東日本大震災・復興支援リポート 「女川漁港の水揚げ風景」 iRyota25 2012.12.03 4 3,104 0 女川の浜に活気は戻ったか? 女川漁港の上空にびっくりするほどのウミネコの群れが飛び交っていた。もしやと思って市場脇の岸壁に行ってみると、まさに定置網で獲れた魚の水揚げ中。お昼近い時間だったのに水揚げを見られたのはラッキーだった。 クレーンに吊るされた大きなタ
大船渡の人たちの新しい町へのねがい iRyota25 2016.11.15 4 1,969 0 県が実施した復興工事の見学会に参加して、地元の人たちの声に真情を感じさせていただく機会があったのでご報告します。 約半日かけて大船渡市内各所の復興工事の現場を見て回った見学会、この日最後のプログラムは、JR大船渡駅があった周辺で工事が進めらている市街地の見学
福島発のメッセージ灯ろうが広島で流されます iRyota25 2014.08.05 4 1,828 0 いい話です。ずっと伝えていきたい話です。 1945年8月6日午前8時15分、広島 1945年8月6日午前8時15分、広島の町におきた出来事はどれほど時間が経過しようとも決して忘れることはできません。人類が初めて経験した核攻撃によって、町の中心部では人も建物も一瞬にして姿を消し
いくらの季節。鮭がのぼる川 iRyota25 2013.10.31 4 3,199 0 フェイスブックを見ていると、やたらめったらイクラの写真が並ぶ。みんな東北の友人たちの書き込みだ。イベントに参加したこども達を送った帰りに南三陸にUターン。お目当ては…っていう記事に添えられていたり、晩御飯は特製イクラ丼!うまい!なんていうストレートな自慢話だ
新しく生まれかわったJR新地駅 iRyota25 2017.02.03 4 3,082 0 国道6号線を左折すると、そこにはこれから新しい町が造られていくことになる広々とした土地と、青い空が広がっていた。6年前の震災の頃とおそらくそれほど変わってはいないだろう国道沿いの風景とはまったく違った別世界だった。 新しい造成地の真ん中を走る道の先に福島県新
がんばろう!レイテ島の看板 iRyota25 2013.12.18 4 2,749 0 医療支援のためフィリピンのレイテ島に渡った友人から、Facebookの手紙を受け取った。日本ではまるで津波のような高潮被害のイメージが大きいが、彼が向かったのは山の中。巨大台風そのものによる被害が酷いのだそうだ。 メッセージに添えらた写真の中にこんな一枚があった。
笑顔で快走!ツール・ド・三陸2016 iRyota25 2016.10.05 4 1,580 0 カラフルなバイシクルスーツとヘルメットで身を固めた人たちが、奇跡の一本松を望む気仙大橋、かさ上げ工事が進む町を走っていく。 町全体が工事現場のような埃っぽい景色に見慣れた目には、ロードバイクの集団はかなりのインパクト。写真は秋晴れの9月25日、陸前高田市と大船
大川小学校―Angel of Hope―。2013年4月14日 iRyota25 2013.04.26 4 2,674 0 震災から2年を迎えた3月に設置された慰霊碑です。 2013年4月14日の大川小学校を写真アルバムでご紹介します。 今日も大川小学校にはたくさんの人が訪れています。 友人と、家族と、あるいは団体で。やってきた多くの人が、今日もこの場所で話す言葉を失ってしまいます。 大川
雪のさんぽ道で見つけた「冬の龍」 iRyota25 2017.02.03 4 1,552 0 最初の印象、びっくりした! ぎょっとしたとか、いろんな印象を言葉として思う前に、とっさに一歩後ろに飛び退いたと白状すべきか。 なにせ、雪の中に大きな龍のような物体がのたうっていたのだから。 頭を川沿いの薮に突っ込んで、龍は雪の上に横たわっていた。 「千と千尋の
宮戸島の昼休み sKenji 2013.07.30 4 2,345 0 宮城県東松島市の宮戸島、本当に素敵な島だった。 何が素敵だって? 「素晴らしい景色!」 と普通なら答えるところだけど、今回はそれだけではなかった。もちろん、島の景色や島から見える松島の島々も魅力的だった。しかし、それ以上にこの島が素敵だと感じさせてくれたのは
【北海道南西沖地震から22年】津波は矢のように早い iRyota25 2015.07.10 4 6,515 0 とにかくおばさんは、逃げろ!逃げろ!の一点張り 撮影のため、たまたま奥尻島に行っていてこの大津波に遭い、九死に一生を得た水中カメラマンの中村征夫さんは、その体験をつぎのように語っている。その夜、スタッフとともに全滅した青苗地区の岬から数軒目の民宿の別棟に泊
北国の冬の朝 iRyota25 2017.01.30 4 2,147 0 沿岸部の陸前高田にも雪の季節がやってきた。被災した町の中心部から少し山の方に入った大隅の仮設商店街のモニュメントの前に小さなスノーマンが並ぶ。作っていたのは、陸前高田で活動している支援団体の顔見知りの人たちだった。 思わず駆けよって雪玉づくりに参加しようと
陸前高田の復興住宅、陽光あふれるガラス戸の中で iRyota25 2017.02.17 4 3,269 0 陸前高田市役所近くの高台にある県営栃ヶ沢アパート。9階建て300戸以上という規模は、岩手県内で最大の災害公営住宅だ。 2月15日、ここ栃ヶ沢アパートの集会場に県知事がやってきて、住民と意見交換するという噂を聞いたので、自治会準備会の副代表(候補)の方、知り合いの住
スティンギティンギ…… iRyota25 2016.03.11 4 1,289 0 とあるきっかけでアルベルトと友達になった。20代後半の頃のことだった。アルベルトは中部地方にある大手電子機器メーカーの技術者として働いていたインドネシア人。ちょっと小柄で、澄み切った瞳をしたイケメンくんで、私より3つくらい年下だった。 初めてアルベルトと会った
お茶うけに「弁慶力餅」山歩きの行動食にもどうぞ iRyota25 2016.06.20 4 3,154 0 岩手県在住の知人を山歩きに誘ったら、その日は都合が悪いからゴメン。代わりにって訳じゃないが、山にこれ持ってけとお菓子を頂いた。 最近、各地で熊出没のニュースが相次いでいるので、ひとりでの山歩きは少しびくびくものだったのだが、最初の休憩でそういえば…と頂いたお
東日本大震災・復興支援リポート 「陸前高田の1年半」 iRyota25 2012.11.15 4 2,846 0 2012年10月25日の陸前高田市 陸前高田市、旧・市役所周辺を歩いた。むき出しになった鉄筋が、虚空を引っ掻いているように見える。 多くの職員や市民が犠牲となった旧庁舎は、2012年度内の解体が決定し、11月10日にはお別れ会が執り行われた。 市役所に隣接していた市民会館の
放射能に負けないコメ作り「2013年・障壁」 iRyota25 2013.05.09 4 2,516 0 いわき市小久でお米づくりを中心とした農業を営んできた飯島助義さんは、原発事故の年からまる2年が経過した今年、所有する田んぼのうち大きな面積の場所でのお米づくりの再開を決意しました。 同じく小久地区の農家で放射能に負けないコメ作りを行ってきた佐藤三栄さんたちの
[空気の研究]福島を取り上げたドキュメンタリー映画が上映中止に Rinoue125R 2015.04.03 4 1,728 1 自分はこの映画をまだ見ていない。そのことをお断りした上で、今起きていることについて考えたい。3月14日、日本在住のアメリカ人ドキュメンタリー映像作家のブログにこんな書き込みがあった。 Censorship? Self-censorship? 検閲? 自己検閲? 配給会社都合により、急遽「A2-B-
絶品!どんこ唐揚げ丼を食した後に聞いたこと iRyota25 2014.01.15 4 6,195 0 ころもはサクサク、中身はふんわりほっこりの白身の唐揚げに、ほんのり甘口のたれ。刻んだ紫蘇がまぶされたご飯との相性は抜群。 その味は一年前と何も変わらなかった。おそらくこのメニューが生まれた4年前、田老の町中にお店があった頃から変わらないものだろう。 変わらぬ
はまってかだって高田のプチツアー hometown_of 2017.04.19 4 1,738 0 出発地点の陸前高田市コミュニティホール前には20人近い人が集まっていた。今日は町歩きのプチウォーク。晴れているのにぱらっと小雨がぱらつく、変化しやすい春らしい空模様だったが、「大丈夫だぁべ」といざ出発。 「もし歩けなくなったら、キクチさんが背負ってくれるって
東北の地に蕎麦を蒔いたトヨタグループのボランティア。なぜ住田町でだったのか iRyota25 2016.10.31 4 2,125 0 7月末の夏祭りに合わせてやってきて、トヨタグループのボランティアチームが住田町の畑で蕎麦を蒔いてから3カ月。蕎麦畑の蕎麦はしっかり実をつけていた。 彼らが夏にやって来た時には、『デンボク設置』という農作業が物珍しくて、ボランティアさんたちのさらにサポートとい
海は誰のもの? iRyota25 2014.09.10 4 2,474 0 汚染された地下水が溜まるサブドレンという井戸がある。東京電力は、原発建屋周辺に40数カ所掘られたこの井戸から汲み上げた水を、浄化した上で海洋に排出する計画を発表。地元の漁業者に理解を求めるとした。この計画が報じられた8月20日、福島県内の9つの市民団体が計画の中
台風一過、午前九時 iRyota25 2016.08.23 4 1,898 0 台風9号が通り過ぎた早朝の陸前高田。まとまった雨が降ると必ず水浸しになる交差点付近で、10人近くの現場作業員が働いていた。 交差点を左折すると、かさ上げされた土地に作られた道路に通じる。しかし、作業員たちは脇目も振らず一心にスコップで道路の土を掻いている。豪雨
つつじ野 第5回「震災体験-4」 onagawa986 2013.12.26 4 3,044 0 家族を助けに女川へ行くには車が必要でした。歩くのもやっとの祖父母と2歳の末っ子がいたからです。震災2日後の早朝、桃生の避難所から意を決してヒッチハイク。運良く停まってくれた1台目の車が、実家近くまで行くと快く乗せてくれました。 実家へ駈け込むと、驚いた父が「女
こころのつぶやき Vol.7 ~海と防潮堤~ sKenji 2014.04.22 4 1,599 0 昨日、東北で賛否両論ある防潮堤について、あれこれ考えていた。ただ、調べたり考えたりするものの、うまくまとまらない。帰宅しても試行錯誤は続いたのだが、さすがに疲れ果てて、風呂に入る。 すると、防潮堤とは直接関係のない、小学生のころの記憶が、ふとよみがえった。