シリーズ展開している「避難ルートを実際に歩いてみました。」において、津波から逃れるための高台や津波避難ビルの位置を10数カ所にわたる海辺の観光スポットで確かめてきました。
シリーズでは津波から避難できる場所について「現地で確かめる」ことをモットーとしていますが、ご存知のとおりそれぞれの場所で「津波がどこまで来ると想定されているか」「どこへ避難すればいいか」などは事前にわかります。各自治体が作成した「ハザードマップ」があるからです。
想定の素になるもの
自治体の公式ホームページなどでハザードマップを探したことがある方ならわかるように、そこには「第○次想定」とか「レベル○」などいくつか複数の想定(段階)が設けられていて(それがわかりにくいんだよなあという個人の感想はともかく)各エリアごとに詳細な想定データが記載されています。
今は技術がすごいですから、海底の隆起や沿岸および陸上の地形とか、それこそ「波というもの」についての科学的な検証の結果、あれほどまでのデータができるわけです。
さらにそういった科学的な数値と同じように重視されている「生のデータ」があると思っています。それは「過去の大地震の記録」です。
2日連続の巨大地震
静岡県で多くの記録が残っているのは「安政東海地震」です。「安政」というのは「明治の前(慶応)の前」の元号で、1850年代、江戸末期です。
この安政年間はわずか5~6年しかないにも関わらず、大きな地震が頻発しています。1854年11月4日(現在の暦で12月23日)に「安政東海地震」が、なんとその翌日には「安政南海地震」という巨大地震が発生。太平洋岸の広い範囲を強い揺れと津波が襲いました。
安政東海地震の津波について、下田市では
「ロシアの軍艦ディアナ号が大破」
「約32トンの巨礫がひっくり返った(という証拠が後年の調査で判明した)」
との記録が。沼津市でも
「津波によって内浦の海岸から約400mのところまで家屋が押し上げられた」
などの記録が残されており、当時の津波被害の大きさをうかがい知ることができます。
危険なのは海の近くだけじゃない
しかし、この安政東海地震に関する被害の記録は海沿いだけではありません。
現在の沼津市大岡、かつて「旧小林村」と呼ばれた地域の一部(門池の東側あたり)では、地震の揺れによって一瞬のうちに土地が陥没し、そこにあった住居すべてが埋もれてしまったというのです。
こちらがその犠牲者のみなさんを悼んで建てられた「震災追悼之碑」です。
沼津市西熊堂にある明治史料館の「嘉永七甲寅歳地震之記」から書き起こした資料によれば
「縦200m、横100mの大きさ、深さ12~15mもの規模で陥没した」
「12軒の家が巻き込まれてしまい、9人の人が亡くなった」
「死者9人のうち7人だけが掘り出されたが、2人は発見できなかった」
とあります。しかし上の写真の石碑には「死者十一人名、死体が発見されたのはわずかに二人だけであった」と刻まれているので少し食い違いがありますが、安政東海地震によって海辺では津波による大きな被害があった一方、海から離れた海抜約40mの小林村で何人もの犠牲者が出たことに変わりはありません。
大事にしたい伝承
わたしにはこの地区でこんなに大きな被害があったなんて想像できませんでした。海辺で高台探しばかりしていたために「高台は大丈夫」ということが頭に刷り込まれているのでしょう。
2018年9月に起こった北海道の胆振(いぶり)東部地震で、ある地区の山という山が崩れてしまった衝撃的な映像を思い出しました。危険なのは海辺だけではないのです。
地震の怖さは津波だけでも地滑りだけでもないことを改めて思い知りました。過去の地震のことに関する古い記録はもちろん、紙には残っていない言い伝えなどがあったら書き起こして、すべて大事に保存していかなければいけないなと思いました。 次の世代に伝えていくのは、わたしたちです。
最終更新:
cha_chan
自分も「地震→津波」という意識しかありませんでした。何の情報にも言えることですが、その情報をしっかり役立てるためには、きちんと保存して残すことが重要だということが分かりました。
pamapama
ちょっと考えればわかることなのに、わたしも津波にばかり意識が行っていました。もっといろんなことを想定しておかなければいけませんね。
orangeoor18
このへんは昔から門池という地名だったと思っていたので、小林村という名前はつい最近知りました。沼津は海に近いので津波を意識しますが、このような過去の被害を知ることも大事ですね。
pamapama
むかし仕事で「大岡北小林」とか「南小林」と書いて郵便物を送っていた記憶があるのですが、現在の住居表示としては残っていないのかも知れません。近くに「小林台」というところはありますね。
akaheru
>縦200m、横100mの大きさ、深さ12~15mもの規模で陥没した
すごい規模の陥没ですね。犠牲になられた方々も何が起こったのかわからなかったのではないでしょうか。
また、こういった過去の出来事を先人の人が残してくれているのを、しっかり受け取らなければいけませんね。
pamapama
各地にあるいろんな由来書きや石碑に注目してみたくなりました。