がんばろうと思うのだけれど、将来を考えると不安の方が先に立ってしまう。(2011年11月18日)

iRyota25

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推定20メートル以上の津波に襲われ、壊滅的といえるほどの被害を受けた宮城県牡鹿郡女川町。被災した多くの人々を福祉関連の仕事を通してサポートするY・Hさんが、被災地で暮らす人々の苦悩を語ってくれた。生きているからこその苦しさと希望。被災地で聞いた現実をお伝えする。(2011年11月18日)

あまりにも多過ぎる「死」と向かい合って

   自分の家は町の中でも高台にあったので津波の被害がなかったんです。家族もみんな無事でした。仕事も失いませんでした。車も残りました。被災された何人もの方が「良かったね」と言ってくれました。他意のない言葉だと思います。それでも、負い目を感じてしまう時があります。

   震災からしばらくは、洋服とか色々なものを配ったりして、被害が大きかった人たちの少しでも役に立ちたいと思ってやってきました。でも、震災直後の大変な状況が少し落ち着いてきた頃から、心に開いた穴がだんだん大きくなって。母親は外に出られないようになりました。「うちだけ残ってしまって申し訳ありません」など、話すことまで変わってしまいました。

   前に向かわなければ、と思うんです。でも、前っていったいどっちなんでしょう。分からないんです。

   ――お気持ちが変化するきっかけになるような出来事はあったのですか。

   助かった人たちは、私たちも含めてですが、最初は「生きていて良かった」と語り合っていました。しかし、震災直後はすごく寒くて、暖房の燃料も乏しくて。1~2カ月の間に体調を崩して亡くなられた方も少なくありませんでした。

   震災から3カ月目、それから6カ月目を迎える頃には、お葬式が頻繁に出されるようになりました。震災直後より多いように感じるほどでした。女川は行方不明のままの方が多いので、ご遺体が見つからないままのお葬式も珍しくありません。週の半分くらいお葬式に出席することもありました。

  現実として整理しきれない話が、自分たちのまわりでたくさん語られます。津波で家ごと海まで流されたけれど、次の波で陸地に近づいた時に、流されている他の家の屋根伝いに渡って助かった方の話とか、一緒に流されたのにお1人だけ助かった話、手を引いていた子どもだけが流されてしまったお母さんの話とか。

   ――そんな話があまりにも多過ぎると辛くなってしまいますね。

   一緒に暮らす家族こそ無事でしたが、私たちも何人もの親戚を亡くしました。女川では、親しい人との死別を経験しなかった人はいないと思います。こんなことは初めてなので、といって慣れたくもありませんが、どうしていいのか分からないというのが本当の気持ちなのです。

来年、再来年への不安と「人間って捨てたもんじゃない」という思い

   ――「がんばろう東北!」「がんばろう日本!」といったキャッチフレーズが溢れていますが、被災地の方はどう感じていらっしゃるのですか。

   震災の直後は「がんばろう」しかありませんでした。地震と津波が来たのがまだ寒い3月で、当時は辛いことばかりでしたが、それでも季節は春に向かっていました。お風呂に入れるようになったとか、仮設住宅の着工といった明るいニュースと、だんだん暖かくなっていく時期が重なっていたからよかったんです。みんながんばろうと思っていましたし、実際にがんばっていました。

   でもいまは違うように感じます。来年、再来年のことを考えると不安が大きいというのが現実です。少しずついい方向には向かっているのでしょうが、先が見通せないのです。がんばった疲れと、寒い冬に向かう季節が重なって、元気を出したくても出せない人が少なくないように思います。

   いまはこの状況を受け入れているだけで、「十分がんばっている」と思うのです。皆さんいろいろな思いを胸に秘めて、がんばろうとしているんですが、それでも辛い時はあります。

   ――目一杯がんばっている人に「がんばろう!」と言うのは酷な話です。がんばりたいけれどきついこともある。そんなお気持ちがあることを、もっと多くの人に知ってほしいですね。

   辛い震災の中でも心が暖かくなることもありました。それは人と人のつながりです。人っていいな、女川っていいなと思えました。東北の人は遠慮がちで思いを内に秘めるタイプが多いと言われますが、がんばっている地元の人たちを見ていると、「東北ってちっとも暗くない。明るくて、強い人たちがいっぱいいるんだ」と感じて勇気づけられました。

   東京が大震災に見舞われたら東北のようには行かないだろう、という人もいますが、そんなことはありません。どんなに都会で近所づきあいが疎遠でも、大きなピンチに見舞われたら、きっとみんな助け合います。人間って捨てたもんじゃないんです。

どんなに楽しく笑った後でも溜め息がもれてしまう

   ――被災地の皆さんが今どんな思いで毎日を過ごされているのか、被災地の外にはなかなか伝わってきません。最近では「東北の人たちはガマン強いからもう大丈夫」といった誤ったメッセージまで送られているように思います。いま被災地の皆さんに対して、外の人間にできる支援はどんなものなのでしょうか。

   支援として手っ取り早いのはお金でしょう。お金があれば、将来への不安も多少は減らすことができるかもしれません。でも、お金だけではないのも確かです。

   たくさんのボランティアの方が支援に駆けつけて下さったり、多くの支援物資を届けていただいたことには、みんなとても感謝しています。物だけでなく、精神的な応援をしてくれる慰問の方も数多くやってきてくれました。そんな時には、集まったみんな本当に楽しそうに過ごします。すごく笑ったりするんです。でも、家に帰った時に、ふっと現実に引き戻されてしまう。たくさん笑った分だけギャップが大きくて落ち込んでしまうんです。

   ――楽しんでもらえればそれでいい、というものでもないのですね。

   いえ、本当にありがたいんです。ボランティアの方に来てもらえると「自分たちは1人じゃないんだ」って思えますから。それは、被災地で生活する私たちにとって、とても大切な気持ちなんです。1人になると、やっぱり溜め息をついてしまうかもしれませんが、それでも1人ではないと思えることは貴重なんです。

   私自身はもうこれ以上、人が亡くなることに立ち会いたくありません。これから冬になって仮設住宅での孤独死や自殺が起きてほしくないと願っています。

   ――「1人ではないんだ」と皆さんの希望につながるような支援が行えるといいのですね。

   震災で、そして震災の後で多くの人が亡くなっていったことについて、若い子たちは「悔しかった」と声に出して言っています。きっと命の重さとかいろいろなことを、しっかり心に刻んでくれたことでしょう。震災を経験した若い人たちが中心になって、いじめとか自殺とか殺し合いとか殺伐なことが起きない世の中をつくっていってくれることを信じています。

◆Y・Hさん(介護福祉士)
介護福祉士として老人ホームで働いていたY・Hさんは、震災当日を職場で迎えた。被災後の混乱の中ひたすら働いて、ご自身のお子さんに再会できたのは1週間後のことだったという。電気が復旧して、ニュースを見られるようになった時、「自分たちよりももっと大変な人がいる」ことを知って苦しくなったという。それは被災地で生きる人たちに少なからず共通する思いなのかもしれない。

編集後記

最初にY・Hさんに出会ったのは、町の高台にある女川町地域医療センターで行われた慰問活動を取材した時でした。福祉施設の入居者を対象に、めんぼーくん(東日本大震災・復興支援リポート 01で紹介)のパフォーマンスで、参加者もスタッフもみんなで大笑いした後、「被災地の実情を知ってほしい」と話しかけていただいたのです。パフォーマンス会場の窓から町を見下ろすと、そこには破壊し尽くされた町の景色が広がっていました。楽しいひとときとガラス一枚向こうにある厳しい現実。被災地に暮らす人たちのお心のありようが重なって見えた気がしました。(2011年11月18日取材)

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