「ここに故郷あり」。高木優美さんの300日(2012年1月20日) iRyota25 2013.01.21 2 16,583 0 20代の青年である。神職である。福島県いわき市久ノ浜町諏訪神社の禰宜である。北いわき再生発展プロジェクトチームの会長である。地元ボランティアのまとめ役である。復興を目指すイベントの仕掛け役でもある。そのくせ、昔は田舎は面倒な場所だと思っていたとさらりと言
人生あと50年。こんなことでは終われないでしょ!(2012年1月20日) iRyota25 2013.01.21 1 2,386 0 北いわき再生発展プロジェクトチーム代表・高木優美(まさはる)さんの話を伺っていると、町が大きな被害を受けたにも関わらず、前向きで、聞いている自分の胸の中がどんどん明るくなっていくのを感じます。こういう人柄だからこそ、逆境にめげることなくコミュニティの復興を
いまはまだ被災者と支援者という立場だけれど(2012年1月20日) iRyota25 2013.01.21 1 2,274 0 被災地の子供たちの思いを込めて2,000発の花火を打ち上げた「奉奠祭(ほうてんさい)」。解体予定の住宅の壁面にペンキで色とりどりの花を描いた「ガレキに花を咲かせましょう」など、久之浜発のイベントには、テレビや新聞、雑誌などで全国に向けて発信されたものが少なくあ
久之浜の復興は「夢物語」なんかではないのです。(2012年1月20日) iRyota25 2013.01.21 3 2,712 0 北いわき再生発展プロジェクトチーム代表・高木優美(まさはる)さんの第一印象は物静かで穏やかな人。しかし、淡々と語る彼の言葉を聞いていると、彼がまぎれもなく「戦っている」ことが伝わってきます。「福島=危険」という先入観を払拭するために。原発から約30キロと
東日本大震災・復興支援リポート いま私たちにできる事は何なのだろう 写真で見る被災地8カ月後の現実。 2011年11月17日~18日 iRyota25 2013.01.21 2 1,938 0 本格的な冬を迎える前に多くの仮設住宅が完成して、被災者のほとんどが入居できました。被災者はみんな元気です。みんな「ありがとう」って言ってます。東北の人たちはガマン強いからもう大丈夫――。そんな話を真に受けている人がいたら考え直してほしい。被災地の人たちが
商売なんてイイ時はバカでもできる。落ち込んで、苦しい時に、どう生きるかが問題なんでないか。 iRyota25 2013.01.21 1 2,017 0 激甚という言葉を使っても、とうてい表現することができない東日本大震災の被害の中で、休むことなく仕事を続けてきた人たちがいる。景色が一変するような被害に見舞われた場所で、人はどんな思いを持って自分の仕事を続けてきたのか。津波被害の爪痕の残るガソリンスタンドで
地域がばらばらになる仮設住宅への入居。切実に 求められているのは、新しいコミュニティの立ち上げ(2011年11月18日) iRyota25 2013.01.21 0 2,655 0 「子どもたちは何人帰って来ているの?」女川町新田地区の仮設住宅の駐車場で、炊き出しの焼き肉丼を作っていたら、背後の仮設の窓が開いて元気な女性の声が響いた。仮設住宅の集会場だと思い込んでいた建物は女川町の福祉仮設住宅(仮設グループホーム)で、声の主は町か
がんばろうと思うのだけれど、将来を考えると不安の方が先に立ってしまう。(2011年11月18日) iRyota25 2013.01.21 0 1,988 0 推定20メートル以上の津波に襲われ、壊滅的といえるほどの被害を受けた宮城県牡鹿郡女川町。被災した多くの人々を福祉関連の仕事を通してサポートするY・Hさんが、被災地で暮らす人々の苦悩を語ってくれた。生きているからこその苦しさと希望。被災地で聞いた現実をお伝えする
待ちに待った養殖再開の門出の日、お金のことを尋ねると、漁師の木村さんはカッと笑った(2011年11月18日) iRyota25 2013.01.21 0 1,879 0 女川町の中心部から牡鹿半島を金華山に向けて車を走らせること15分ほど。風光明媚な五部浦湾の入り江でギンザケ養殖を営む漁師の木村茂さんに出会った。養殖を再開するためには大きな資金が必要だ。再開しても出荷するまで収入はない。それでも茂さんは言い切る。「自分の
世界の人々に伝えたい。 混乱の被災地に貼り出された「6枚の壁新聞」の意義(2012年2月16日) iRyota25 2013.01.21 0 2,452 0 石巻日日新聞が東日本大震災の翌日から6日間にわたって発行し続けた手書きの壁新聞は、海外のメディアからも注目され、震災直後の4月にはアメリカ・ワシントンDCの報道博物館「ニュージアム」に収蔵・展示されました。残りの現物も「震災を風化させない活動」の一環として
この土地で電気関係の仕事をしているんだから 放射能の知識はあった。でも、 娘の切実な訴えに負けて、一度は静岡へ避難した(2012年1月21日) iRyota25 2013.01.21 1 2,195 0 静岡県浜松市に避難している川里女久美(かわさとめぐみ)さんは、爆発した福島第一原発から逃れるため、両親を南相馬に残して避難した状況を「まるで戦争みたいだった」と語りました。一旦は福島にとどまると決めたものの、家族を守るために一緒に避難することにした完戸富
ずっと地元で生きてきたから、 復興の現実を見つめる目はシビアだ。 それでも弱音を吐かない強さ(2012年1月21日) iRyota25 2013.01.21 2 5,972 0 静岡県浜松市に避難している川里女久美(めぐみ)さんのご両親、完戸富吉(ししどとみよし)さんと奥さんの幸子(ゆきこ)さんへのインタビューで福島県南相馬市を訪れました。取材当日の浜通りは雪まじりの天気。お二人は「こんな雪になって大変でしたね。本当はほとんど雪
自分たち家族は浜松で避難生活。両親は南相馬。いますぐにでも戻りたいけれど、それができない(2011年11月27日) iRyota25 2013.01.21 2 3,306 0 福島県からは6万人を超える人々が県外へ避難し、見ず知らずの土地で生活しています。夫の実家の家族、妹家族も含め3世帯で静岡県浜松市で避難生活を送る川里女久美(めぐみ)さんもその1人。NPO法人伊豆どろんこの会が静岡県内への避難者支援のために開催した「伊豆の秋は
手書きの壁新聞に書きつづられたのは、「地域に生きる」という迷わぬ思いだった(2012年2月16日) iRyota25 2013.01.21 1 3,554 0 東北地方太平洋沖地震以降、日本中のどこで大地震が発生しても不思議でない状況が続いていると言われます。地震と津波による停電、印刷機の水没、そして社 員の被災といった苦しい状況の中、宮城県石巻エリアの地域新聞「石巻日日新聞」は、手書きの壁新聞を発行し続けまし
明日を目指すお店リポート:久之浜「からすや食堂のラーメン&餃子」 iRyota25 2013.01.18 3 5,698 0 「こだわりってことではないんだけどね。同じ味。昔ながらの味でやってます」 被災地にできた仮設商店街の第一号となった久之浜の「浜風商店街」。いつも笑顔で話しかけてきてくれる、からすや食堂さんは商店街のウェルカム担当。気さくで美人の奥さんとイケメンなご主人が、
震災マニュアル ~ お役立ちリンク集 iRyota25 2013.01.18 2 5,757 0 地震や津波などの自然災害は人間の力で防ぐことはできません。また地震を予知することもできません。しかし、自然災害が発生した時に、どうやって身を守るのかを、事前に考え準備しておくことで、被害を食い止めることは不可能ではないはずです。 地震・津波情報 気象庁 地
震災マニュアル ~ 巨大地震が起きる前に iRyota25 2013.01.18 1 6,991 0 地震や津波などの自然災害は人間の力で防ぐことはできません。また地震を予知することもできません。しかし、自然災害が発生した時に、どうやって身を守るのかを、事前に考え準備しておくことで、被害を食い止めることは不可能ではないはずです。 日本列島で生活する限
Message - 東日本大震災を経験して iRyota25 2013.01.18 2 5,525 0 お願いだから生きのびてください。大げさだと笑われてもかまわないから、助かることを第一に考えて行動してください。 大地震はいつどこで起こってもおかしくないのですから。 地震や津波などの自然災害は人間の力で止めることはできません。また地震を予知することもでき
明日を目指すお店リポート:女川「ニューこのりの活穴子天丼」 iRyota25 2013.01.18 2 2,626 0 石巻あたりで地元の人に美味しいお店を尋ねると、必ずといっていいくらいオススメされるのが女川町の「ニューこのり」。震災前からの人気店でしたが、お店があった小乗(このり)浜は津波で民家がほぼ全壊。それでも小乗浜の人たちがまとまって入居している仮設団地のお隣に20
海辺の地をゆく 「石巻市・南浜」2012年11月21日 iRyota25 2013.01.17 2 3,518 0 2012年11月21日(622日目)の宮城県石巻市・南浜 見たところ、ただ美しいばかりの砂浜だが、ここは宮城県石巻市。被災地のシンボルのひとつとしてたびたび紹介される門脇小学校から歩いて行ける浜辺。写真の角度から180度振り返ると、日和大橋が旧北上川を越えて湊地区へ続く
漁業復活への道 石巻市狐崎の牡蠣 iRyota25 2013.01.16 1 3,011 2 [プロローグ] すっきりした食味なのに、口の中にふわっと滋味が広がる牡蠣の絶品。地元の人々の間で評価が高い石巻・狐崎の牡蠣。津波で大きな被害を受けた狐崎で、牡蠣の養殖に心を注ぐ管野清也さんの物語。海底のダイビング調査の船に乗せてもらって狐崎の海の上で聞きまし
漁業復活への道 石巻市大須 「家は流されたが船は残った」 iRyota25 2013.01.16 4 3,531 2 [プロローグ] 昼下がりの漁港。地震で地盤沈下した岸壁に集うのはウミネコばかり。そこに軽トラックが1台やってくる。車から降りてきたのは、ウェーダー(胴付長靴)を着た漁師の小松利久さん。震災後の海のこと、漁のこと、これからのことなど話してくれた。最初はぽつりぽつ
東日本大震災・復興支援リポート 2012年3月8日 iRyota25 2013.01.16 1 2,386 0 センバツに21世紀枠で初出場し、しかも選手宣誓のクジを引き当て、被災地の心とあきらめない プレーで、日本中に勇気をくれた石巻工業高校野球部の選手たち。彼らは甲子園入りする直前、静岡県・伊豆で最終調整のための合宿を張っていました。人と人 のつながりで実現した伊豆
海辺の地をゆく 「いわき市・薄磯海岸」2012年11月3日 iRyota25 2013.01.11 2 3,013 0 日本の渚百選にも選ばれた薄磯海岸は、いわき市平薄磯の塩谷崎の北に続くビーチ。夏には海の家が立ち並び、多くの海水浴客でにぎわう福島を代表する海水浴場だった。岬には木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となった塩屋埼灯台。岬は美空ひばりの「みだれ髪」
東日本大震災・復興支援リポート 東日本大震災で何が起こったのか。 宮城県のパネラーが防災シンポジウムで語った肉声(2012年2月17日) iRyota25 2013.01.10 2 5,976 0 春のセンバツに21世紀枠として出場した石巻工業高校野球部の松本嘉次監督、女川町で廻船業を営む青木久幸さん、多賀城市総務部地域コミュニティ課の吉田学さん、そしてコバルトーレ女川の選手兼ユース監督で地域担当も務める檜垣篤典さん。それぞれの立場で震災をくぐり抜けて