久之浜の復興は「夢物語」なんかではないのです。(2012年1月20日)

iRyota25

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高木優美(まさはる)さん(北いわき再生発展プロジェクトチーム代表)

高木優美(まさはる)さん(北いわき再生発展プロジェクトチーム代表)

   北いわき再生発展プロジェクトチーム代表・高木優美(まさはる)さんの第一印象は物静かで穏やかな人。しかし、淡々と語る彼の言葉を聞いていると、彼がまぎれもなく「戦っている」ことが伝わってきます。「福島=危険」という先入観を払拭するために。原発から約30キロといういわき市久之浜でずっと暮らし続けていくために。たくさんのボランティアの人に来てもらって久之浜の本当の姿を知ってもらうために。そして高木さんは信じています。原発から30キロだけど放射線量が低い久之浜が、以前よりさらに魅力的な田舎町として再生することを。久之浜の未来に向けて何を考え、どんな行動をとっているのか、高木さんにお話を伺いました。

外から来た人に自分で測ってもらうことが大切

   ボランティアの人たちとの作業前ミーティングで「何でも知りたいことがあったら聞いてね」って問いかけると、たいていの場合、久之浜の放射線量はどれくらいですか?危なくはないですよね?なんてことを聞かれます。

   時間がある時には、久之浜の北にある広野町の警戒区域(立ち入り禁止エリア)のゲートの前までボランティアの人たちと一緒に行って、線量計で測ってもらうこともあります。ほとんどの人が「思ったより数値は低いんですね」なんて、ちょっと驚きます。

   次に久之浜に戻って、自分たちが把握しているホットスポットへ案内します。この時は手を思いっきり伸ばして、わざとすぐ近くで測ってもらうんです。線量計には22マイクロシーベルト/時(以下、空間放射線量率の単位は同じ)とか驚くような数値が表示されます。

高いよね。

「はい、恐いです・・」

マフラーやタオルでとっさに口を押さえる人もいます。

それじゃあ、そこから2メートル離れたところで測ってみたら?

「あ、0.3です」

多くの人があっけに取られたような表情を見せます。

   ホットスポットで高い線量が出るのは、雨どいの周囲など、放射性物質が集まる場所だから当然と言えば当然です。でも、空間線量は距離の二乗に反比例するので、たとえホットスポットでも少し離れるだけで放射線量は大きく減少するのです。

   ちょっと乱暴なやり方かもしれませんが、実際に計測してもらうことで、東京など外部から来てくれたボランティアの人たちは、「久之浜が危ないのかど うか?」について自分自身で考えてくれるみたいです。これってとても大切なことだと思うんです。「福島=危険」という先入観が、あまりにも強すぎて、多く の人たちが自分で考えることを忘れていると思うからです。

   ところで久之浜の町の中心部、たとえば諏訪神社の空間線量はどれくらいだと思いますか。屋外なら0.2。屋内なら0.11といった数値です。

   屋外で0.2という数値がどういうものかというと、千葉県や茨城県などで空間線量が高いと言われている地域とほぼ同レベル。緊急時避難準備区域とか 警戒区域が、福島第一原発からコンパスで線を引くように同心円で設定されたせいで誤解されている人がとても多いのですが、30キロ圏内でも20キロ圏内で も空間線量はまちまちです。原発からの距離と空間線量はほとんど相関がないのです。

   原発事故の直後には、本当に住めない土地になってしまったらどうしようと不安に思ったこともありました。しかし放射線量に関して、現状では低いレベルで落ち着いています。

   私はふる里である久之浜でずっと暮らしていきたいと考えています。同じ思いの人たちに久之浜に帰ってきてほしいと思っています。大きな障害となっているのは、放射能についての「誤解」なのです。

故郷に住み続けたいから、自分の手で調べ、自分たちで判断する

    「何でこんな危険なところに?」これまで多くの人たちから何度も聞かれました。「それってキャッチフレーズかよ」って言いたくなるくらい、決まって同じセリフです。

   そんな時にはこっちもお決まりのフレーズで切り返します。

「何を根拠に危険だと言ってるんですか?福島=危険という思い込みはいい加減やめてください」

   中には「田舎の人だから何も分かっていないのね」とか「東京の人の方が情報を持っているんだから、言うことを聞きなさい」なんて言い方をする人たちまでいるんですよ。冗談じゃありません。私たちは久之浜で生きているんです。この場所が安全かどうかは、自分たちの生活に関わる重要な問題。外部の人たちとは切迫度が違います。

   情報収集はもちろん、放射能についての勉強もずいぶん重ねてきました。自分たちの手で放射線量の測定も継続してきました。線量計を地面にベタ置きした場合の数値と、1メートルの高さで測った数値がどれくらい違うのかを検証したり、小さな子供たちへの影響を考えてもっと低い場所での空間線量測定を行ったり、ホットスポットを特定したりといった活動を地道に続けてきたんです。

   どうしてだと思いますか?それは、ここが自分たちのふる里だからです。

   久之浜の空間線量が関東地方の一部と同レベルだとお話ししましたが、たとえば千葉県柏市の人たちが「もう住めない場所だから」とどこかに逃げ出したでしょうか。たしかに避難した人もいるでしょう。でも多くの人たちは、同じ場所に住み続けているし、「何でこんな危険なところに?」なんて非難されることはほとんどないでしょう。当然、自分たちが生活する地域の放射線量を自分たちで計測する活動をしている人たちだっているでしょう。

   久之浜も同じなんです。

   自分で調べた上で、自分の判断で久之浜に住み続けたいと考えているのです。ひとりでも多くの住民に戻って来てもらって、地元を盛り上げていこうと算段をしているのです。

   原発から30キロの久之浜に住み続けることは「夢物語」なんかじゃありません。私たちは、希望を見据えて頑張っています。それを封殺するようなことは言わないでほしいんです。

原発の廃炉で、復興はかならず前に進む

   久之浜はいわき市内など近隣の地域に勤務する人が比較的多い、ベッドタウンのような性格を持った町でした。被災後に仕事を失ったというケースは、ほかの被災地に比べれば多くないかもしれません。しかし、一方では、いま現在、路頭に迷うような状況にある人たちもいます。

   会社勤めの人には想像しづらいことかもしれませんが、世の中には土と緑がないと生きていけない人たちがいるのです。作付制限で農業ができない。たとえ収穫があっても売れない。作物を作りたくても作れない農家の人たちがどんな思いでいると思いますか。

   漁師さんだってそうです。漁に出ても魚が売れないから、漁には出ない。仕方なく日払いの仕事で海中の瓦礫撤去をやっている。そんな毎日が、気高い彼らの尊厳を少しずつ削いでいっていることを想像したことがありますか。

   福島県は震災以前から低所得の県でした。福島に暮らす人たちは、お金よりも大切ものがここにあると思うから、福島県民として生きてきたのかもしれません。自分の仕事への誇り、郷里への愛情、家族といっしょに暮らす幸せ。みんなこの土地で生きていくことに、お金だけでは得ることのできない価値を見出していた人たちだということを、どうか忘れないでください。

   そんな土地柄だから、久之浜の今後について希望的に思っているところもあるんです。福島にある10基の原発の廃炉さえ、きっちりやってもらえれば、あとはいい方向に進んで行くんじゃないかと。

   はい、原発は廃炉です。

   原発に賛成か反対かとか、脱原発とか反原発とか、そんなレベルの話ではありません。けじめをつけるという意味です。被災した人間としては、けじめをつけてきっちり廃炉にしてもらう。これしか考えられないのです。

   久之浜よりもさらに原発に近い双葉郡の人たちの中には、帰りたくても地元に帰れない人がたくさんいます。放射能から子供を守るために一家がばらばらになった家族もたくさんいます。婚約が解消されたり、結婚がペンディングになってしまった人もいます。いわれなき差別や嫌がらせを受けている人は数知れません。農業や漁業などの仕事以外でも、この土地に暮らす人たちに原発は多大な迷惑をかけたのですから。

   だからけじめが大切なのです。廃炉が実現すれば、放射線量が現在以上に高まる危険性は減少するでしょう。人々の不安も軽減されます。原発周辺の地域の復興は、廃炉というけじめで大きく前に向かって動き出すのです。

高木優美(まさはる)さん(北いわき再生発展プロジェクトチーム代表)

高木優美(まさはる)さん(北いわき再生発展プロジェクトチーム代表)

福島県いわき市久之浜町の諏訪神社の禰宜であり、いわき市の神社の付属幼稚園に勤務していた高木優美さんの人生は、2011年3月11日を境に一変してしまいます。神職とは言えごく普通の青年だった彼が、原発被害の最前線の町の復旧の旗をふる人物になったのはなぜか。インタビューで追いかけます。

 「ここに故郷あり」。高木優美さんの300日
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高木優美さんの活動を時系列で紹介するページはこちらです。

 久之浜の復興は「夢物語」なんかではないのです。
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ふる里の再生と発展を信じ、福島第一原発の被害に立ち向かう高木優美さんのインタビューはこちらです。

 いまはまだ被災者と支援者という立場だけれど
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被災者と支援者という関わりを超えたチームワークで数々のイベントを立ち上げていったストーリーはこちらです。

 人生あと50年。こんなことでは終われないでしょ!
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「ひとりの被災者」として、高木優美さんが描くふる里の未来像についてはこちらから。

編集後記

    0.2マイクロシーベルト/時という数値が、年間1ミリシーベルト以下とするICRP(国際放射線防護委員会)の基準値ぎりぎりの数値であることも、低線量被ばくの人体への影響が統計的に認められないということ=安全とは言えないことも踏まえた上で、高木さんは話してくれました。原発に近い被災地で活動を続けることについて、外国の新聞に「Crazy Boy」と書かれたこともあったそうです。それでも「あの時やっていれば」と後悔する人生は送りたくない。そう言い切る高木さんの眼差しが強く輝いていることを、世界中の1人でも多くの人に知ってほしいと思います。(2012年1月20日取材)

取材・構成:井上良太(JP21)

取材協力・写真協力:北いわき再生発展プロジェクトチーム・NPO法人伊豆どろんこの会

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