女川町の中心部から牡鹿半島を金華山に向けて車を走らせること15分ほど。風光明媚な五部浦湾の入り江でギンザケ養殖を営む漁師の木村茂さんに出会った。養殖を再開するためには大きな資金が必要だ。再開しても出荷するまで収入はない。それでも茂さんは言い切る。「自分の仕事はこれだからな」と。
雪が舞う北の海で明かした夜
複雑な入り江と青い海。南三陸金華山国定公園に指定されている女川の海はどこまでも美しい。脂が乗ってうまいと定評のサンマの水揚げ量は全国でも屈指。カキやホヤ、ギンザケなどの養殖でも栄えてきた水産の町だ。とくにギンザケ養殖では宮城県全体の約6割を生産してきたという。
白砂青松の浜辺と小さな岬が交互に続く海岸線を、震災の被害が目に留まらない距離から眺めれば、かつてのままの美しさに見える。しかし、ひとつ大きく違うことがある。それは、海面に養殖用の生簀がほとんど見当たらないことだ。被害状況から高さ約20メートルに及んだとみられる女川の津波は、海上の養殖施設をことごとく破壊し尽くしたのだ。
そんな女川の海も少しずつだが復興への歩みを始めている。
「3.5トン、3.5トンだ」
木村さんは日焼けした顔を少しだけほころばせて、手に握りしめた3枚の伝票を1枚ずつ広げては「ほら」と見せてくれた。もちろん記者とは初対面。「話を聞かせて下さい」というお願いへの返事がこれだった。
「今日はな、震災後初めてギンザケの稚魚を入荷した記念すべき日だよ。トラックで3杯。門出の日だ。ようやくここまできたってことだ」
たった今、新調した生簀に稚魚を移し替えてきたところだと、木村さんは漁師ならではの渋い声で話してくれた。震災から8カ月。復興に向けて再スタートを切った門出の日。震災から今日の日を迎えるまで、木村さんはどんな毎日を送ってきたのだろうか。
「地震の時は海にいた。生簀に餌をやりに行った帰りだったからな。こりゃでっかい津波が来るぞって、そのまま船で沖に向かって一晩海の上で過ごした。雪のふる寒い夜だったさ」
地震の時、船を守るために沖に出た漁師は多かったという。津波にやられたのか帰ってこない船もあったらしいが、木村さんは生き延びた。津波もたいへんだったが、船の上で波をかぶりながら一睡もせず、一晩過ごした夜も辛かったという。
「船の中にさ、ちょっと腹が減った時のために普段から飴玉とか飲み物を積んでいたんだ。それで助かった。ジュース1本、飴玉1コでも保つんだから。それくらい寒かった。備えがあったから生き延びたんだ」
地震が来ることが分かっていたわけではない。でも、小さな漁船に食べ物を用意していた。「何があってもいいように」準備しておくことが大切なんだと、木村さんは強調した。何かのおかげと考えずにはいられないほど、震災のインパクトは大きなものだったのだ。
金がなくても何とかする。これが自分の仕事だからな
命は助かった。船も守った。しかし養殖の施設は育てていた魚もろとも、すべて失った。4月の出荷を待つばかりのギンザケを失ったことは、収入がなくなることを意味する。養殖再開と言葉でいうのは簡単だが、大変な苦労があったはずだ。
「生簀は2ツ買った。1台80万円以上だな。網はもっと高くて1ツ100万だ」
木村さんは、まるで自慢するように言う。養殖用の生簀は、鋼鉄の太いパイプを溶接して頑丈につくられるから結構高い。網も特注品だから高くつく。しかも網には予備も必要だ。いかだのウキやロープ、ホッカイと呼ばれるアンカー、給餌用の装置など、養殖に必要なものを一度に全部揃えるとなると大変な出費になる。もちろん船の燃料代だった毎日かかる。餌代だってバカにならない。
「ギンザケは成長が早いからな。出荷は来年の春、3月末から4月頭にかけてだ。少なくとも10倍に成長して1キロを超えたものから出荷だ」
木村さんは瞳を輝かせる。「女川のギンザケは脂が乗ってて旨いから刺身用になる。回転ずしのネタにもなるし、シャケ弁にもなる。販路はばっちりだ」と、いまから出荷が楽しみでならない様子。
せっかくの門出の日に水を差すようだが、女川の町や漁港の被害を目にしてきたから、素直に「よかったですね」とは喜べない。復興のための資金の手当ても大変だったのではないか。
「大変だったことか。養殖できる海にするまでの掃除だな。ようやくそれが終わって、ギンザケの養殖を始める時期にぎりぎり間に合ったということだ」
質問がうまく伝わらない。養殖を再開するためにはたくさんのお金が必要だ。それに、生きていくだけでもお金はかかる。震災前に育ててきた魚を出荷直前に失って、半年以上かけて養殖場所を整備し、稚魚を入荷したとはいえ出荷はさらに半年先だ。
後ろは振り向かない。とにかく来年の春だ。それまでは海中の片付けだろうが、金の工面だろうが、何だってやる。春になってギンザケが10倍に大きく育ってくれるその時を、木村さんは見据えている。
木村さんと出会ったのは、五部浦湾でもっとも奥まったところで営業しているガソリンスタンド。外から被災地入りした人間の目には「大変な状況」が継続しているように見えるが、仕事の再興に向けてがんばっている木村さんに言わせると「自分の仕事はこれしかないから」と意外なほどあっさりと答えてくれる。その潔さがとてもカッコよく見えてしまう。きっと育てるギンザケも一級品のうまい魚だろう。
編集後記
女川漁港の魚市場横の瓦礫集積場には、瓦礫の中に壊れた漁船も混ざっているのが見えました。海から引き揚げられた網だけで、山のように積み上がっている場所もあります。見ると多くが養殖用の網のようです。女川湾にたくさん浮かんでいた養殖用の生簀は津波によって根こそぎにされてしまったのです。しかも海の中にはまだ瓦礫が残されています。それでも養殖の再開と、来春の出荷に向けて目を輝かせる木村茂さんには、尊敬の思いすら感じました。次回はぜひ、海上の生簀を取材させていただきたいと思っています。(2011年11月18日取材)
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