息子へ。被災地からの手紙(2013年3月11日)

iRyota25

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2013年3月11日  宮城県石巻市

寒風の中、手向けられた水。サービスしてもらった長田区の熱いコーヒー。

激しい風の音がようやくおさまった頃、日の出を迎えた石巻の町はうっすらと白く雪化粧していた。前日ビーチクリーン活動をしていた時の暑さからは信じられないくらいだ。

氷点下の凍てつく空気と白い雪に覆われた街なかを歩いていたら、旧北上川沿いの復興マルシェの近く、老舗割烹の玄関が開いて、女将さんが外に出てきた。水の入った大きなコップを手にしている。会釈すると女将さんも足を揃えて丁寧にお辞儀を返してくれた。お話ししたことはないけれど、父さんはこの近くをうろうろすることが多いから、お顔は何度か拝見していたように思う。

女将さんはお店の前に建てられた小さなお社の前に立ち、手にしたコップをお供えする様子。今日3月11日という日に限らず、きっと毎日こうして、お社に水を供えて手を合わせてきたのだろう。父さんは通り過ぎながら、心の中で手を合わせた。

遠くからでもいいから、同じ時間、同じ空気、同じ寒さを共有してお祈りしようと、彼女の姿を眺めながら、今日という日の過ごし方を思った。大きなコップを両手に持った彼女の手は、遠目からでもかじかんでいるのが分かったから、父さんも今日は手袋をしないことに決めた。

14時46分の慰霊式典は「がんばろう!石巻」看板の会場で参列させてもらった。この会場に集まっていたのは200人くらいかな。式典が終わった後も、献花する人の列が続いていたから、もっとずっと多くの人がこの場所に集ったと思う。

ほとんどの建物がなくなって、海まで更地が続く門脇(かどのわき)は、風が強くて寒い。朝の雪景色からは打って変わって、更地となった被災地を明るい日差しが照らしているのだけれど、吹き続ける風の冷たいこと。中継で流される石巻市の亀山市長や安倍首相の挨拶、天皇陛下のお言葉を聞き終えた頃には、芯から体が冷え切っていた。看板を立てた黒澤さんと立ち話をしていて、鼻水が垂れたほど。

そんな時、会場にテントを張った人たちの声が聞こえてきた。

「冷えた体をコーヒーで温めてください。無料ですよ」

神戸の長田区からやってこられたボランティアの人たちだった。

阪神・淡路の大震災は寒い真冬のことだったから、この人たちは被災地の寒さを知っているんだ、と気づいた。言葉がただの言葉でなくなった。火災で町が破壊された長田区の人たちが、石巻の門脇にいてくれることがありがたかった火災で町が破壊された長田区の人たちが、石巻の門脇にいてくれることがありがたかった。

コーヒー、おいしかったよ。

かじかむ寒さを一緒に感じるんだと力んでいたが、やられた。寒さを知っているなら、暖かくなるように何か行動を。3月11日の一杯のコーヒー、父さんは忘れないよ。

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