本格的な冬を迎える前に多くの仮設住宅が完成して、被災者のほとんどが入居できました。被災者はみんな元気です。みんな「ありがとう」って言ってます。東北の人たちはガマン強いからもう大丈夫――。そんな話を真に受けている人がいたら考え直してほしい。被災地の人たちが大丈夫じゃないこと、復興への道のりが遠いことは、現在の被災地の写真を見ただけで感じていただけるだろう。
明るいニュースは被災地の人たちに向けられたもの
写真でもテレビでも、画像や映像はフレームで切り取られている。しかし現実の被災地は違う。当り前のことだが、周囲360度、凄絶な光景がぐるりと自分の周りに広がっている。正直に告白すると、地震と津波に破壊された町の写真を撮影して回るうち「もう壊れた町の写真は撮りたくない」と思った。女川に入って数時間後にはそう感じていた。
被災地の人たちと話していると「悲しいニュースはもう見たくない」と言う人が何人もいる。「人がたくさん死んだ場所を観光みたいに見に来るヤツの気が知れねえ」という怒りの声にも出会った。被災地に生活しているというそのこと自体、悲しみや苦しみ、悔しさや情けなさといった感情との戦いなんだと思う。360度、震災の記憶に取り囲まれているのだから。
「仮設の小学校で運動会。元気になった姿を見て!」「感謝の心こめて、○○の出荷開始」「被災地出身の選手、試合後に涙で絆を語る」。被災地からのニュースに前向きの話題ばかり目立つのは、新聞社やテレビ局の人たちの被災者への配慮なのかもしれない。報道される内容と現実のギャップを埋め合わせるには、そんなふうに理解するしかないと思った。
未曾有の大震災の被害は8カ月やそこらで劇的に改善するようなものではない。被災地発の明るいニュースに接して「東北はもう大丈夫」と思ってしまうのは、早合点でしかない。テレビや新聞で明るいニュースを目にしたら、その向こう側には被災地で生きる人たちの辛さや苦労があることを思い起こさなければならない。
被災地には頑張っている人がたくさんいるけれど、だからと言って「もう大丈夫」なのではない。 それが、2011年初冬の被災地の「現実」なのだと思う。
編集後記
仮設住宅で取材をしていたら、2人連れの女性が手折った紅葉の枝を指先でくるくる回しながら、山道の方から歩いてきました。
初冬の太陽を受けて真っ赤に輝く紅葉はとてもきれいでした。声を掛けると「お部屋に飾って、みんなにも見てもらうの」とのこと。小さな幸せな光景が、がれきの山を目にした後の自分には、いっそう美しく感じられました。(2011年11月17日~18日取材)
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