大川小学校―Angel of Hope―。2013年4月14日

iRyota25

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震災から2年を迎えた3月に設置された慰霊碑です。
2013年4月14日の大川小学校を写真アルバムでご紹介します。

今日も大川小学校にはたくさんの人が訪れています。

友人と、家族と、あるいは団体で。やってきた多くの人が、今日もこの場所で話す言葉を失ってしまいます。

大川小学校の南側、体育館の場所から道一本をへだてた植林された斜面です。

中央の2本の幹が赤茶けて見えるのは樹皮が剥がれているから。つまり、その高さまで津波が押し寄せたのだと考えられます。

たしかに斜面は急かもしれません。でも、裏山に逃げていれば、あれほどたくさんのこどもたちの命が失われることはなかったのではと、この場所に立つと思わずにはいられません。

どうして安全な場所に避難しなかったのか。その時、大川小学校のグラウンドでどんな判断がなされたのか。真相を知りたいという遺族の方々の気持ちが胸に迫ります。

でも、亡くなられたのはこどもたちばかりではありませんでした。

避難誘導した先生たちも津波に巻きこまれ、その場にいらした11人のうち、9人の先生が亡くなられ1人がいまも行方不明のままだといいます。大川小学校に行った日の夜、石巻の仮設商店街の電器屋さんで少しお酒をのみました。閉店後のひと時、商店主たちが集まってお喋りする会に同席させてもらったのです。「今日はどこに行ってきたの?」という流れから、大川小学校の話になりました。商店主の一人は、大川小学校で亡くなられた若い先生のお父さん、お母さんをお客さんとして知っているということでした。

こどもたちを守るべき立場だった。
守りきるべき立場だったその人もまた、ひとの子だった。親が残された。
残された親が、もっと小さなこどもを失った親たちを訪ね、いまも謝罪を続けている。

大川小学校のグラウンドに立ったときに感じる、あの、言葉を失ってしまう感覚が、石巻の仮設商店街の夜、戻ってきました。

「子を失ったのは同じなんだけどね。」

ひとりの人がつぶやきました。その声が、とても申し訳なさそうに聞こえました。

屋根の上のラッパスピーカーがゆがんでいます。
校舎の天井は剥がれて落ちて来そうです。
穴だらけになった天井裏には、スズメたちが巣を作っているようで、
大川小学校は、小鳥たちの声でとてもとてもにぎやかでした。

たくさんのAngel of Hopeたち。
お祈りします。
失われたたくさんの命のすべてがのこらず翼を得て、
のびやかに天駆けられますことを。

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