息子へ。被災地からのメール(2013年1月27日)

iRyota25

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2013年1月27日 宮城県石巻市

初めて会った人には、こんな風に取材をお願いしすることがある。

「被災された土地の人たちの声を、できるだけていねいに、そして継続的にお伝えしたいと考えているんです。東京とか外の人たちの間では、震災の記憶がどんどん風化していると思うんです。がれきがなくなったことで、もう復興が進んでいると思っている人も少なくないと感じます。でも現状を見たら、復興までに、まだまだずっと長い時間がかかることは明らかです。だから、できるだけ頻繁にお伺いして、伝え続けたいと考えているんです」

すると、「外の人たちの間で震災の記憶が風化している」という言葉に強い反応が返ってくる。

「やっぱりそうなんですか」

被災した地域で暮らす人たちは、被災していない外の人たちのことが伝わりにくいのかもしれない。被災された人たちのことが外の人たちに伝わりにくいのと同じように。

でも、テレビの全国ニュースに取り上げられるのが減ったり、芸能人がやってくるイベントが減ったりするのを見て、感じていることだろう。でも、「やっぱりそうなんですか」という言葉には、「そうあってほしくないけれど」という気持ちがにじんでいるのは間違いないだろう。

阪神・淡路大震災が起きた年、1995年(平成7年)には、同じ年の3月に地下鉄サリン事件が起きたのを知っているか? 1月17日以後、テレビや新聞はさかんに震災のことを報じていた。被害の悲惨さ、ボランティアや自衛隊の活躍、避難所暮らしの困難、活断層についての解説、時にはお店再開やイベントなどの話題…。でもサリン事件後はニュースに取り上げられることが急激に減った。テレビのワイドショーなんか、サリン事件から教祖が逮捕された5月まで、ほとんど全部オウム真理教ネタだったんじゃないかと思うほどだ。

サリン事件のせいで、自分たちのことが伝えられなくなった阪神・淡路の人たちは、ものすごく落胆したそうだ。サリンのニュースを見るたびに落ち込んでしまう人もいたらしい。震災から1年後に神戸を再訪した時にも、「あれさえなければ、もう少し前に進んでいたかもしれない」という言葉を何人かから聞いたのを覚えている。

もしかしたら、苦しい時に一番こたえるのは、忘れられることなのかもしれない。

被災地と呼ばれる場所で、「がんばれ、とは言ってほしくない」、「絆なんか信じない」という言葉を聞くたびに、そのことを思い出す。「棄民」という言葉すら実際に耳にすることもある。「共感なんて言葉を使っているようじゃ、まだまだ被災地の気持ちはわかっていない」という話も聞いた。

どんなに「がんばろう」と思っていても、一方で見捨てられたという思いがあれば、がんばる気持ちは続かないだろう。がんばりたくてもがんばれないかもしれない。

「絆なって軽々しく言うな」と腹立たしく思うことだってあるだろう。

といって、それは、震災直後みたいにたくさん支援物資を送ってほしいといった意味ではないと思う。

知っていてほしい。

仲間であってほしい。

できれば、自分の身に起きることだと感じていてほしい。

そんな気持ちじゃないだろうか。誰かが、「辛いけど笑おう」と決心した時、その思いを応援することが大切なんじゃないか。遠くからでもいいから、応援しているよ、おれたちは仲間だよ、と伝えることなんじゃないか。

自分たちにできることは、突き詰めていけば応援することだけしかないのかもしれない。でも、応援するからには、しっかり応援したい。「少しでも」とか「できるだけ」ではなく、しっかり応援したい。

とても難しいことだと思う。

でも、共感というレベルじゃなく、自分のこととして感じて応援したいと思う。

今日は、寄り添い活動を続けてきた人の話を聞いて、そんなことを思った。

年末に久之浜の様子を見て、きっと感じただろう。復興とか、支援とか、絆とか、そういう言葉はとっても白々しいものに変化しやすい。心しなければ。

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