陸前高田のコミュニティホール前の駐車場に「追悼式の会場設営のため」と記された駐車禁止の看板が掲げられたのは先週初めのことだった。
3月7日の早朝には、コミュニティホール向かいの公共駐車場で大きなテントの設営が始まった。
今年も3月11日がやってくる。あと5日。誰だってカレンダーを見れば、その日までの日数を数えることはできる。
テレビやラジオ、新聞では東日本大震災から6年という特集や特別番組が組まれ始めた。震災報道番組のためのテレビ撮影はもう先月から始まっている。震災をテーマとしたドラマの企画が立ち上がったのは昨年の話だ。
3月11日に向けて、多くのプログラムが進められている。たくさんの人が動いている。その日に向けて。まるでカウントダウンでもするかのように。
コミュニティホールに駐車禁止の看板が掲げられた前日、お茶会でこんな会話を耳にした。
「あなた、3.11はどうするの?」
ふだんから仲良くしているグループ内での会話だ。
「市の式典には出ないで、献花だけしようかと思ってる」と応えたのは、兄弟を震災でなくした人。親戚や友人もたくさんなくしている。だけど、「式典は親族だけだからね」とも言った。
「そうね、わたしもそうしようかしら」ともうひとりが言う。
「わたしゃ出ないわよ。だって8日にわが家で法要があるんだから。こんな年寄りが喪主みたいなことやんなきゃならないんだから」と今年で八十八という老婦人。
「あら、何かの法事なの?」と、遠くの席の人が言うと、
「なに言ってんのよ、津波でよ」と近くの人。
「わたしのところは二人亡くなっています」と老婦人。
新しいコミュニティで親しくしている人たちの間でも、その日をどう過ごすかは、こんな風にまるで遠くの話のように語られる。後で別の人に聞いた話だが、兄弟姉妹を亡くした人の中には、市の式典を遠慮する人が少なくないらしい。親を、あるいは子を亡くしたという遺族の人数を想像してほしい。
被災したまちでは、3.11に向けての準備が進められている。この土地で3.11を経験し、そこに生きている人たちの空の下で。
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