猛吹雪が吹き荒れた2月8日・9日。いわき市久之浜で桜の苗木の植樹が行われた。植えられた桜は、早咲きで知られる伊豆の河津桜。一日も早い復興を祈念して早咲きの河津桜を!
その桜の苗木には、早咲きというだけにとどまらない熱い熱い想いが込められている。
想いは伝わる。熱とともに
発端は静岡県駿東郡長泉町にある三島学園三島高等学校の生徒会が、文化祭の収益を被災地支援に役立てたいと先生に相談したことだった。ここから想いが人と人をつなぎ始める。先生は、地元の三島大社の祭礼で神輿連の顔役をつとめる姐さんに相談に行った。姐さんは震災の直後からいわき市久之浜に行き、地震と津波と火災、そして原発事故で痛めつけられた町の復活に力を尽くしたいと活動してきた中心人物。そんなありがたい申し出なら、ぜひともこどもたちの想いを形にするだけじゃなく、未来につなげていきたいと、桜の植樹を思い立った。植えるなら早咲きの河津桜がいい。久之浜と伊豆をつなぐ象徴にもなる。姐さんはそう心に決めた。
しかし、いくら植えたい植えたいと言ったところで、受け入れる側がどう思うか。賛同してもらえるかどうか。植えさせてもらえるとしてもどこに植えるのか。それに、植木の手配やどうやって植樹をするか。誰が植樹の作業をするのか――。
「やろう!」と思うだけでは前には進まない。姐さん(えぇい、いつもの呼び方と違うと調子が出ないから、いつもどおり佐野さんと呼ばせてもらいます)、もとい佐野さん(静岡県三島市の佐野比呂子さん)は仲間たちに自分の考えを話して回った。
ぼくが佐野さんから話を聞いたのは、1月半ばのこと。伊豆長岡にあるお洒落なレストランのオープンテラスでのことだった。凍えるほど寒い中、時間を忘れて話し込んだ。佐野さんの熱は冬の寒さを上回って余りあるものだった。
いろんな人に話してるうちにね、「姐さん、俺たちにもカンパさせてくれ」という申し出が、いろいろあったんだ。
でも今回は違う、そうじゃない。これは三島の高校生たちの想いを久之浜に伝えるためのもの。申し出はありがたいけど、次にして頂戴なってね。
植木屋さんも支援を申し出てくれた。せっかく植樹するんだから枯らさないようにしないとね。この申し出はありがたくお受けしましたよ。桜の苗木もおどろくほどの値段で手に入れることができた。高校生たちの想いが130本の河津桜になりました。
久之浜からも協力したいという話があるんですよ。でもこればっかりは、直接行って話してこなくちゃね。
佐野さんはそう言って1月下旬に久之浜に行き、震災直後の町でボランティアセンターのように機能していた諏訪神社の宮司さん、町内の区長の皆さん、ボランティアチームとして活動した地元の若手などなど多くの人に会い、話を取りまとめてきたらしい。
らしい、というのはその場で見た来たわけではないからだ。見たわけじゃないがはっきり分かることがある。それは佐野さんの想いが「熱」をもって伝わっていったに違いないということだ。
佐野さんは、「死んだら私の骨は久之浜の海に撒いとくれ」とご家族に言っているそうだ。その日初めて紹介された娘さんが、何を言っても聞かないんですよと苦笑する。その横から「骨になってからでも私はずっと久之浜の町を守るんだ」と佐野さんが言う。震災直後、四重苦、五重苦とも言われた町の姿に呆然としながらも、それでも何とかしたいと語る宮司の息子さんの高木優美(まさはる)さんと出会って、佐野さんは心に決めたのだという。
この熱は伝わる。高校生たちの想いを核にして、静岡の人たち、いわきの人たちの想いが合わさっていく。河津桜をいわきに植えるプロジェクトが本格稼働した。
その名は「Team 桜龍(おうりゅう)in 久之浜」。
ガレ花ロードを桜ロードに
佐野さんの熱がぶつかってくる。話を聞いているのではなく、「想い」がそのまま伝わってくる感じ。佐野さんの気持ち、何となくだがよくわかる。散骨なんて言われても変な話には聞こえない。
たしかに、高木さんに会えばそう思うかもしれないと受け止めている自分がいる。自分も高木さんに会って話をして惚れ込んだ1人だからだ。
――あの日から数カ月たった頃、解体されて撤去されるのをただ待っている建物の外壁に、花の絵を描こうという話が出た。町には解体されずに全半壊のまま残された建物がたくさんあった。その姿は、見るたびに何度も何度も何度も辛い記憶を呼び戻させるものだった。せめて、撤去されるまでの間、町が少しでも明るくなるように――。
ガレキに花を咲かせましょうプロジェクト、「ガレ花」はこうして誕生した。マスコミにも取り上げられた。ガレ花を見るために久之浜にやってくる人たちもたくさんいた。
しかし、ガレ花誕生に彼自身も深く関わってきた高木さんはこう言っていた。
ガレ花は建物の解体とともになくなってしまいますが、それでいいのです。花は散ってもいつか必ず再び花を咲かせます。解体される建物にペイントしたのは、そんな想いが強かったのです。
再生のためのガレ花。町がよみがえる象徴としてのガレ花。
震災から7カ月ほどたった頃、高木さんのお母さんからこんな言葉を聞いた。
静岡の方もたくさん支援に来てくださって感謝しているんですよ、といった話から「この神社にも河津桜があるんです。ほら」と指さしながらお母さんは言った。
花はいいですよね。咲いている姿を見るだけで、見ている人までぱっと咲いたように明るい気持ちになれるから。ガレ花はそのうちなくなってしまうけれど、いつか久之浜の町に本物の花がたくさん咲くといいと思うんですよ。
「想い」なんて曖昧な言葉を使えばそれだけで3割減点。多用するなんてもってのほかなどと、記事を書く職業の人たちの間で言われることがあるが、そんなのおととい来やがれってんだ!
本当の言葉、本物の行動は、想いがなければ駆動しない。想いとは佐野さんの熱のようなものだ。高校生たちの想い、先生の想い、神輿連や三島の人たちの想い、打ちのめされそうな中で町の再生と発展を信じてやってきた久之浜の人々、若者たちの想い、花が再び咲くことを信じる想い……。みんなが持っている小さな火が集まって、つながって「Team 桜龍 in 久之浜」になったんだ。
小学校、老人福祉施設、稲荷神社、お寺、公園、ちびっこ広場、風評被害で作付けしなくなった畑、久之浜の町が見渡せる高台。今回植樹した場所は10カ所以上。それぞれの場所にたくさんの地元の人たちが集まってくれた。
まるで海が凍りついたように見えるほどの厳寒の吹雪の中、区長さんや地元の皆さん、町の未来への想いを熱く語る若者たち、そして静岡から河津桜を届けにいった人たちの手で、植樹された桜の苗木。「想い 天に 通ず」。佐野さんはそう言った。
たぶん寒くて口も開けられない中、皆さんの心の中にあった合言葉はこれだ。
「ガレ花ロードを桜ロードに!」
エピローグをふたつ
私ね、できるだけ派手な格好して三島高校に時々行くようにしようって思ってるんですよ。だって、そうしたらきっとこども達も「あの人誰?」ってことになるじゃない。私のことを見知ってる子や先生から「Team 桜龍 in 久之浜」の人だよって教えてもらって、そこから久之浜の話ができるじゃない。あぁ、あの文化祭の時のお金がそうなったんだって思ったら、行ってみようかなって子も出て来るんじゃないかと思うわけ。
だから、できるだけ派手な格好で高校に出入りするようにするんだ。だって、伝えて行くこと。次の世代のこども達につないで行くことが、私たちの仕事だからね。
――聞いていて泣きそうになった。
もうひとつのエピローグは、植樹の後の佐野さんとのメールのやり取り。
ぼく:数年後、久之浜の河津桜がおっきな笑顔で咲いてくれますように!
(もちろん、すこしでもいいから今年も咲いてほしいですけどね)
佐野さん:小さな蕾が付いていた苗木もありましたから、もしかしたら…( ^∀^)◆「Team 桜龍 in 久之浜」はまだはじまったばかり。熱い想いが物語を未来に向けて進めていく。
写真:佐野比呂子さん
最終更新: