【シリーズ・この人に聞く!第76回】内部被曝の脅威を説き続ける被曝医師 肥田舜太郎さん

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肥田舜太郎さんは2017年3月20日にご病気のためご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り致します。この記事は2012年3月に取材致しました。

じわじわと命を蝕む低線量被曝の恐怖。広島で軍医として赴任中に被曝してから、2009年3月に医師を引退するまで6000人以上の被爆者を診療してきた。身体の内部に入り込みじわじわと身体を蝕んでいく放射能による体内被曝の実態。戦後66年戦ったきた95歳の医師が今の親世代へ健康を保つ秘訣を伝えてくださいました。

肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう)

1917年広島市生まれ。1943年、日本大学専門部医学科卒業。1945年8月6日、原爆被爆。直後から被爆者救援・治療にあたり、2009年の引退まで被爆者の診察を続ける。1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)創立に参加。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年以降、欧米を中心に計30数カ国を海外遊説、被曝医師として被曝の実相を語りつつ、核兵器廃絶を訴える。アメリカの低線量放射線被曝に関する研究書等を翻訳、普及にも努め、内部被曝の脅威を訴え続ける。
著書に「ヒロシマを生き延びて」(あけび書房)、「内部被曝」(扶桑新書)、共著書に「内部被曝の脅威」(ちくま新書)がある。

医学的な証明ができないだけで「安全」とはいえない

――肥田先生には7.11の放射能対策講演会にもご登壇いただきます。その頃、横浜が、日本がどうなっているのか誰にもわからない状況です。でも、福島の原発が何ら収束しておらず、むしろ汚染拡大の一途をたどっている現状で、これから小さな子どもを育てる親は何をすべきか?どういう意識をもたなくてはならないのか?具体的に先生のご体験をもとにお話しいただければと思います。

岐阜の連隊に召集された頃25歳の肥田氏(1942年)

岐阜の連隊に召集された頃25歳の肥田氏(1942年)

まず最初に言えるのは、被曝した人がみんな病気になって死ぬのかというと、そうなる人と、何にも起こらない人もいます。ただ、政府や東電や専門家と称する人たちが原発事故直後に「ただちに人体に影響は無い」と繰り返し言ったことには憤りを感じます。「その後、影響が出るかもしれない」「影響が表れる人が出てきます」と言うべきでした。日本は広島、長崎での経験を何もいかせずに福島でもまた繰り返しています。

――先生は広島、長崎でたくさんの被爆者を診察されてこられましたが、患者さんはどういう症状だったのですか?

動脈硬化や腎臓機能、肝臓機能をやられたり、ガンという形でダメになることも。医学的に名前を付ければそうなのですが、手の施しようがない。皆が苦しみの果て死ぬ時に言うのは「先生、私はなぜ死ぬのですか?」と原因を知りたがるわけです。原爆の日は広島にいなかったにも関わらず、原爆が落とされた後に焼け野原になった街で家族のことを方々探しまわった人が多い。しかしその時、そこに高い放射線があることは誰も知らなかった。何が起こっているのかわからない状態で、身体が蝕まれていったのです。ところがそうした病状を書いたり伝えたりすることを占領軍はアメリカの軍事機密として許しませんでした。

――アメリカが広島、長崎でその後起こった被曝症状を克明に残されるのを恐れたのは、なぜでしたか?

当時のロシアに核兵器の秘密を知られるのを防ぐことと、欧州の国民に放射線が平和になってからも人間を殺し続けることを知られたくなかったからです。医者にもデータを遺させなかった。原爆を落とされてから4年後にABCCというアメリカの医療機関ができました。見た目は病院で被爆者は集められました。入口で「あなたはどこで被曝にあったか?」と聞かれます。爆心地から何キロのどこにどういう状態でいて被曝したのか、克明に記録されました。しかしその日のその時間帯に被曝地にいなかった人は「お帰りください」と言われ皆診察はしてもらえませんでした。つまり最初から内部被曝を問題にしておらず、直接戦場で原爆を使った場合、その影響を受けた人間がどうなるか?それを調査するための機関だったのです。

――それだけでも恐ろしい計画ですが、実は原爆を落とすにあたってはもっと恐ろしい戦略があったと先生は言われていますね?

原爆を落とすまでにアメリカ軍は3年前から入念な準備をしていたのです。広島を選んだのは一番モルモットにしやすいからでした。毎日時間を変えて飛行機を飛ばして上空から撮影し、一番人が屋外に出てくる時間帯は午前8時15分と推定された。放射線が直接掛かる人間が最も多い状態を狙ったのです。放射線の影響がどうなるかを知りたいわけですから。アメリカの軍とイギリスのチャーチルとの会談ですべてそうした記録が残っています。

被曝国がなぜ原発を作ることになったのか?

――こんな小さな島国で地震国なうえ憲法9条も作った日本が、なぜまたたくさんの原発をつくることになったのですか?

広島の消えた日―被爆軍医の証言(影書房)

広島の消えた日―被爆軍医の証言(影書房)

アメリカに売り込まれたのです。はじめは化学兵器、その後は潜水艦用の発電機となった。音がしないから武器となる。原料は石炭でなく、ウランを燃やして使い半永久的なエンジンになった。学者はまさかそれを爆弾にするなんて思いもよらなかったのだけど、アメリカとしては「ヒットラーに先に作られたら終わりだ。その前に自分たちが何とかドイツより先に作らねば」と思ったわけです。そうしてヒットラーをあきらめさせるには放射性物質を粉にしてドイツ市民が食べる畑にそれを撒いて、膨大な数の市民を病人にすればいいと恐ろしい結論を出した。戦争が終わってからもずっと人を殺し続ける物になってしまった。

――戦争によって人工的な放射性物質が作られたという歴史をまず知るべきですね。戦争直後、無視された内部被曝は、外部被曝と同様に人体に影響を与える。

内部被曝の脅威 原爆から劣化ウラン弾まで 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ共著 (ちくま新書)

内部被曝の脅威 原爆から劣化ウラン弾まで 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ共著 (ちくま新書)

内部被曝が有害だという事実をどれだけの人が知っているのでしょう?日本人がモルモットにされたわけです。将来、戦争でこの爆弾(放射性物質)がどう使えるのか。どのような影響を人体に与えられるのか。与えるためにどのように改良すべきか。そういうことを知るために何年にもわたってアメリカは日本を占領して調査を行いました。戦後、こうした事実を心ある医師や弁護士が身の危険を冒しながら伝えてきました。

――私の知り合いのお婆さんで女学生時代に広島で原爆にあって頭に無数のガラス破片が刺さり命からがら生き延びて、今81歳になる方がおられます。同じように外部被曝にあって即死された方もおられる中、なぜ生きられる方と、そうでない方がおられるのでしょう?

それは放射線と人の関係について知らないといけません。放射線はうけた人の体の状態によってみんな違います。その人の年齢や健康状態、習慣、食べるもの、考え方…すべて異なるわけです。あう人間によってストロンチウム90が何を引き起こすのか、それぞれ違うわけです。だって身体の条件が違うのですから。「同じように被曝をして、同じことが起こらないのは変だ」という理屈は、核を使う側の人間の発想です。

――肥田先生は医師として核による人体への影響力を追跡されてこられました。多くの人に起こった事実を後世に伝えるために心がけてこられたことはございますか?

広島、長崎でも現在21万人の被爆者が生き残っています。彼らは身体にそういう条件があった。なぜ一人ひとり身体の条件が違うのか意識的に診てきた医師は私一人きりでした。ただ、私は被爆者が嫌いでした。戦争で被害に遭ったのは広島や長崎で原爆に遭った人だけじゃない。多くの人がさまざまな形で被害に遭ってきた。そして被爆者同士、差別もうまれ力関係もうまれた。私はそうしたことに取り込まれたくなかったのです。「命は皆平等」だと思っています。東京大空襲で死んだ人も、広島で被曝して死んだ人も、皆、戦争のために命を落とさせられた被害者です。戦争は二度と起こしてはならない、そう決意して共産党に入って政治活動も行ってきました。

健康は自分で守る。長生きするための6つの原則

――お話しを伺ってると、3.11の原発事故そのものだけではなく、日本は戦後「戦争放棄」といいながら恐ろしい核を「原発」という形で保持し続けてきたという歴史がよくわかります。肥田先生は、これからの日本がどうあるべきとお考えですか。

内部被曝 (扶桑社新書)

内部被曝 (扶桑社新書)

多くの団体が「被爆者救援」と「核兵器廃絶」を訴えますが、彼らの救援はお金を持っていくこと。寄付を募って被爆者へお金を届けてきました。当時は、被爆者は何もかも失って貧しかったのですが20年、30年たったら自立が必要なのです。お金を与える救援活動は正しくないと私は思ってきました。被爆者が失ったものは人権です。被爆者の多くの二世が被害に遭いました。結婚も就職も被爆者の子どもだとわかると断られたのです。だから多くの人が被爆者の二世であることを隠しながらコソコソと。爆弾を落としたほうが悪いのに、落とされた方がこんなふうに生きるのはおかしい。「堂々と被爆者であることを名乗って生きなさい。そして被曝がうつるなんていう人がいるのなら、どうやってうつるのか医学的に証明してくれと言いなさい」…私はこう言ってきました。被爆者の人権を回復することが救援なのです。これから福島でも、まったく同じことが起こります。

――たとえ被曝をしていても、どうすれば放射能の影響を最小限に留めて長生きすることができるのでしょう?何か秘策があるのでしょうか?

自然放射線に対する免疫力を長い歴史をかけて人は培ってきた。だいぶ強くなったけれどゼロではない。どれだけ残っているかというと世界中で産まれる赤ん坊10万人のうち残念ながら2人は放射線の影響を受け、先天性異常をもって産まれる。
世界中の人間に必要な6つの原則は共通しています。寝る、食べる、排泄する、働く(精神的と肉体的と両方)、遊ぶ(休養も含めて)、セックスする。この6つはどういうやり方でもいいというわけではなく、人間として産まれたからには「過ぎてはいけない」ということ。これは広島、長崎の被曝者を長生きさせるために、被曝者と一緒に研究し、実践してきたことで得た教訓です。どんな影響が出るかわからないからこそ、免疫力を保持し、健康を守って生きるしかないのです。

――基本的な習慣、規則正しい生活パターンを守ることが免疫力をあげるのでしょうね。

いったん身体に取り込まれた放射線は取り除くことはできません。しかし、そうならないために、あるいは放射線からの被害を最小限にするための体づくりはできます。放射線への対抗策は医者や薬に頼るのでなく、患者自身でしかできない。日本に住んでいる限りもう皆被曝してしまったと割り切って考えるのがいちばんいいのです。被曝したうえでどう健康を保って生きるかを考えるべきです。広島で被曝して生きながらえている人は、自分の被曝体験を受け入れたうえで、放射線について勉強したのです。そうした姿勢は、現在の被曝問題の解決につながっていくと思います。

――最後に、私たち親が子どもを守るためにできることとはどんなことでしょうか。

さきほど述べた6つの原則「寝る、食べる、排泄する、働く(精神的と肉体的と両方)、遊ぶ(休養も含めて)、セックスする」を親が身をもって呈して、しっかり子どもへ習慣化すること。子どもにだけやらせようとしてもダメです。まず親が見本を示さないとね。食べることは特に、時間がきたから適当に済ませるというのではなく、その時間が楽しみになるような食べ方をしてほしい。今は排泄することも、毎日できない子がいるようですが、これも毎日時間を決めて習慣化するんです。うんちが出たら子どもに自分で臭いをかがせる。「臭くて嫌だ」と言っても、それが自分のお腹にあったものなんだよ。だから外に出す必要があるんだということをしっかり伝えてほしい。6つの原則すべてを大切にすると健康に生きられます。

編集後記

――ありがとうございました!95歳の肥田先生。その実年齢にまず驚き、お話しをして再び驚きました。とにかくエネルギーに溢れていらっしゃる。広島、長崎で原爆を落とされた悲しい出来事を、戦争後に生まれた私たち世代は「たった1日の悲惨な出来事」のように感じていましたが、その後66年に渡り被曝と闘って生きてきた方がなんと多いことでしょう。3.11の福島の原発事故によって、内部被曝の脅威はまさに取り上げられています。あの原爆が人にもたらした事実をすべて医師として見届けてこられた「生き証人」のような肥田先生。もっともっとたくさんの事実を伝えてください。7.11講演会は、すごいエネルギーに触れにきてください!

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