息子へ。被災地からの手紙(2013年3月12日) iRyota25 2013.03.15 2 1,782 0 2013年3月12日 宮城県石巻市 石巻人たちの「言葉へのこだわり」から見えてくる生きざま。 石巻で際立つ活動をしている人から、言葉の使い方について教わることがよくある。 たとえば「できるだけやる」と「できることをやる」の違い、わかるかな。これは「がんばろう!石巻」
東京都現代美術館による「会田家」作品の撤去要請問題 iRyota25 2015.07.28 4 3,415 0 会田誠が現代を代表するいかに素晴らしい美術家であるかはしばらく措くとして――。 「現代美術館」と看板を掲げている東京都立の美術館から、会田誠さんが彼の妻・岡田裕子さんと息子・会田寅次郎さんの三人によるユニット「会田家」として、同館の展覧会「おとなもこどもも考
戦時中の五年生の国語「水兵の母」 iRyota25 2015.10.28 1 8,382 0 国民学校(小学校)五年生の後期の国語の教科書『初等科國語 六』から「水兵の母」という文章を紹介します。この教科書は昭和18年、太平洋戦争もたけなわの頃、日本中の11歳の少年少女が学んだものです(当時は全国一律の国定教科書でした)。72年後のいま、あなたはこの話を
ダイアナ妃のわすれもの Rinoue125R 2015.08.31 3 1,483 0 こんな夢を見た。ダイアナ妃が国会前のデモのステージに上がって人道主義について語っている。デモに参加した何十万人もの人々は彼女の言葉に耳を傾けている。数十万人の人々が集う場所がしーんとして、ただ彼女の言葉だけが人々のこころに染み込んでいく。数十万人の静寂を静
息子へ。被災地からの手紙(2013年4月18日) iRyota25 2013.04.22 1 1,518 1 2013年4月17日21時03分の地震 気仙沼からの移動中で、自動車専用道路を走っている時だったので、地震にはほとんど気づかなかった。 高速を降りて国道を走っている時に、道路情報の電光掲示板に「大地震発生」という赤い文字が見えて何事かと思った。「大地震発生」という文字
息子へ。被災地からのメール(2012年12月30日) iRyota25 2012.12.31 3 1,848 0 12月30日 福島県いわき市久之浜 言葉にすることができないんだったら、何もしゃべらなくていい。そのことを教えてもらったよ、きみに。 雨が降る中、ずっと歩き続けて、iPhoneで撮り続けていた動画とスチルを、ホテルで借りたPCで夜中まで編集していたんだね。こっちはいわき
息子へ。被災地からのメール(2013年2月3日) iRyota25 2013.02.03 2 1,952 1 2013年2月3日 宮城県女川町・石巻市 約1週間の東北から帰って来て、今日はちょっとだけお金の話をしよう。 女川で事業を新たにおこした人が、地元の方を雇おうとパート募集のチラシをポスティングしていた頃のお話。 「応募してくれた人たちの仮設住宅にお邪魔すると、どちら
息子へ。被災地からのメール(2013年1月27日) iRyota25 2013.02.05 2 1,689 0 2013年1月27日 宮城県石巻市 初めて会った人には、こんな風に取材をお願いしすることがある。 「被災された土地の人たちの声を、できるだけていねいに、そして継続的にお伝えしたいと考えているんです。東京とか外の人たちの間では、震災の記憶がどんどん風化していると思うん
息子へ。被災地からのメール(2013年2月1日) iRyota25 2013.02.07 2 1,475 1 2013年2月1日 宮城県石巻市 今日取材した勝さんって、キリリと涼しげで整った切れ長の目をしている人なんだよね。話をしていると、知性とか優しさとかがその目を通して伝わってくる。だけど、11月に会った時に感じたんだけど、写真に撮ると目の表情がふにゃっと笑ったようにな
息子へ。被災地からのメール(2013年1月31日) iRyota25 2013.02.01 2 1,969 1 2013年1月31日 宮城県女川町・石巻市 「口はね、食べるためだけにあるんじゃないの。しっかりしゃべらないと」 女川町の清水仮設住宅に住んでいる石田志寿恵さんが雑談の中でそんな言葉を語った。取材した話をページにレイアウトして、文章の内容や写真について相談しにおじゃ
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月30日) iRyota25 2013.04.01 1 1,433 0 女川の石田さんと電話で話していたら、 「昨日とおととい、雪が降ったんだよ。積もるような雪じゃなかったけどね」 と唐突に雪の話になった。 前日に桜吹雪の中でお花見をしていた父さんは、電話口でこんな風に言いたくて仕方なくなった。 「こっちは桜の花びらが雪のように舞
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月11日) iRyota25 2013.03.15 1 2,027 0 2013年3月11日 宮城県石巻市 寒風の中、手向けられた水。サービスしてもらった長田区の熱いコーヒー。 激しい風の音がようやくおさまった頃、日の出を迎えた石巻の町はうっすらと白く雪化粧していた。前日ビーチクリーン活動をしていた時の暑さからは信じられないくらいだ。
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月7日) iRyota25 2013.03.13 1 1,684 0 2013年3月7日の福島県双葉郡楢葉町 今回のいわき取材の宿泊場所は広野町。この2月オープンしたばかりの、復興特需対応型の簡易なホテル。広野町なんていうと、放射能は大丈夫なの?と心配かもしれないけれど、思った以上に低い。屋外で0.18μsv/hくらい。久之浜で0.14、いわき
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月9日) iRyota25 2013.03.12 1 1,594 0 2013年3月9日 宮城県石巻市狐崎浜&蛤浜 いろんなことがつながっていく。ちょっとした予定変更から、サークルが大きく広がっていく。 それは去年の秋のこと。レジリエンスバーでたまたま知り合ったケースケさんに「蛤浜プロジェクト」のことを聞いた。蛤浜は以前から行きたか
【宮沢賢治と歩く】小岩井農場 yumenoshippo01 2015.06.19 4 8,378 0 あの有名な「一本桜」の花の散り際のころ、小岩井農場に行ってきました。 かつて放牧地だった鮮やかな緑の丘が伸び〜やかに連なる先には、荘厳にそびえる岩手山。丘と山と空の間に1人立つ桜の姿には気高さまでが感じられます。今年は岩手県でも桜の開花が早かったので、この日
息子へ。被災地からのメール(2012年12月23日) iRyota25 2012.12.31 2 1,606 0 12月23日 石巻街なか あたりが暗くなりはじめるとともに降りだした雪が、街をうっすらと覆い始めた頃、石巻の街なかのアートスペースに元気のいい二人連れが駆け込んでくる。 「あ、やっぱりそうだ!」と一人が小さく叫ぶように言う。 「雪が降ってきたけど、私、今日、とって
息子へ。被災地からの手紙(2013年3月4日) iRyota25 2013.03.04 1 1,622 0 2013年3月4日 宮城県石巻市 劇的ビフォーアフターの決め台詞じゃないけど、「なんということでしょう!」がいっぱい。前回、石巻の復興民泊でも飛び出したフレーズだけど、今回の石巻もたくさんの驚きに出会える予感。いやもう一日目からたくさん出会ってしまった。 今日の「
被災地が「未来に生きる」シンボル、モアイ像 yumenoshippo01 2015.05.19 3 2,284 0 南三陸町・志津川のシンボルといえば、受験のお守りのタコのキャラクター「オクトパス君」が有名ですが、もっともっと親しまれているのがモアイ像。 南三陸町のモアイ像は、イースター島から贈られた本物のモアイ像。イースター島があるチリ共和国と日本の、そしてともに地震
息子へ。被災地からのメール(2013年2月2日) iRyota25 2013.03.01 1 1,631 0 2013年2月2日 宮城県石巻市 今回のメールは電器屋さんの系列店のお話。部分と全体という、ちょっと深めの話です。 どういうわけだか、東北でいろいろ話を聞いて回っていると、電器屋さんに懇意にしてもらうことが多い。家電製品を買う時には、自分たちは大型のチェーン店に行
3月11日、やはり雪が降る・・・ onagawa986 2015.03.11 7 2,218 8 2015年3月11日 「やっぱり雪が降るのか…」 今朝の石巻はうっすら雪が降り積もっている 雪交じりのグレーの空は 不安と恐怖しかなかったあの日の、あの時間へ 一瞬で巻き戻してくれる 津波が来た後 石巻は1~2時間吹雪いた 神も仏も無いのかと 真っ白い世界の前に立ちすくんだ
【シリーズ・この人に聞く!第116回】美的センスも高い落語家 林家たい平さん kodonara 2015.09.04 2 3,601 0 日曜日の夕方家族で観れる国民的長寿番組『笑点』でもお馴染の、林家たい平師匠。人の心を明るく照らす笑顔と元気のいい話っぷりで、落語という奥深い伝統芸を万人に伝えてくれる若きナビゲーターのような存在です。美大卒業後に落語家の道を選択したユニークな経歴。ご家庭で
息子へ。被災地からのメール(2012年12月2日) iRyota25 2012.12.04 2 1,843 0 「宿題はちゃんと終わらせたの?」 そんな声を振り払うようにして2人で歩いて行ったのは、前夜の夢の中にあった石巻の町ではなくて、伊豆の国市古奈のレストラン・アクアサンタ。パティオを通りぬけてレストランに入ったら、オウミさんが「おう!」っと声をかけてくれた。 「
息子へ。被災地からのメール(2012年12月1日) iRyota25 2012.12.04 2 1,603 0 こんな夢を見た。駅に向かって歩きながら、いつも左に曲がる路地を右に曲がったら、目の前には日和山へ向かうなだらかな道が続いていた。道の両側には石巻の商店街。電気屋さんのおじさんが笑っていたり、ヒマワリのお姉さんが自転車で疾走してしていったり。サルコヤ楽器店の
息子へ。被災地からのメール(2012年11月20日) iRyota25 2012.11.27 2 1,663 1 2012年11月20日 ◆ 石巻の夜 Facebookで写真をちら見して、ぜひとも食べてみたいと訪れたレジリエンスバー(石巻日日新聞が運営する「絆の駅」の2階にあるスペース)。垂涎の的と目を付けていたのは「ウニクリーム生パスタ」。新聞社の社長の近江さんがマスターに変身した姿で
息子へ。被災地からのメール(2012年11月23日) iRyota25 2012.11.27 2 1,658 0 2012年11月20日~23日 ◆ 11月20日・石巻の夜 ~ 11月21日・雄勝町 ~ 11月22日・福島県本宮市 ~ 11月23日・石巻&女川町 で、黒ずくめの彼と父さんが次に行ったのは、すぐお隣のアートギャラリー。それも震災後に新しく解説されたギャラリーで、そこはただ単に絵を飾ったり販