いまはまだ被災者と支援者という立場だけれど(2012年1月20日)

iRyota25

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高木優美(まさはる)さん(北いわき再生発展プロジェクトチーム代表)

高木優美(まさはる)さん(北いわき再生発展プロジェクトチーム代表)

被災地の子供たちの思いを込めて2,000発の花火を打ち上げた「奉奠祭(ほうてんさい)」。解体予定の住宅の壁面にペンキで色とりどりの花を描いた「ガレキに花を咲かせましょう」など、久之浜発のイベントには、テレビや新聞、雑誌などで全国に向けて発信されたものが少なくありません。注目を集めるイベントを次々と打ち出し、復興に向けて一歩ずつ進んできた久之浜。イベント誕生の舞台裏を「北いわき再生発展プロジェクトチーム」代表・高木優美(まさはる)さんに案内してもらいました。

ポツリともらしたつぶやきが、パッと花咲く瞬間

   恐いもの見たさで福島に来るのでもいい。    どんどん来てほしい。

そして自分の目で見て、触れて、感じてほしい。

久之浜にはたくさんのボランティアが来てくれました。毎週自腹で駆けつけてくれたビジネスマン、休職して長期間ボランティアに参加してくれた人、何千人にものぼるボランティアの人たちの中には、大企業の重役や、世界の金融市場で活躍するカリスマトレーダー、全国各地の県会議員や市会議員、中央省庁の審議官などさまざまな職業の方がいらっしゃいます。もちろん学生ボランティアもたくさん来てくれました。

   そんな人たちが、1日の作業を終えて諏訪神社の社務所に会すんです。日中の作業ははっきり言って相当ハード。よそのボランティア団体さんが「北いわきチームの作業はきつすぎるから、他に行かせてもらいます」なんて言ってたくらいです。夕方にはヘトヘトになっているはずなのに、ビールを飲んで真夜中まで語り続けることが恒例になっていました。

 北いわき再生発展プロジェクトチームの活動ブログより転載。
kitaiwaki.blog.fc2.com  

   そんな中から、久之浜を元気にするためのアイデアが飛び出して、さらに居合わせた人たちを通してびっくりするような人脈がつながったりもして、たくさんのイベントに結びついていきました。

   首都圏から2日間の予定でやってきた学生ボランティアとの雑談の中から生まれたのが、再開されたばかりの小学校でのクリスマスイベント「みんなの力でキラキラプロジェクト」でした。彼ら、当初はいわき市のマンガ喫茶に泊まるつもりだったみたいなんです。

   高木「でも、いわきのマン喫にはシャワー付いてないよ。知ってた?」一同「え”っ!」

高木「どうせマン喫じゃゆっくり休めないから、ここに泊まっていけば?風呂もあるし布団もある。ビールでも飲みながらのんびり話していこうよ」

   学生たちは埼玉大学の「Re:さいくりんぐ」という学生サークルのメンバーでした。大学構内の放置自転車を東ティモールやモンゴルに贈る活動をしている人たちだったんですね。

   高木「だったら、自転車を使って久之浜の子供たちに何かしてあげられないかなあ」

   う~ん、とみんなで考えていると、「自転車発電でイルミネーションを点灯したら?」とポツリとつぶやくような声。

   その場に居合わせたみんなの中に、ひとつのイメージがパッと灯りました。

   ≪原発じゃない、自分たちで作った電気で灯す、楽しいクリスマスイルミネーション!≫

   それいいね、って話になって、すかさず支援してくれそうな団体に連絡をとったら、即決で2団体が協力を約束してくれました。

   高木「開催が決まったよ。もう逃げられないね。ついでに企画書から作っちゃう?」一同「え”~!」(今度はたぶんうれしい悲鳴)

久之浜に来て、見て、話して、感じてもらうことに意味がある

   クリスマスイベントは12月18日に開催。当日は1万球のクリスマスイルミネーションのほか、リース作り、ケーキ作り&カフェ、ジンジャークッキーデコレーションなどアトラクションも盛りだくさん。さらにキャンドル・ジュンさんとブラザー・コーンさんも駆けつけてイベントを盛り上げてくれました。ボランティアに参加してくれた人たちの熱意と人脈で、イベントがどんどん成長していったんです。

   参加した小学生の中に、お手伝いが大好きな子がいましてね。「手作りのクッキーをどうぞ!」ってボランティアの大学生に配って回ってたんです。学生たちはみんな大感激。支援に来たつもりでいたのに、子供からクッキーをもらって救われたって口を揃えてました。

   おもしろいことがいっぱいある。     勉強になることがいっぱいある。

   考えさせられることがいっぱいある。

だから、大学生や高校生、若い人たちにどんどん久之浜に来てほしい。

    「自分探し?」に来ているような人も中にはいます。それでも全然かまわないんです。いろんな人と久之浜で出会って、交流して、そこから発展して行く。震災や原発の被害を受けた久之浜が、出会いの場所になるんです。それってとてもいいことでしょ。

   バスに乗せられてやってきて、そこがどんな場所なのかも分からないまま作業して、休憩は決まった時間にとか写真撮影とタバコは禁止とか地元の人を傷つける恐れのあることを不用意に言わないようにとかいろいろ細かい注意事項ばかりで、終了時間が来たらまたバスに乗ってただ帰るだけ――っていうボランティアじゃ、つまらないと思う。

   原発事故でもう住めないんじゃないかとか、大震災でたくさんの人たちが亡くなったことをどう思っているのかとか、本当は聞きたいのに聞かない。「腫れモノ」扱いしてしまう人って少なくないみたいですが、それって逆に不自然だと思うんです。考えていることや感じていることを何でもぶつけ合っていいんじゃないか。

地元の人だけではなく、外から来た人もみんな「復興」についていろいろな考え方を持っているから、話をするとすごく刺激になります。前向きに考えていける。お互いに元気になれる。また来たい、また会いたいって思う。単に奉仕活動するだけのボランティアではなく、いっしょにイベントを立ち上げ、盛り上げていく仲間になれる。次につながっていく関係になれることが、とってもいいと思うんです。

これが実際に来てくれた人、いまも応援し続けてくれる人たちへの思いです。

マスコミを通して日本中に久之浜のいまを伝えたい

     私たちがイベントを開催するのには、もうひとつ明確な狙いがあって、それはマスコミを通じて日本中、世界中の人たちに久之浜の存在を伝えていくこと。原発から30キロのこの町に注目してもらおうということでした。

   いまとは異なり、震災直後は行政の支援にしてもボランティアにしても、とにかく人が来てくれませんでした。ほとんど孤立状態。ネットで「久之浜」を検索すると、「福島から避難した子供が静岡で亡くなった」という、ツィッターで広まった記事がトップに表示されていたくらいです。まずは、この記事を消そう!と思いました。たくさんのボランティアが来てくれれば、久之浜の本当の姿をブログやソーシャルメディアで発信してくれる。そうすれば根も葉もないマイナスイメージも払拭できるだろうと。

   人が来てくれないのなら、来てもらえるようにしよう。その方法が、メディアに注目されるイベントを開催すること。マスコミを呼び込むことだったのです。8月に開催した花火大会「奉奠祭(ほうてんさい)」、そして撤去されるのを待つ建物に花をペイントした「ガレキに花を咲かせましょうプロジェクト」もそんな狙いで開催したものでした。

   久之浜や石川町、飯舘村の子供たちがステージで「思い」を発表した後、ドーンと花火を打ち上げる。奉奠祭は久之浜では51年ぶりとなる花火大会でしたが、8,000人もの人々が集い、多くのマスメディアに取り上げてもらいました。ガレキに花を咲かせましょうも、いまでは「ガレ花」と検索するだけで多くのページがヒットします。テレビカメラが入る時には、花が描かれた建物だけではなく必ず周囲の町の状況も映すようにお願いし続けました。

   「被災地で明るいイベントが行われている」ことを伝えるだけではなく、久之浜の現状や人々の思いについて、テレビを見ている多くの人々に考えてもらいたいというのが私たちの気持ちでした。

   これからも、ブロードウェイのプロたちと久之浜の小学生がコラボするミュージカルの企画、太陽光発電や風力発電など自然エネルギーを使った発電機を子供たちがつくっていくプロジェクト、老若男女を問わずに町づくりに参加できる植樹プロジェクト、ロボット「OriHime」開発者・吉藤健太朗さんと子供たちとのコラボなど、数多くのイベントを予定しています。

   ボランティアとして諏訪神社の社務所に集まってくれる多くの人たちの熱意があれば、久之浜の復興への力となるイベントを、これからもどんどん開催・発信していけると信じています。今後のイベントの予定については、このWEBサイトでもお知らせしようと思います。いっしょにイベントを盛り上げていきたいという皆さんの参加も大歓迎です!

高木優美(まさはる)さん(北いわき再生発展プロジェクトチーム代表)

高木優美(まさはる)さん(北いわき再生発展プロジェクトチーム代表)

福島県いわき市久之浜町の諏訪神社の禰宜であり、いわき市の神社の付属幼稚園に勤務していた高木優美さんの人生は、2011年3月11日を境に一変してしまいます。神職とは言えごく普通の青年だった彼が、原発被害の最前線の町の復旧の旗をふる人物になったのはなぜか。インタビューで追いかけます。

 「ここに故郷あり」。高木優美さんの300日
potaru.com

高木優美さんの活動を時系列で紹介するページはこちらです。

 久之浜の復興は「夢物語」なんかではないのです。
potaru.com

ふる里の再生と発展を信じ、福島第一原発の被害に立ち向かう高木優美さんのインタビューはこちらです。

 いまはまだ被災者と支援者という立場だけれど
potaru.com

被災者と支援者という関わりを超えたチームワークで数々のイベントを立ち上げていったストーリーはこちらです。

 人生あと50年。こんなことでは終われないでしょ!
potaru.com

「ひとりの被災者」として、高木優美さんが描くふる里の未来像についてはこちらから。

編集後記

   諏訪神社の鳥居のそばに建つ3階建ての社務所。その1階と3階の広間がボランティアの「たまり場」でした。

母屋の1階は津波によって大きな被害を受けましたが、社殿と社務所は不思議と被害を免れました。奇跡的に残された社務所が、久之浜発の数々のイベントが誕生する場となったのです。本来は神事を行う際の控えの間として使われていた場所には、支援物資などの段ボール箱が積み上げられ、おごそかな雰囲気からは程遠いものがありますが、確かに何かを生み出すパワーに満ちた空間でした。(2012年1月20日取材)

取材・構成:井上良太(JP21)取材協力・写真協力:北いわき再生発展プロジェクトチーム・NPO法人伊豆どろんこの会

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