陸前高田の復興住宅、陽光あふれるガラス戸の中で

iRyota25

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陸前高田市役所近くの高台にある県営栃ヶ沢アパート。9階建て300戸以上という規模は、岩手県内で最大の災害公営住宅だ。

2月15日、ここ栃ヶ沢アパートの集会場に県知事がやってきて、住民と意見交換するという噂を聞いたので、自治会準備会の副代表(候補)の方、知り合いの住民の人たちにお願いして参加させてもらった。

1号棟と2号棟の間にある集会場は、とても大きくて、モダンで木のぬくもりが感じられるデザインが素敵な建物。被災された方々の新生活の交流の場としてつくられた。けれども——。

震災から6年、入居開始から半年

県営栃ヶ沢アパート2号棟の最上階から見た景色。円形の建物が集会場で、その奥の弧を描く建物は毎朝ラジオ体操が行われているコミュニティホール
県営栃ヶ沢アパート2号棟の最上階から見た景色。円形の建物が集会場で、その奥の弧を描く建物は毎朝ラジオ体操が行われているコミュニティホール

平日の午後にもかかわらず、集会場の周りには20人近くの人たちが集まっていた。中には面識のある県職員の人や放送局の人の顔もあった。だけど、黒塗りの車はやってこない。寒さを紛らわそうと足踏みしながら外で待っていると、栃ヶ沢団地の知り合いの居住者の人が、「そんなとこで待ってないで、入って」と招き入れてくれる。「さっき暖房つけたばかりだから、外より寒いかもしれないけど」

栃ヶ沢団地には何度も訪れているが、集会場に入ったのは初めてだった。

「さあ、さあ」と招き入れてもらったものの、たしかに室内は冷えきっていた。それでも、和室の集会室に30人近くの人が入ってくると、人のぬくもりと、そしてガラス窓から差し込んでくる陽光で、和室はたちまちあたたかいなごみの空間になった。

あちこちでおしゃべりが始まる。

「あんた何号棟なの?」なんて言葉が飛び交うなか、「すんませんね、部外者なのに入れてもらって」と顔役的な人に言うと、「なぁに、いいのいいの。私たちだって、今日ここに来ている人の全員が誰だかなんて分かってないんだから」

震災前にあった建物としては4階建てが最高だった陸前高田に、震災から5年半後に現れた9階建てのマンション。しかも世帯数は300超。ある特定の地域の人たちがまとまって移住してきたわけではなく、市内全域から入居者が集まってきた県営住宅。

「あなたは高田の人なの?」と86歳のおばあちゃんが30代の男性に声をかける。「市役所の近くのアパートに住んでいて流されました」と彼が答えると、別の女性が「玄関には名前出してる?」と重ねて尋ねる。男性が困ったように頭を振るのを見て、「ここに住んでる人はみんな仲間なんだから、表札に名字だけでも出してね」と別の女性が注文を付ける。「いまの部屋は廊下を歩く人の姿が見えないから、とくにね。どこに誰が住んでいるってことが分からないのよね」とまた別の女性が説明する。

入居が始まって半年、ここ栃ヶ沢団地にはいまだに自治会が発足していない。初対面の自己紹介のようなやり取りの中にも、仮設住宅などから移り住んできた先でのコミュニティづくりの難しさがにじんだ。

テレビでは放映されないかもしれない会話

やがて盛岡からやってきたお客さんが登場する。3月11日に放映されるテレビ番組のインタビュアーとして選ばれた大学生2人だった。顔見知りの県の職員が「知事が来るという情報が出回っていたようですが、それは根拠のない噂なのでした。たいへんすみません」と了解を求める。会場には、「ん、まー、でもそういうことかなと思ってた」といった声があちこちでこぼれる。「テレビ撮影のための人集めだったのか…」集まった住民の表情には落胆の色があった。

それでも、若い大学生が話の輪に加わると、震災当時の経験や現在の暮らしのこと、それぞれの生い立ちなど、ふだんは聞けないような話がどんどん飛び出してきた。

「私はね、小学校の1年生に入った時に日華事変が始まったの。そして太平洋戦争が終わったのが、いまで言う中学3年生の時。だからね、学校ではまともなことを何も教わってないの。戦時中の偏った教育ばかり。それでもちゃんといまでも生きてます。だからね、勉強なんてどうでもいいの。なんてことを孫に言ったりするもんだから、子どもから叱られたりもするんだけどね」

いきなりのそんな話に、まだ18歳という大学生インタビュアーは、ちょっとたじろいだようにも見えた。

学生インタビュアーが陸前高田を訪ねるのが今回で2回目で、まだ海の方まで行ったことがないと話すと、

「一本松なんて有名になったけど、一本松なんかじゃないの。7万本もの松林だったんだからね」

「一本松は松原の中でもどっちかというと格好悪い松だったのよ」

「みっともなくても何でも、生き残れば一本松だって言われるし、世界中の人たちにも知られる有名な松になるってことなのよ。とにかく長生きが一番!」

マシンガントークは止まるところを知らない。

それでも話に割って入るように学生インタビュアーが質問する。「こちらの団地は住みやすいですか?」もしかしたら事前にテレビ局側が用意したストーリーに沿っての質問なのかもしれない。

「ええ、そりゃもう」と86歳の女性が答える。「そりゃいいとこですよ。感謝しています。仮設住宅に比べればね」と70代の女性が続ける。そこから仮設住宅での生活がどんなに大変だったか、またまたマシンガントーク。「寒かった」「結露が大変だった」「狭かった」「隣近所の音がねぇ」そして、「もう震災から6年でしょ、長かったわよ。とにかく長かった」などなど。

「長かった」という言葉にその場の人たちがうなずく。

「だけど、この集会場のように皆さんで集まれる場所があるっていいですね」と、大学生。

「なに、ここに入ったのはほとんど初めてみたいなもんなんだから」と86歳の女性。「ほんと、ここはいいところ。毎日でも来たいわよ。でも、まだ使えないの!」「使えるようになったら、あれもしたい、これもしたいって計画はたくさんあるのよ。だけど、自治会が正式に発足するまでは住民の自由には使えないのよ」

わたしもよく知る女性がさらに補足した。

「ここはね、ガラス窓が広くて外がよく見えるでしょ。通路とか階段とかを歩いている人を見かけたらすぐに声をかけることができる。まあとにかく上がっていってよって。それがいいのよね。早くそうできるようになってほしいの」

新しく建設された県営栃ヶ沢アパートは、外観も内装もとてもモダンだし、住みやすいつくりになっている。ただ、通路側の窓は限られていて、玄関は引き戸ではなくドア。震災以前、あるいは震災後の仮設住宅では、誰かが歩いていたらすぐに声をかけることができたが、防音がしっかりしていて、外の様子がよく分からない新築の集合住宅では、人と人が顔を合わせる機会が限られてしまう。

集会場に設けられた大きくて明るいガラス窓によせる、住民の人たちの期待は想像をはるかに越えて大きい。孤立する人をできれば出したくないという思いは切実なのだ。そして、孤立する人を出したくないと、周囲に声をかけて回っている人たちの中にも、「もしも自分が孤立してしまったら」という危惧がある。そりゃ、生まれながらに前向きで、誰にでも声をかけることができる人もいるだろう。しかし、そんな人たちばかりではない。孤立してしまった自分を想像すると、それがどれほど辛いことなのかが痛いほど分かるからこそ、誰にも孤立してほしくないと思う。孤立してしまうかどうかが紙一重だと知っているからこそ、「上がってかない?」と声をかける。

3月11日に岩手県内で放映される番組で、集会場の中の会話がどれくらい紹介されるのか分からない。音声さんがブームマイクを差し伸べていたのはわずかの時間だったから、ほとんど放映されないかもしれない。

だからこそ、その場にいた1人として、栃ヶ沢団地の人たちのその時の言葉を、ほんのわずかながらでもお伝えしたい。テレビ局や県の広報の人の意図に反していたとしたら申し訳ないとも思いつつ。

窓の外には陽光が降り注ぐ。建物の通路や駐車場に誰かいたら、すぐにでも声をかけられそうなくらい、このガラス戸は大きい。

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